エゴグラムによる自己変革
毎週金曜日に開かれる、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトのミーティングである大阪吃音教室の「吃音と上手につきあうための講座」は、吃音について学ぶ、コミュニケーションについて学ぶ、人間関係について学ぶが3つの柱だが、5月30日から人間関係について学ぶ交流分析が始まった。
毎回エゴグラムを書いて、グループで話し合う。少しずつ変化していく人、大きく変わった人など、グループで話し合うと何回しても、興味深い。
私のグループは5名。それぞれが講義で得た自我状態の知識をもとに、自分について語り、話し合う。その中のふたつについて報告する。
1 「CP(批判的親)NP(保護的親)A(成人)が高く、中でもAが満点に近く高い」
「CP、NPは互いに相反する項目なのに、私は、両方が高いのは、おかしいのではないか?矛盾しているのではないか?」との疑問が出された。
この人の場合、Aがきわめて高い。長年の社会生活の中で、Aの機能が育ってきた。だから、この人の「A」が状況や相手を判断し、保護的に優しく接したり、必要な時には厳しく相手に接することができるので、矛盾はしていないのだ。
2 「FC(自由な子)は真ん中、AC(順応の子)が一番高く、Aがかなり低い」
この人が、ACを少しでも低くしたいと言った。確かにACが高すぎると、少し生きづらいだろう。エゴグラムを使っての自己変革には、高いところはその人の特徴なので、それを低くするよりも、他の低い部分、FCを高くすることをすすめる。しかし、FCを高くすることは、難しいという人は少なくない。この人の場合もおそらくそうだろう。根がとてもまじめな人なのだ。FCを高くすることよりも、かなり低いAを高くすることを提案した。
エゴグラムは性格テストではない。だからエゴグラムを使って性格を変えようと提案しているのではない。性格というものは、結果として変わることもあるが、基本的には変えようとして変えることができるものではないと私は思う。
交流分析の大きな特徴は、他人と過去は変えられない、自分を変えることはできるということだ。自分を変えると言っても、性格を変えろといっているのではない。自分のとっている行動を変ようというのだ。
Aを高くする行動を日常生活でとっていけば、自然に変わってくる。
Aの項目で×をつけたものを○になる行動を心がける。つまり処方箋を自分自身で考えることができるところに、エゴグラムの良さがある。
「何事も情報を集めて、冷静に判断するように心がける」
「いろんな本を読むようにする」
「何かするとき、自分にとって損か得か考える」
エゴグラムによって、項目は違っているかもしれないが、×をつけた項目についてその内容の行動をとるように心がければいいのだ。その上でさらに、私は、新聞の活用を提案した。
自分の関心のある記事しか読まない人は多いだろう。Aを高くするには、できれば社説、コラム欄を読むことを勧める。できれば音読をするとさらにいい。そして、自分はどう考えるか、自分の考えを持ち、確認するのだ。社説が少し敷居が高い場合には、読者欄の他の人の意見に対して、私はこう考えるという自分の意見を確認することを続けたい。常に私はこう考えるという自分の意見をもつことを心がければ、だんだんと、Aが高くなり、結果としてACは低くなってくるだろうと私は思う。
ACを低くするのに、一番手がつけやすいのが、Aを高くすることだと私は思う。
新聞の読み方
私は、1月1日、敗戦記念日、憲法記念日などの新聞は全国紙の全てを買い、新聞社がどのような主張をしているか読み比べることを30年以上の習慣にしている。それぞれの主張が違っていて興味深い。考え方、主張に違いがあるのは当然で、それについて文句をいうことはないが、あまりにも、理屈に合わない、表現が不適切な社説があった。中日新聞の敗戦記念日の社説だった。新聞社に電話をして質問をしたとき、同じような指摘が数件あったと、紙面相談室の担当者は答えた。
朝日新聞の夕刊一面トップに漫才師の宮川大介・花子の大介が、「がん」か何かの病気から無事生還したとの大きなふたりの笑顔の写真入りの記事が掲載されたことがある。記事が少ない日だったのかも知れないが、一面トップに大々的に報道することはないだろう。強い違和感をもった。せいぜい社会面の小さな記事でいいはずだ。朝日新聞もここまで落ちたのかとがっかりして、これも紙面相談室に電話をかけた。これもかなりの読者から苦情があったという。
ちなみに私は、いまでこそ少し下がりつつあるけれど、CP(批判的親)がかなり高い。常に私はこう考えるという自分の意見をもっている。そしてそれは、きわめて少数派であることが多い。このような態度が、「どもりを治す・改善するが、吃る人の幸せにつながる」という多数派の意見に、決して流されることなく、頑固に主張し続ける源泉になっているのだと思う。5月30日、大阪吃音教室で考えたことだ。
・参考資料 日本吃音臨床研究会年報7号 『杉田峰康・ワークショップ 生活に活かす 実践的交流分析入門』1000円(送料込み)
毎週金曜日に開かれる、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトのミーティングである大阪吃音教室の「吃音と上手につきあうための講座」は、吃音について学ぶ、コミュニケーションについて学ぶ、人間関係について学ぶが3つの柱だが、5月30日から人間関係について学ぶ交流分析が始まった。
毎回エゴグラムを書いて、グループで話し合う。少しずつ変化していく人、大きく変わった人など、グループで話し合うと何回しても、興味深い。
私のグループは5名。それぞれが講義で得た自我状態の知識をもとに、自分について語り、話し合う。その中のふたつについて報告する。
1 「CP(批判的親)NP(保護的親)A(成人)が高く、中でもAが満点に近く高い」
「CP、NPは互いに相反する項目なのに、私は、両方が高いのは、おかしいのではないか?矛盾しているのではないか?」との疑問が出された。
この人の場合、Aがきわめて高い。長年の社会生活の中で、Aの機能が育ってきた。だから、この人の「A」が状況や相手を判断し、保護的に優しく接したり、必要な時には厳しく相手に接することができるので、矛盾はしていないのだ。
2 「FC(自由な子)は真ん中、AC(順応の子)が一番高く、Aがかなり低い」
この人が、ACを少しでも低くしたいと言った。確かにACが高すぎると、少し生きづらいだろう。エゴグラムを使っての自己変革には、高いところはその人の特徴なので、それを低くするよりも、他の低い部分、FCを高くすることをすすめる。しかし、FCを高くすることは、難しいという人は少なくない。この人の場合もおそらくそうだろう。根がとてもまじめな人なのだ。FCを高くすることよりも、かなり低いAを高くすることを提案した。
エゴグラムは性格テストではない。だからエゴグラムを使って性格を変えようと提案しているのではない。性格というものは、結果として変わることもあるが、基本的には変えようとして変えることができるものではないと私は思う。
交流分析の大きな特徴は、他人と過去は変えられない、自分を変えることはできるということだ。自分を変えると言っても、性格を変えろといっているのではない。自分のとっている行動を変ようというのだ。
Aを高くする行動を日常生活でとっていけば、自然に変わってくる。
Aの項目で×をつけたものを○になる行動を心がける。つまり処方箋を自分自身で考えることができるところに、エゴグラムの良さがある。
「何事も情報を集めて、冷静に判断するように心がける」
「いろんな本を読むようにする」
「何かするとき、自分にとって損か得か考える」
エゴグラムによって、項目は違っているかもしれないが、×をつけた項目についてその内容の行動をとるように心がければいいのだ。その上でさらに、私は、新聞の活用を提案した。
自分の関心のある記事しか読まない人は多いだろう。Aを高くするには、できれば社説、コラム欄を読むことを勧める。できれば音読をするとさらにいい。そして、自分はどう考えるか、自分の考えを持ち、確認するのだ。社説が少し敷居が高い場合には、読者欄の他の人の意見に対して、私はこう考えるという自分の意見を確認することを続けたい。常に私はこう考えるという自分の意見をもつことを心がければ、だんだんと、Aが高くなり、結果としてACは低くなってくるだろうと私は思う。
ACを低くするのに、一番手がつけやすいのが、Aを高くすることだと私は思う。
新聞の読み方
私は、1月1日、敗戦記念日、憲法記念日などの新聞は全国紙の全てを買い、新聞社がどのような主張をしているか読み比べることを30年以上の習慣にしている。それぞれの主張が違っていて興味深い。考え方、主張に違いがあるのは当然で、それについて文句をいうことはないが、あまりにも、理屈に合わない、表現が不適切な社説があった。中日新聞の敗戦記念日の社説だった。新聞社に電話をして質問をしたとき、同じような指摘が数件あったと、紙面相談室の担当者は答えた。
朝日新聞の夕刊一面トップに漫才師の宮川大介・花子の大介が、「がん」か何かの病気から無事生還したとの大きなふたりの笑顔の写真入りの記事が掲載されたことがある。記事が少ない日だったのかも知れないが、一面トップに大々的に報道することはないだろう。強い違和感をもった。せいぜい社会面の小さな記事でいいはずだ。朝日新聞もここまで落ちたのかとがっかりして、これも紙面相談室に電話をかけた。これもかなりの読者から苦情があったという。
ちなみに私は、いまでこそ少し下がりつつあるけれど、CP(批判的親)がかなり高い。常に私はこう考えるという自分の意見をもっている。そしてそれは、きわめて少数派であることが多い。このような態度が、「どもりを治す・改善するが、吃る人の幸せにつながる」という多数派の意見に、決して流されることなく、頑固に主張し続ける源泉になっているのだと思う。5月30日、大阪吃音教室で考えたことだ。
・参考資料 日本吃音臨床研究会年報7号 『杉田峰康・ワークショップ 生活に活かす 実践的交流分析入門』1000円(送料込み)