昨日の続きです。
初めてオープンダイアローグのことを聞いたのは、松田さんからでした。ドキュメンタリー映画『開かれた対話』を紹介してもらいました。オープンダイアローグを日本に広めた斎藤環さんより早い時期に、教えてもらったと記憶しています。
 松田さんは、「目利き」になることが大切だと言います。確かにそのとおりで、僕たちは、目先のことにとらわれず、長い将来を見据えて、自分にとって何が大切か見極めていかなければなりません。

  
吃音と発達障害 2
               松田博幸(大阪府立大学地域保健学域教育福祉学類教員)

◆オープン・ダイアログについて

 近年、オープン・ダイアログ(ダイアローグ)(以下、OD)という実践が精神保健福祉領域において注目されるようになってきた。ODを例にして、人がラベルから解放されるための具体的な実践の姿とその課題を示しておきたい。
 ODは、フィンランドの西ラップランドにおいて展開されているクライシス対応アプローチである。西ラップランドは、人口が7万人弱の地域でボスニア湾の北側に位置し、スウェーデンと国境を共有している。ODは、精神科病院(「ケロプダス病院」)とクリニックの専門職者(あわせて100人程度。家族療法士、心理療法士、看護師、精神科医など)によって実践されている。1980年代にケロプダス病院に着任した心理療法士や医師の取り組みから始まり、現在の活動の原形は1990年代に確立した。
 ODはフィンランド国外のさまざまな国において注目されているが、わが国では、2013年以降、ODのドキュメンタリー映画『開かれた対話』(アメリカのダニエル・マックラー監督)の上映会が各地で開催されるようになり、広く知られるようになった。(ちなみに『開かれた対話』はYouTubeで全編を視聴可能である[日本語字幕つき]。)
 ODの内容をごく簡単に述べたい。
 クライシス(心の調子が崩れ、通常の対処法がうまくいかない状態)に陥った人やその家族から医療機関に連絡があると、24時間以内に2〜3名の専門職者が自宅等に訪問する。その際に専門職者は本人、家族、関係者(たとえば、友人、近隣の人、職場の人など。本人が望む人たちのみ)を集め、クライシスにある本人の自宅等でトリートメント・ミーティング(以下、ミーティング)を開く。ミーティングは対等な立場でおこなわれる対話の場である。
 ミーティングでは、本人がいないところで本人のことを話してはならない。治療に関するすべての方針(服薬をするのかしないのか、入院するのかしないのかを含む)の決定はミーティングにおいておこなわれる。専門職者が他の専門職者と話し合いたいときは、ミーティングのなかで本人の目の前で話し合う。そして、話し合いを聴いていた本人の意見を尋ねる。
 投薬は極力避ける。どうしても必要な場合のみ処方がおこなわれるが、必要かどうかは、早急に決めず、ミーティングで充分に話し合って決める。
 結論を急がない。ミーティングでは早急に結論は出さない。結論が出ない場合は次回に持ち越す。
 すべての声が対等に尊重される。ミーティングでは、本人がどのように苦しいのか、どのような体験をしてきたのか、などについて、対等な立場での対話をおこなう。すべての声が平等に尊重される多声的な状況が大切にされる。話されたことをていねいに聴き、じっくり受けとめてから話す。モノローグ的(会話独占的)な発言は避ける。妄想だとされる話も実はちゃんとした意味をもっており、その人が体験したことが隠喩的に語られているのかもしれないと考えられる。
 このような実践が国際的に注目されるようになった理由の1つは、ODを利用した統合失調症の人たちの多くがリカバーしたことが数量的な調査研究を通して明らかにされたということがある。5年間の追跡調査の結果、約3分の2の人たちは5年間に一度も統合失調症の薬を飲まずにすみ、残りの半分の人たち(約6分の1)の人たちは5年間のうちに統合失調症の薬を止めることができたとされる(映画『開かれた対話』より)。かつて、西ラップランドは、1年間に新たに統合失調症になる人たちの割合が非常に高い地域であったが(1980年代の半ばの時点で人口10万人に対して35人)、2000年代の初めには新たに統合失調症になる人たちが人口10万人に対して2人となった。これは、統合失調症の前段階にODを利用することで状態が統合失調症に進行しなくなるからであるといわれている。
 なぜ、ODがこのような成果を上げているのかであるが、さまざまな要因が複雑に絡み合っており、単一の要因を示すのは困難だと思う。しかし、ODに関わっている専門職者の、他者との対等な関係をていねいに築こうとする態度が大きな影響力をもっているのではないかと考える。それは、筆者が、映画『開かれた対話』において登場する専門職者の語りから感じたことであり、それらの人たちと実際に出会ったときの語り(ODを実践している専門職者がフィンランドから日本に招かれ、講演会などが開かれるようになってきた)から感じたことである。ODは単なる対話の技法ではなく、人の生き方や哲学に根差したものであるということをそれらの人たちの態度から筆者は感じてきた。
 ODにおいては、対話は治療の手段ではなく、対話をおこなうことそのものが目的であるとされている。どうすればより効果的な治療をおこなうことができるのかという、一般的に専門職者がもちがちな関心ではなく、どうすればより対等でより人間的な対話ができるのかが一番の関心となっている。1980年代にケロプダス病院に着任した医師、ビルギッタ・アラカレは、「私たちは、自分は専門家ではないと言うことにかけて専門家なのです」(ウィタカー 2012:511)と述べている。専門職者が自らのもつ理論や知識を脇においておき、目の前にいる人とつながり、対話をおこなうことがODでは大切にされるのだと思う。ある意味で、専門職者に対して、専門職者であることを脇において人と関わる専門性を求めるのがODであるように思う。いわゆるアンラーン(unlearn 学び捨てる)、つまり、すでにもっている考えや知識や理論を脇においておくことを基礎とする実践がODだともいえるだろう。ここまで吃音の人と発達障害について述べてきたが、発達障害というラベルから解放されるための実践を考える際に、ODでおこなわれている対話的実践のあり方が参考になると思う。人が、ラベルにまとわりついている知識(たとえば、"発達障害の人は〜である")を脇においておき、人とつながり、対等で人間的な対話をおこなうことで、(両者の、)ラベルからの解放、ひいてはリカバリーが可能になるのではないかと思う。
 ただ、わが国におけるODの拡がりを見ていると懸念ももつ。近年、わが国においてODが注目されるようになり、2015年3月には、ODの普及を目指す「オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン」が結成され、2016年の9月より同ネットワークがODのトレーニングを国内で開始するという予定も組まれている。
 筆者は、ODの実践者の態度が可能になった背景には、医療機関に所属する専門職者たちが、医師を頂点として患者を底辺とするヒエラルキーを解体してきた実践があるのではないかと考える。具体的には、1980年代にケロプダス病院をはじめとする医療機関内での取り組みである。しかし、そのあたりの取り組みについては、わが国においてほとんど知られていないし、関心も向けられていないように感じる。文脈から切り離されたODが専門職者の文化に取り込まれ、単なる対話を通した治療の技法として拡がることを懸念する。

◆おわりに:今、何が必要なのか

 発達障害というラベルが吃音の人たちの前に登場してきているわけだが、今、吃音の人たちに求められるのは、発達障害というラベルを受け入れることよりも、そういったラベルに対抗するオートノミーを高めることなのではないだろうかと筆者は思う。それは、いいかえれば、自分(たち)が何者なのかを自分(たち)で決めるオートノミーを高めることであり、自分(たち)の人間性を取り戻すことでもある。そのことは、吃音を治すのではなく吃音を生きるのだという考えにも通じると思う。
 それは、「精神障害者」だとされてきた人たちの活動や運動から学ぶことのできる教えでもある。そういった教えを通して、発達障害というラベルが本当に必要なのか、そして、ラベル以前に大切なことは何なのかを考えたほうがよいのではないかと思う。
 近年注目されているODの実践は、そういったことを考える際に大切なことを私たちに教えてくれる可能性があると思う。しかし、同時にODが専門職者の文化に取り込まれ、単なる技法として拡がってしまう懸念ももっている。
 「目利き」なること、つまり、本物かどうかを見極めることが今後求められるように思う。

〈参考文献〉
アハーン L.&フィッシャー D.(2004)『自分らしく街で暮らす:当事者(わたしたち)のやり方』(齋藤明子・村上満子訳)RAC研究会
チェンバレン J.(1996)『精神病者自らの手で:今までの保健・医療・福祉に代わる試み』(中田智恵海 監訳)解放出版社
チェンバレン J.(n.d.)「ある従順ではない患者の告白」
チェン R.(2010)『レイモンド・チェンさん講演会「ピア・サポートとリカバリー:オンタリオ州からの個人的な視点とシステム的な視点」報告書』(松田博幸訳)大阪セルフヘルプ支援センター
石川准(2004)『見えないものと見えるもの』医学書院
カチンス H. &カーク S.A.(2002)『精神疾患はつくられる:DSM診断の罠』(高木俊介・塚本千秋 監訳)日本評論社
ニキリンコ(2002)「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断:人が自らラベルを求めるとき」
石川准・倉本智明『障害学の主張』明石書店
岡知史(1995)『セルフヘルプグループ(本人の会)の研究ver.5.』自費出版
SOAP(n.d.)「精神科病院から脱出する方法」
ウィタカー R.(2012)『心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』(小野善郎 監訳)福村出版好井裕明(1991)「『障害者』という自己執行カテゴリーの挑戦」
山田富秋・好井裕明『排除と差別のエスノメソドロジー』新曜社117-148頁
 なお、オープン・ダイアログについては、文中で示している文献以外に、Jaakko Seikkulaなどの複数の論文(原著)を参照したが、紙幅の都合で省略する。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2026/04/13