今日から11月。今年も残り2ヶ月となりました。時間の経つのがあまりに早くて驚いてしまいます。昨日の続きです。
高松さんは、セルフヘルプグループの意味を、言葉を軸にして、次のように言っています。「仲間との間で語るうちに、仲間内で使える言葉になっていきます。それで、さらに仲間でない人とも話すことによって、より多くの人々、つまり社会に伝わる言葉に徐々に変化していく。グループでは、そんな作業を長年かけてしている」
語られなかったことは、なかったことになってしまいます。僕たちは、自分のことを語り、他者の語りを聞くことを通して、自分たちの大切な体験を伝え、残すために、言葉を紡いでいきたいと思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/11/01
高松さんは、セルフヘルプグループの意味を、言葉を軸にして、次のように言っています。「仲間との間で語るうちに、仲間内で使える言葉になっていきます。それで、さらに仲間でない人とも話すことによって、より多くの人々、つまり社会に伝わる言葉に徐々に変化していく。グループでは、そんな作業を長年かけてしている」
語られなかったことは、なかったことになってしまいます。僕たちは、自分のことを語り、他者の語りを聞くことを通して、自分たちの大切な体験を伝え、残すために、言葉を紡いでいきたいと思います。
セルフヘルプ・グループの機能と役割―「言葉を紡ぐ」という視点から―(1)
九州大学留学生センター准教授・臨床心理士
高松里(たかまつ・さとし)
セルフヘルプ・グループにおける“言葉”のもつ意味を探りながら、グループの果たす役割について考えます。(2012年6月2日開催、「生活の発見会」全国研修会での講演より)
言葉の機能
「異文化とは、その人が従来から持っている言葉では表現できない状況を指す」と定義してみると、私が色覚でいろいろ問題があったのも、皆さんがいろいろな病気になったりいろいろな問題を抱えたのも、実は異文化経験だと考えられます。「異文化とは言葉がない場所」と考えれば、「言葉をいかにつくっていくのか」というのが課題になるはずです。
こんな文章があります(前出の野口氏の文章)。
「私たちは、ある事件を一つの物語として理解できたとき、その事件を理解したと感じる。物語という形式は、現実に一つのまとまりを与え、了解可能なものにしてくれる。物語は現実を組織化し、混沌とした世界に意味の一貫性を与えてくれるのである。逆に言えば、現実がよく理解できないというのは、適切な物語が見つからない状態だと言うことができる」
たとえば、パニック障害の問題を抱えてしまって、それにおびえながら生きているとすると、最初は物語として語れないということです。私は、何か得体の知れないものになってしまって困っている。外にも出られないし、だれにも会うことができなくて、だんだん孤立してしまって、つらい思いをしている。そこに「パニック障害」という名前がつくと、仲間も見つかるし、物語が構成されてくるのですが、最初は何が何だかわかりません。
生まれてから現在に至るまでの人生を「ライフ・ストーリー」と呼びますが、そのどこかに切れ間がある。何か問題があって、ここに言葉で言えない表現できない体験がある。それでは自分の人生を理解したとは感じられません。一まとまりの物語として成り立ったときに、初めて理解したと感じられる。
ここにいる皆さんはベテランのかたでしょうから、自分の経験は、もう物語としてライフ・ストーリーの中に組み入れられているのだと思います。今の自分があるのはこの経験があったからだというふうな、一つの物語ができていると思います。でも、思い出してみると、昔はどうだったでしょうか。初めてその問題とぶつかったころは、どういうふうな表現をしていいのかわからない、得体の知れない経験だけがあったのではないでしょうか。それをグループ・ミーティングとかいろいろな場所で繰り返し語ることで、あるいは先輩の言葉を聞くことで、言葉をつくり出してきたのではないかと思います。
グループでは、「突然異郷に落とされた人たち」が集まり、その体験に言葉を当てはめて世界を再構築し、その経験の意味を新たに見つけようとする試みを行っているのではないか。グループの基本的な機能は、日常世界と異郷とを、ストーリーとしてつなぐということではないかと思います。
言葉は文化の記憶装置である
もう少しこの理論を述べますと、言葉とは「文化の巨大な記憶装置」だと考えられます。たくさん語られている事柄はさまざまな表現方法ができているし、そうでないものは非常に手薄になる。例えば、恋愛については膨大な言語や考え方や詩などの蓄積が存在する。延々と人類が築き上げてきた一大文化です。ところが、同じ恋愛でも同性同士の恋愛となると一気に蓄積量は減る。どう語ったらいいのか、貧困な状態になる。結婚についても膨大な文化的蓄積が存在している。しかし、離婚となるとまるで言葉の蓄積がないことに気がつきます。こんなふうにこの世界は、複雑な文化が言語的に蓄積されている領域と、まるっきり無視されている領域がグラデーションとなっているのではないかと思います。
離婚した方も増えていると思います。私も離婚経験者ですが、結婚はみんなお祝いしてくれて華々しいですか、離婚は全然華々しくなくて、いいことがない。私は子どもはいませんでしたから親権の問題はなかったのですが、車はどっちが持っていこうか、電子レンジをどうしようかとか、現実的で夢のないお話しかない。
だけど、離婚を語ることもやはり大事なのです。離婚というのは、普通だれも話してくれないから、離婚の意味づけは何だろうかと自分で考えます。当たり前ですが、だれも離婚したくて結婚したわけじゃない。ただ、そんな話をどこかですると、隠れ離婚経験者が出てくる。「高松さん、実は僕もそうだよ」みたいな話があっちこっちから来たのをよく覚えています。みんな離婚のことしゃべりたい。だけど、あまり大きな声でしゃべるといいことないから話さないのですが、話されないと言葉が蓄積されません。離婚の良いところとか本当はあっていいはずですが、あまり出てこない。
神経症領域はどうでしょう。やはり現在の世の中には、あまり言葉の蓄積はありません。ということで、グループは自分の経験を表現し、言語化していく場であるという結論になってきます。
どう表現していいかわからない、頭が真っ白になったという経験について、改めて言葉、あるいは言葉の連なりとしてストーリー化をしていきます。それがグループではないか。グループには自分たちの経験を表現するための言葉や表現がたくさん蓄積されています。そこにいる人たちは、「そう、それが言いたかった!」というような言葉を長い時間をかけて発見していきます。セルフヘルプ・グループだと先輩がいますから、先輩が言葉を持っています。その先輩の言葉を聞きながら、ああ、こう言えば脇に落ちるとか、その経験はよくわかると、新しい人たちは恐らくそんなことを思うはずです。
また、異論がある方もいらっしゃると思いますが、私は「経験それ自体に意味がある」とは思っていません。経験はただの経験です。ただ、その経験にどんな意味をつけて、人生の学びみたいな教訓にしていく、というのは我々が能動的に行うことです。自分の人生の中で、空白あるいはアクセスできない領域に言葉を当てはめ、人生にとっての意味を見いだしていくのだと思います。
長く「生活の発見会」に来られている方は、言葉をお持ちのはずです。経験が蓄積され、言葉になっているはずです。じゃ、途中でやめていった方はどうなっているかというと、恐らく空白のままだと思います。途中でやめていった、あのことはなかったことにしよう、忘れようと思っている人は、空白状態が人生(ライフ・ストーリー)の中に出てきます。それでいいのかというと、あまりよくないんですね。人生が途切れていて、そこに触れたくない何か大きな経験がある。それが治っているならともかく、まだ治っていないかもしれない、人生の中に触れたくないものが大きくあるというのは、その人の人格を不安定なものにさせると思います。
特にトラウマですね。暴力被害だとか虐待の被害を受けている人たちの記憶は、ある部分切断され、抑圧され、失われています。そのために、それ以外の部分でも記憶障害が出てきたりします。我々は、昨日何を食べたとか、先週何があったとか、一年前はこんなことをしていたとかは、割とすぐに想起できると思います。それは人生がつながっているからです。つながっていない人、途中がブツブツ切れている人は、昨日何をやったんだろうというのを思い出すのにすごく時間がかかる。あるいはまるっきり忘れている。そういうことがありまして、なるべくならば、ストーリーとして人生が一貫してつながっているほうがいいということになります。
セルフヘルプ・グループの機能
以上、とりあえずの結論ですけれども、セルフヘルプ・グループの機能とは何かといいますと、「日常生活に突然あらわれた異郷(ここでは神経症や障害等)に対して、グループの仲間とともに言葉を紡ぎ、ライフ・ストーリーとしての一貫性を持たせ、そこから何らかの意味、これは人生を生きていく上での教訓を得ること」と言えると思います。そこで初めて、「神経質でよかった」「吃音でよかった」という言い方が出てきます。
セルフヘルプ・グループは、語る言葉を持たない参加者がお互いに協力しながら言葉を紡ぐ場所を提供します。ここでは批判されず、説教されず、急がされない。言葉が徐々に洗練され、同じ経験を持たない他者にも伝わるものとなっていきます。他者に伝わる言葉と伝わらない言葉というのは、聞いていてかなり明確にわかります。その方が何度も繰り返しその問題を話して、多くの人に語っている言葉というのは、聞いている側にもすっと入ってきます。
ところが「語られていない言葉」というのは、何かすごく違和感があって、言っていることはわかるけど腑に落ちないとか、言っていることもわからないときがあります。言葉というのは、何度も何度も人に向かって話されていくときに変化していきます。他の人にわかる言葉になっていきます。
ことばのない世界、つまり異文化は、最初は語れません。何をどう言っていいのか見当もつかない。しかし、だれか仲間との間で語るうちに、仲間内で使える言葉になっていきます。それで、さらに仲間でない人とも話すことによって、より多くの人々、つまり社会に伝わる言葉に徐々に変化していく。グループでは、そんな作業を長年かけてしているのではないでしょうか。
(日頃からおつき合いのある生活の発見会の「HAKKEN」編集部の許可を得て掲載しました。原稿は、かなり長いものだったので、大幅にカットしたものを高松さんに校閲していただきました。掲載を許可して下さった高松さんと生活の発見会編集部に感謝します)(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/11/01