昨日につづき、第14回ことば文学賞の受賞作品を紹介します。どもる教師にとって、最大のピンチは、卒業式。卒業式にまつわるエピソードはたくさん聞いています。この体験も、その中のひとつになるでしょう。「どもってはいけない場など何ひとつない」、その思いをかみしめながら、お読みください。(「スタタリング・ナウ」2011.12.20 NO.208)

  
チャレンジ―子どもたちとともに―
                            橋本久佳(大阪府在住)

 ついにこの日が来た。教師になって5年目…。一番恐れていた卒業式での呼名だ。児童の名前を一人ずつ呼んで、コメントを言わなければならない。どもらない人にとっては、難しいことではないが、どもる私にとっては、一大イベントである。
 教師になった以上、6年生の担任をすることは避けて通れないことはわかっていた。しかし、いざ卒業式が目の前に迫ると、居ても立ってもいられなくなった。厳粛な場で、自分がマイクに向かって話している姿を想像しただけで、鼓動が激しくなった。
 幸い、今は支援学校に勤務しており、1クラス2名で担任しているので、私か、もう一人の先生が呼名すればいい。前任校は小学校だったので、6年生を担任すれば、必ず自分が呼名しなければならない。今、支援学校で一緒にクラスを担任している先生は、ベテランの先生で、何でもリードしてやってくれるので、きっと「ぼくが呼名するわ」と言ってくれると思っていた。しかし、
 「ぼく、花粉症だから、卒業式の呼名できないねん。前、6年生を持ったときも、声が裏返って、予行練習で交代させられてん」
 と笑いながら言われた。私は心の中で「花粉症で声が裏返るぐらい、何ってことないやん!私なんかどもるねんから!」と叫んでいた。その時、「私はどもるから、呼名できません」と言おうか迷ったが、いずれ、また小学校に戻るし、この先の長い教師生活を考えると、卒業式は避けて通れないので、ここで一度チャレンジしてみるのもいいかなと思った。「もし、練習で無理なときは、もう一人の先生に代わってもらったらいいことだし…」と軽い気持ちで引き受けた。
 ところが、幸か不幸か、練習が始まると、もちろんどもりはするものの、どもって立ち往生することなく、なんとか声が出た。「これなら、本番もなんとかなるかもしれない」と思った。練習を繰り返す中で、自分なりに声を出すタイミングを工夫した。ジェスチャーをつけたり、身体でリズムをとったり、できるだけ声がでやすいようにした。第一声が出にくいので、マイクの前に立ち、礼をして、顔をあげるタイミングで第一声を言うようにした。そして、できるだけ子どもたちの方を見て、子どもに声を届けるように、ゆっくりと言うようにした。最後に、子どもたちに向かって「立ちましょう」と言わなければならないのだが、「タ行」が苦手な私は、いつも言いにくくて焦っていた。何かいい方法はないかなと考え、ジェスチャーをつけることにした。手で合図をしながら言うと、比較的声が出やすかったので、どうしても声が出ないときは、本番もジェスチャーをつけることにした。
 自分なりに声を出すコツはつかんだものの、毎日不安で仕方がなかった。特に卒業式2週間ぐらい前からは、寝つきが悪く、ご飯を食べても味がしないし、精神的にとてもしんどかった。気が休まる時がなく、お風呂やトイレでも呼名の練習をしたり、道で歩きながら、思わず子どもの名前を口にしていたり、卒業式一色の生活だった。今思えば、異様な光景だが、その時はとにかく必死だった。さらに不安が増したのは、高等部の卒業式だ。小学部の教師も参列したのだが、マイクの前で呼名している先生と自分の姿を重ねてしまい、心臓がドキドキして冷や汗が出てきた。そして、今まで以上に、マイクの前に立って呼名するのが恐ろしくなった。
 そんな中、練習も大詰めを迎え、後は予行練習を残すのみとなった。ここまで来たら、呼名を代わってもらうのは、子どもたちに混乱を招くので難しく、もう私がやるしかなかった。しかし、この精神状態で卒業式を迎えるのは不安が大きすぎる。どもって立ち往生したときのことを考えておかなければならない。そこで、勇気を出して、もう一人の先生に自分がどもることを伝えた。
「あっそうなんや。別にどもってもいいやん。卒業式が台無しになるなんて、考えすぎ!」
とあっけらかんと言われた。それを聞いて、気持ちが少し楽になり、
「じゃあ、どもって立ち往生したら、泣いているふりをしますね!」
と笑顔で答えた。
 そして、いよいよ卒業式当日。袴を履いて、教室の鏡の前に立ち、一人で最後の練習をした。他学年の先生に声をかけられた。
「袴きれいー! 私も履きたいな」
「こっちはそれどころじゃないねん。袴を履きたいんやったら、代わりに呼名してよ!」
 式場である体育館へ移動するときに、ある男の子が声をかけてきた。
「先生、ぼくめっちゃ緊張してきたわ」
「そうやな。私も緊張してるよ。でも、今まで練習してきたし大丈夫。がんばろう!」
 男の子に言ったのと同時に、自分にも言い聞かせた。
 拍手と音楽に包まれて入場した。子どもたちの前では、笑顔でいることを心がけているが、この時ばかりは顔がひきっっていたに違いない。校歌斉唱の後、いよいよ卒業証書授与だ。次の呼名に備えて、しっかり声を出して校歌を歌った。司会の先生の「卒業証書授与」と言う言葉を聞いて、マイクの前に移動した。足はガクガク震え、私の緊張は最高潮に達した。でも、もうやるしかない。逃げられない。子どもたちの方を見てから、礼をして、
「小学部の課程を終え…」
と身体でリズムを取りながら第一声を出した。
声は震えていたが、なんとか最初の難関を突破した。名前とコメントは全て覚えていたので、できるだけ子どもたちの方を見て、子どもたちに語りかけるように、一言一言ゆっくりと言った。様々な面でハンディを持っている子どもたちだが、精一杯返事をし、卒業証書を受け取る姿を見て、私も同じ土俵で自分の力を出し切ろうと思った。相変わらず、足は震えていたが、子どもたちの姿を見ているうちに、少しずつ平常心を取り戻すことができた。
 そして、最後の言葉「立ちましょう」を残すのみとなった。マイクに向かって言おうとしたが、声が出なかった。絶対絶命のピンチ!!!焦れば焦るほど、喉が締め付けられる感じで、全く声が出ない。このままではどうがんばっても声が出ないと思い、一度マイクから一歩下がって、一呼吸置いた。そして、気を取り直して、手で合図をしながらもう一度言った。間はあったものの、なんとか声が出た。
 言い終えた後は、ほっとして全身の力が抜けた。「立ちましょう」と、たった一言言うだけなのに、かなりエネルギーを使った。身体でリズムを取ったり、ジェスチャーをつけたり、こんなことをする先生は他にはいなかったが、最後までやり遂げられてやれやれ…これでやっと重圧から解放された! 十数分の時間だったが、ものすごく長かった。
 この一年しんどいことも多かったが、一生懸命生きている子どもたちからたくさん勇気をもらった。不安を抱えながら、卒業式の呼名にチャレンジできたのも子どもたちのおかげだ。それと、もう一つ大きな存在なのが、大阪吃音教室。
 大阪吃音教室に通って7年。たくさんの良き仲間に巡り合い、様々な体験談や考えに触れることができた。朝礼、式典、会議…など色々な場面でどもりながらも、対処法を考えたり、工夫をしたりしながら、困難を乗り切っている人たちの姿を見て、「どんな場面でもどもっても大丈夫なんだ」と気持ちが楽になった。
 これからも、教師をしていく限り、厳粛な場で話す機会は幾度となくあると思うが、大阪吃音教室の仲間と共に、一つずつ乗り越えていきたい。どもってはいけない場所はないのだから…。

【作者受賞の感想】
 「卒業式を経験したら、ことば文学賞を書こう」と決めていましたが、優秀賞をいただけて、とても嬉しく思います。この作品を書いているときに、「こんな恐ろしい経験をよくしたなあ〜!」と他人事のように感心してしまいました。
 卒業式の呼名がうまくいった、いかなかったよりも、逃げないで最後までやり遂げられたことが、今後の自分にとってプラスになったと感じました。卒業式が無事に終わった今だから言えることなのかもしれませんが、卒業式を経験できて、本当に良かったと思います。きっとまた6年生を持つと、今回とは違った不安や緊張感に包まれると思いますが、またその時に悩んだり、じたばたしたりしようと思います。
 大阪吃音教室の皆さんのおかげで、無事卒業式を乗り越えられ、そして、今回の作品が生まれたことに感謝します。ありがとうございました。

【選者コメント】
 どもる人に教師をしている人は意外と多い。教師生活の中で一番苦手だとするのが、卒業式である。これまでも何人ものどもる先輩が卒業式に挑戦してきた。作者とは、教員採用試験に挑戦するころからのつき合いだが、教員採用試験の面接の不安を私たちに話していたのを思い出す。その大きな課題はどもりながら見事にクリアーした。そして、一年一年と教師らしく成長していった。普段の教師生活中では誰でもが経験する苦労だが、どもる教師にとっては、卒業式の場は特別で、一番大きな課題だろう。さすがに、不安があったようだ。厳粛な雰囲気の中、来賓が列席している中、保護者が我が子の成長を喜び、見守っている中で、ひとりひとりの名前を呼ぶ。当然言いにくい名前の子どももいる。それにあえて挑戦した作者、卒業式までの心もようがていねいに綴られている。逃げることもできたのに、そうせず、チャレンジした作者に拍手である。後に続くどもる人たちに大きな勇気を与えることだろう。
 また、随所に、大阪のおばちゃんならぬ、大阪のお嬢さんらしいツッコミがある。緊迫した中でのユーモアは、ほっとさせられる。大阪が生んだ作品だといえるだろう。(「スタタリング・ナウ」2011.12.20 NO.208)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/05