北海道・浦河のべてるの家の向谷地生良さんをゲストに迎え、当事者研究をテーマに開催した第17回吃音ショートコースの報告です。今日と明日の2回に分けて紹介します。不思議なご縁のつながりで、向谷地さんと知り合い、2泊3日のショートコースが実現しました。1965年にどもる人のセルフヘルプグループを創立して以来、僕たちが行ってきた取り組みは、「当事者研究」と呼ばれるものでした。そんな古くから取り組んできたことに、向谷地さんは驚き、そして、「伊藤さん、夜明けは近いですよ」と何度も力強く繰り返してくださったこと、心に残っています。
突然、バッティングを始めた人がいたら、あなたならどうする？ から始まった講義と演習、僕たちは、向谷地・当事者研究のワールドに入っていきました。報告の前半をお届けします。（「スタタリング・ナウ」2011.11.20 NO.207）
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/01
突然、バッティングを始めた人がいたら、あなたならどうする？ から始まった講義と演習、僕たちは、向谷地・当事者研究のワールドに入っていきました。報告の前半をお届けします。（「スタタリング・ナウ」2011.11.20 NO.207）
「生き抜いていく」ということ〜第17回吃音ショートコース『当事者研究』報告〜
報告者:掛田力哉(大阪スタタリングプロジエクト、教員)
はじめに「当事者として」考えること
小学1年生が、学校で執拗な真似やからかいにあい、毎夜布団で泣きながら訴える。「日本に一人くらいことばがつまるのを治せる先生がいるでしょ? どんな遠い病院でもいいから連れて行って」(スタタリング・ナウ2007年11月号「吃音親子サマーキャンプ親の手記」より)
この様な体験を読む時、私たちは「吃音さえなければ」と己の口とことばを呪った悲しい記憶を呼び覚まさずにはいられず、吃音が世に理解されぬことの理不尽に憤らずにはいられなくなる。
世間に吃音が理解されない中で「どもってもいい」は通用しないと力説する吃音研究者・臨床家の多くは、この「辛く悲しい」話と接して、「吃音を治さないと、子どもの幸せはない」と痛感したのだろう。その事に、悪気はないはずだ。
しかし、吃音にはもう一つの側面がある。当事者が集まる「大阪吃音教室」のメンバーや、私たちが出会ってきた仲間には、「吃音があったからこそ」得られた出会いや経験、自らの人生を豊かにする実践的な知恵や力、物事を洞察する多様な視点、人を思いやる心、感謝する心、文章力、など、多くの得たものを自身の中に実感し、「どもるからこそ」磨いたコミュニケーション力で、素敵な聞き方、話し方をする人は多い。
紹介した1年生は、2年生に進級し、「作戦考えた。おじゃましますと‘お’がつまるから、失礼しますだとつまらない。すごいでしょ。オレって天才」と言う。一人苦しみと向き合い、なんとかその中で「生きる強さ」を自分のものにしようと懸命に戦い、母に必死の笑顔を見せる。いじらしい姿を見る時、なぜ彼が「どもる」だけの事で、幼い内より人生に悩み苦しまねばならぬのかとの憤りと同時に、吃音が私たちに与えてくれるものの大きさ、強さ、豊かさを感じずにはいられない。
彼は「吃音親子サマーキャンプ」に初めて参加した帰りの駅で、「オレ、これからもずっとキャンプに出て、高校生で卒業証書もらうんだ」と笑顔で言う。缶コーヒーを飲みながらその言葉を聞いていた両親は、「120円の缶コーヒーを極上の味にしてくれた」と、その瞬間を振り返るのだ。
第17回「吃音ショートコース」の講師は、北海道浦河の精神障害者のコミュニティー「べてるの家」のソーシャルワーカー、向谷地生良(むかいやちいくよし)さん。「べてるの家」は、病気や障害を「治そう」と努力する場ではなく、それと共に生きる当事者が集まり、自らを「研究」しながら何とか「生きていこう」と努力する場だ。それは、一人の当事者が、担当医の川村敏明さんに書いてもらった「病気は宝物、治りませんように」の言葉を大切にしているエピソードからも窺える。
ショートコースの全日程を終え、向谷地さんは「私たちと皆さんがやってきたことを合わせれば、社会の大きな『うねり』になり、社会を生きやすくするための大きなヒントを生み出すはずだ」と興奮しながら言って下さった。3日間何が語られ、何が行われたか、紙面の限り報告する。
�機仝�谷地さんの『当事者研究』講義記録
精神医療の歴史と「べてるの家」のはじまり
〜「治す」から「Recovery(=回復)へ〜」
◎精神医療のジレンマ
私がなぜこの場に呼ばれたか正直分からないでいた。私にはどもる人がいる程度の認識で、それを「テーマ」に生きている人がいるという認識はなかった。しかし、昨日の夜の「発表の広場」と「ことば文学賞」の発表を聞いていて、「なるほど、そういう事か」と腑に落ちた。
皆さんはこの「業界」では極めて少数派(治さないという立場)だとの話を聞いたが、世の中では皆さんの方に風が吹いていて、地殻変動が起きていて、「主流」になるのは時間の問題だ。
精神医学の歴史は、1950年代以前は、精神的な疾患を抱える人を「保護・管理」するとの考えが主流だった。50年代ごろに薬が登場し、薬で症状を「抑制する」状況が生まれた。薬の服用で患者は「鉛のスーツ」をまとって、「生活のリスクを全て回避」しながら静かに生きる状況が長く続いた。
浦河にソーシャルワーカーとして赴任したのは1978年。当時の精神科医療は、薬で精神疾患が治せるとの幻覚に襲われていた。薬を飲んだら差別もなくなるバラ色のイメージがあった。心が病む背景には「地域、社会、生きる意味」など深くて多様な背景、意味があるのに、そういう人間的なアプローチは駆逐され「薬を飲んで治す」方向へ突き進んだ。結果、日本は先進国平均の10倍の量の薬を処方する国になったが、病気は治らず、医者も患者も深いジレンマの底でもがき続けていた。
◎「治す」から「Recovery」へ
私は学生時代から「患者会」活動などを通して、障害や病気の当事者の側で、当事者の力を知っていた。脳性まひなどの障害者によって、障害や病気と共に当事者同士が支え合い、生活の豊かさを獲得していく「自立生活運動」等の流れがあった。
その強い影響を受けていた私が「病気を治さなければいけない」と思わされたとき、強い違和感を持った。「患者さんを社会復帰させて、明るく元気に」と言えないし、無理だと思った。私が入院したら一番「扱いにくい」患者になる自信があった。
浦河という地域の困難や病気を抱えながら「生き抜いてきた」人たちの経験を、単に「治す」価値観で済ませるのは、痛ましいしもったいない。「生き抜いてきた」経験から学び、互いの経験から「生き合う」「べてるの家」の生活が教会で始まった。
この動きに新しい薬も影響を与えた。「抑制する」に対し、その人の脳内の環境を整え、本人の「治癒力」の手助けをする薬が90年代半ばに登場した。薬を飲みながら生活の場に出て、色々な挑戦・失敗の中で成長していく(=人生のリスクを取り戻す)新しい薬物治療の根拠が出来上がった。「自立生活運動」等ムーブメントの影響も受け、「治すべき」→「治せない」のジレンマに長年苦しんだ精神医学の分野に、ようやく新しい考え方が生まれ始めた。
「治療」ではなく、「Recovery(リカバリー=回復)」の新しい概念を生んだ。症状が治っても、治らなくても、再発しても、症状に支配されて生きるのではなく、それとつき合いながら、人間として何を重んじて生きるかを考えながら生きる状態だ。この流れに、吃音の世界も入っているはずだ。
精神分析を研究してきた人たちが長年様々なアプローチを生み、それぞれが細かな水脈となり、再び合流しようとしていた。その1つが「認知行動療法」。「認知」と「行動」は切り離して考える事自体が不自然で、本来密接に関わっているという事実によって生まれた考え方は、精神医療の上でも大きな役割を果たしている。「認知行動療法」が重視する一つに「協同性」がある。医者が「治す人」、当事者が「治される人」の従来の構図ではなく、医者と当事者が「一緒に考えていこう」というプロセスにつながる。精神障害を生き抜いてきた当事者の経験の中にこそ新しい知恵や理解のための大切な情報の蓄積があるという、「当事者主体」の医療へ転換しようとの視点がある。
医師や専門家に自分の課題を丸投げするのではなく、自分たちの抱えているどんなささいな出来事も、その問いを自分のものとして、また「共に問う」ことを始めたのが「当事者研究」の始まりである。フッサールの『…「自分自身で考える」人たちが「共に哲学しよう」とするとき、物事の本質に迫る事が出来る…』が、「当事者研究」だ。
�供 崚�事者研究」の実際
◆『当事者研究』とは◆
統合失調症と暮らす生きづらさや"問題"や課題を持ち寄り、それを研究テーマとして再構成し、背景にある事がらや経験、意味等を見極め、自分らしいユニークな発想で、仲間や研究者と一緒になってその人に合った"自分の助け方"や理解を見出していこうとする一連の"研究活動"の総称。
(※配布資料『当事者研究のひろがり』より抜粋)
「べてるの家」の当事者研究の実際
強迫的な妄想が襲うと自分を激しくバッティングする女性が、仲間と車に乗ってどこかにでかけようとしたとき、急に激しく頭をバッティングをし始めた映像が映し出され、この様な出来事が起きたら、あなたならどうするか、グループで話し合ってみてと、向谷地さんが問いかけた。
【参加者たちの意見】
⇒「手を握って止める」「抱きかかえて制する」「本人の気が済むのなら、させてあげる」「一緒にコツンと叩いてみる」「手に柔らかいスポンジを握らせてみる」「代わりに、痛いよーと言ってあげる」「傍観してしまうかも…」など。
◎"笑っちゃえばよかったんだ…"
「べてるの家」の当事者たちが、彼女に何が起きているのか考え、どうしたら良いか知恵を出し合って"研究"する実際の映像は衝撃的だった。
「当事者研究」は計画通りに進むものではなく、「即興的に生まれて」いく。医療という所で「治してもらう」ことをじっと待つのではなく、自分たちの中で起きている事を「自分ごと」として考え、「一緒に生きてみよう」とする。現場にいた当事者たちにカメラを渡し、「さあ、研究しよう。どうする?」と向谷地さんが問い、彼女たちが目の前のできごとを「自分ごと」として捉えはじめた。
すると不思議な余裕と笑顔が生まれ「くすぐっちゃおうか?」という発想に変わる。実際にくすぐると、女性もピタッと止めて笑い始め、バッティング(叩く)を止めてしまった。女性はこの経験で「笑っちゃえばよかったんだ」「私に必要だったのは、この現実を分かち合い、共に笑いあえるということだったのかも知れない」と気づく。この出来事以後、女性は自分に起きている色々な苦労のメカニズムを観察し、「研究」をし始める。当事者研究では、「こうあるべき答え」はない。目の前の出来事に対して、「共に無力になって向き合ってみる」ことで、新たなアイディアが突如見えてくることがある。笑いやユーモアも大切な要素。
◎「悩み・問題」を「テーマ」のポケットに
【会場からの感想と向谷地さんのやりとり】
A:精神疾患のある家族のセルフセルプグループに行ったが、医者への批判的な目は多い。
向谷地:「治してあげられない」ことで医者もどんどん追い詰められていく。結果、免罪符のように薬を処方する構図がある。医者が「治せない」と、共に「無力になる」ことで、当事者一人ひとりの「問題」はかけがえのない「テーマ」になる。
B:当事者研究は、頭で考えて、自分の中に元々あるものを引き出すのでなくて、全く新しいものへのチャレンジなのだと気づいた。どもりながらでも話すべきことを話そうと考えているが、「滑らかに上手にしゃべりたい」欲も出る。「Recovery」(リカバリー)は「(症状が)良くなっていく」とはまた違う展開なんだなあと思った。
向谷地:薬の服用で一時的に妄想や幻聴がなくなる人もいるが、一旦調子が悪くなるとまた出る。(薬で根本的な「治療」がなされているわけではない事がわかる)幻聴、幻覚と生きている人のエネルギーが認められる世界になってほしい。統合失調症の症状が「良くなる」ことと、「幸せになること」には、何の因果関係もない。リストカット、過食などの行為は一瞬でもその時は「より良く生きよう」とのエネルギーを爆発させている。ただ、その後に大きな後悔がくる。この悪循環を止めたい。
C:「笑える」ってすごいことだし、幸せな事。彼女がバッティングをやめた瞬間も「笑い」。「仲間」「笑い」の持つ力の大きさを知った。
D:「バッティング」に対する良い知恵が浮かばなかったが、それは精神疾患の当事者のことがよく分からなかったから。「体験的に知る」ことも大事だと思った。吃音のことを「苦手だ」という臨床家は、「下手にさわるとどうなるか分からない」という怖さがあるんじゃないかと思った。
向谷地:「バッティング」の研究以後、彼女は自分自身のあらゆる課題を「研究」し始める。彼女は荒んだ生活の中で「病気のモチベーション」が上がることで人と繋がろうとしていたこと、「病気というチャンネルが、人とつながる大切なチャンネルだった」、生きていく上で「病気の苦労」が大切な「意味」を持っていたことに気づいていった。
吃音と共に「生き抜いて」きた人たちがいる。治ることのない吃音に悩み、苦しみながら、しかしそれと共に「生き抜いてきた」ことに大きな「意味」がある。また、その「生き抜いてきた手立て」が、専門家によって押しつけられたものではなく、当事者の側から生みだされたものであることに大きな意味がある。大事な視点は、認知行動療法で言う、"自助"の世界。どんな困難なことでも、「意味」があれば人は立ち向かっていくことができる。
「私は今こういうことで悩んでいる」ではなく、「私は今こういうテーマを持っている」と考えてみることが必要。あらゆることは「研究」の主題で、研究することで、「だから私は生きられたのかも知れない」という発見に辿りつくことがある。
E:吃音に悩み、様々なことから逃げ続けて生きてきたことをダメなこととしか思えなかったが、今の話を聞いて「生きる」ことを表現していたのかなと少し思えた。問題とどう向き合っていくか悩んでいたが、もがいてきたことも「自分も生きよう」としていたことなんだと、少し楽になった。（つづく 「スタタリング・ナウ」2011.11.20 NO.207）
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/06/01
