いつ頃からか、僕たちは、今からの季節を「吃音の夏」と呼ぶようになりました。親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会、吃音親子サマーキャンプ、千葉や島根などの吃音キャンプ、各地での研修会など、たくさんのイベントが夏、そして夏に続く秋に集中しています。わくわくしながら、この「吃音の夏」を楽しんでいます。
 今年の「吃音の夏」は、6月の島根県の聴言研修会、保育勉強会から始まります。
今日は、2011年の第22回吃音親子サマーキャンプの報告です。報告者の坂本英樹さんは、娘がどもることをきっかけに僕たちとつながりました。ずっと昔から一緒に活動していたかのような関係、うれしくありがたく思っています。(「スタタリング・ナウ」 2011.10.23 NO.206)

「対等」であることを学ぶ3日間〜第22回吃音親子サマーキャンプの報告〜
                     坂本英樹(大阪・私立向陽台高校)
はじめに

 彦根市立荒神山自然の家で22回目となる吃音親子サマーキャンプが8月26日(金)から28日(日)の日程で開催された。どもる子ども42名、その保護者38名、兄弟2名、スタッフ34名の総勢116名が東は千葉、埼玉から、西は福岡、大分、佐賀までの地域から参加した。
 一人ひとりが経験したことの総和以上のものがこのキャンプにはあるだろうが、以下ではどもる子どもの親、スタッフとして初参加の私が見聞した範囲から、感じ、考えたことを報告する。

それは事前レッスンから始まった

 キャンプに先立つこと約1ヶ月、7月23日、24日と一泊二日でスタッフの事前レッスンが大阪市天王寺区の銀山寺で行われた。私にとって大阪スタタリングプロジェクト以外の参加者とは、その時初めて顔を合わせたわけなのだが、「どうなるか?」という不安より、不思議なことにある種の連帯感を感じることができた。「さあ、これから一緒に演劇に取り組みましょう。キャンプを一緒にやっていきましょう」という空気がビンビンと伝わってきて、気分が高揚していくのを感じていた。この感じは参加者の自己紹介によってさらに大きくなった。
 遠くは千葉や神奈川や島根から、みんな手弁当で参加しているのだ。驚くべきことに、「キャンプ自体には都合でどうしても参加できないが、このレッスンだけでも参加したい」という常連のスタッフの人たちがいた。これはスタッフがどもる子どもとその家族のためという考え方ではなく、自分自身のためにも当事者とともにキャンプに参加しているという考え方、意識をもっているからなのだろう。出張旅費の清算や義務的に書き上げられる報告書から自由な、熱い思いと志をもつ人々と時間を共有できる喜びを私は感じていた。
 芝居の題目は「からすのくれたきき耳頭巾」。
 二年前に亡くなられた竹内敏晴さんの脚本、演出の役割は、学生時代から竹内レッスンに参加し、いまやキャンプの常連スタッフとなった渡辺貴裕さんである。
 体を温め、ほぐすレッスンといくつかのエチュードを行って、いよいよ芝居の練習である。台詞と体の動きがなかなか一致しない。私は台詞が覚えられないのは歳のせい、ということにしてもみんな自分の台詞に精一杯で他の演者の台詞を聞いていない、いや台詞の意味自体の把握ができていない。その度に渡辺さんからストップがかかる。「この台詞は誰の言葉に反応したものなのか、そしてどう感じてこの言葉になったのか」と問われて考える。この繰り返し。こうしてようやく私たちは劇世界を把握することができるようになった。
 渡辺さんが繰り返したのは「ひとつひとつの言葉に反応することで次の言葉がでてくる」ということ、きちんと相手と関わるということである。
 演出は声の質にも及ぶ。私が演じる「藤六」が「おーい、小鳥どんよう」と遠くにいる小鳥に呼びかけるシーンがある。私の声は十分大きいはずなのだが、「その声は小鳥に届いていない」との指摘を受けてはっとさせられた。おそらく私の声は対象に向けられていない、声量があるだけで拡散してしまっていたのだ。それること、途中で落ちることなく、言葉を相手に届けることを教えてくれたのだ。教員という職業柄、私にとって人前で話すことは日常なのだが、私の声は生徒に届いているのか、独りよがりの授業になっていないか。生徒との関係を見直さなければならないと思う。
 大阪スタタリングプロジェクトから初参加の香緒里さんも声の演出を受けた一人だ。「からす」役の彼女は難発からスムーズに台詞が出てこない場面があったのだが、演出の過程で太く伸びやかな声が出てきた。まさに「声が生まれる」現場に私たちは立ち会うことができたのだ。
 渡辺さんが丁寧な演出を通して伝えてくれようとしたことは、子どもたちとの劇づくりのあり方であった。これを糧として荒神山へと向かうことができるだろう。私たちはワー、キャー言いながら大笑いで、そして真剣に、相手に言葉を届けること、人と関わることの楽しさ、喜びを表現した。事前レッスンだけでも参加したいというメンバーの気持ちがわかってきた。こうして私はキャンプの精神を学んでいった。
 心地よい疲労感を残して事前レッスンは終了した。何十年ぶりかで「手のひらを太陽に」を歌うこともできた。歌いながら胸に迫るものがあった。「僕はこういう場を共有できる人と出会いたくて教員になったのだったなあ」という気持ちがこみ上げてきたからだ。どもる子の親としてのキャンプから私自身のキャンプになった瞬間だった。
 あとは当日を迎えるわけだが、その前になぜ私がこの場にいるのかについて述べてみたい。

娘がどもり始めた頃

 昨年の秋、当時小学5年生だった私たちの娘の苑珠(えんじゅ)が家での音読の際に、「言葉がつまって読めない。読めるのに読めない」と目をはらしながら訴えてきた。聞くと、学校でも同様で、言葉がつまってすぐに出てこないので、担任の先生から読み直しをさせられているというのだ。確かに、国語の教科書に向き合う娘の口からは「……。…っ」という感じでスムーズに言葉が出てこないではないか。4年生の時には宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を暗唱していたのになぜなのか、私は戸惑うばかりだった。肩があがり、浅い呼吸で息を吸ってばかりいる娘に、「ゆっくりと、リラックスして読んだら」というような典型的なピントはずれのアドバイスをし、過度の緊張か、何らかの神経症を疑うくらい当時の私は「どもり」に関して無知だつた。
 自分のことが大好きだった娘が、涙を流しながら悔しそうに「わかっていて読めないのは、自分がバカだからだ」と言い出してきた時には、連れ合いと二人でさすがに動揺した。アドバイスにならないアドバイス、励ましにならない励ましをしながら、彼女の音読につきあうしかなかった。そうしているとつまる以外にも、言葉の繰り返しや引き延ばしがあることもわかってきた。
 ここで、娘が3,4歳の頃の記憶が甦ってきた。いろいろな言葉を急速に覚え始めた娘は時々、「え、え、えんじゅ」や「えーんじゅ」という言い方をしていたのだ。吃音かもしれないとは思ったものの、一時的な現象としてしか当時は、理解していなかった。何よりもその話し方をとても、チャーミングなものと感じていたし、独特なリズムを可愛いとしか思っていなかった。
 学齢期に入っても、言葉の問題で課題があるとの認識はなかった。たまに感情が高ぶると、話す際に一瞬、間が空くことがあったが、この子は気持ちがいっぱいになると、言葉が追いつかないのだと考え、これまた、可愛いなあと思っていたのだ。
 ここにきて、これだけ鈍い、勘違いの私も彼女の示している状態が吃音であろうと考えた。しかし、私は吃音に関してはまったくの無知である。まずは正確な知識を得ようと思い、日頃からよく見ている「arsvi.com 生存学」というサイト内で「吃音」と検索した。そして、最初にヒットしたのが、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)の内容紹介であった。

「大阪吃音教室」との出会い

 柔らかい題名と内容紹介にひかれて、さっそく購入して読み始めた。娘がつまると表現する状態が「難発」であり、毎晩訴える不安は「予期不安」、「場面恐怖」、「吃語恐怖」によって説明できること、彼女がなぜ電話に出ることを避けるのかということも了解できた。目からうろこが落ちたと同時に、彼女の「どもり」をわからなかったことに親として申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 何らかの課題をもつ子ども・生徒に寄り添うことが教員としての倫理であると自認していたのに、自分の子どものことが見えていなかったのだ。
 これを契機に伊藤伸二さんの本を手にはいる限り集めた。しかし、何がそこまで私を駆り立てたのか。ひとつは、吃音のもつ豊かな世界に魅せられたからであり、もうひとつは私が関心もつ他の課題、「発達障害」と吃音とが共振するからである。
 たとえば、発達障害に関する研修会などでは、進路選択にあたっては当事者の「自己理解」が重要であることが語られる。そして、自己理解のためには「障害受容」が必要であるともいわれる。自己理解までは納得できる。しかし、「障害受容」という言葉にはある種の暴力性がある。当事者や親にとって、その特性とは生涯向き合っていくものである。うまく向き合える時もあれば、困難な時もあろう。「ゆれ」を伴いつつ、向き合っていくものであるはずだ。受容できる、できないという考え方は乱暴だろう。
 そもそも、「発達障害をもつ本人や保護者の障害受容ができていなくて困る」というような文脈でこの言葉を使う教員は、自分とその生徒との関係性の中で、ある特性が「障害」として現象していることが理解できていないのだ。
 しかし、日本吃音臨床研究会、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室では、吃音と「つき合う」という言葉を使う。「つき合う」ということなら、うまくつき合えている時も、うまくつき合えない時も「つき合う」ということであろう。私にはこの言葉の包含する世界の広さが新鮮だった。そして、本からだけでなく、そのつき合い方の「流儀」、「生の技法」とでも呼べるものに触れたいと考え、勿論、娘のための情報を得るためにでもあるが、昨年末に「大阪吃音教室」に一度、参加した。
 そこは、参加者の率直な自己開示に支えられて新たな視点が提示される、驚きと笑いの絶えない場であった。私はその場のもつ力に魅了され、以来ほぼ毎週参加するようになった。そして、ここが主催するキャンプへの思いが膨らんでいった。

「出会いの広場」という装置

 キャンプ初日、「開会のつどい」では主催者挨拶に続いて、参加者紹介が行われた。ひとかたまりになっている家族、離れて座っている家族がいる。複数回参加の子どもは顔見知り同士で座っている。参加者間のいろいろなつながりを見ることができる。初参加の親の中には、自分の子どもがこの場で、友だちを得ることができるのだろうかと不安をもつ人もいるだろう。しかも、ここからは家族単位ではなく、親は親として、子どもは子どもとしての活動に参加していくのである。「出会いの広場」は今年度のキャンプ参加者としてのアイデンティティと連帯感の形成を目的としている。スタッフを含め、初参加者と複数回参加者とがともに、ここから新たな関係性をつくっていくのである。
 担当は桑田省吾さん。桑田さんが登場するだけで何か、楽しいことが始まる予感がする。会場のあちこちで、「吃音ワークブックの表紙にのってるおっちゃんや!」という歓声があがっていたに違いない。ゲームは会場を走り回りながら、参加者同士でコンタクトをとる形のものが多く、ごく自然に「こんにちは、よろしく」と挨拶を交わしている気がした。みんな真剣に遊んでいる。親も子どももゲームに夢中だ。ジェスチャーゲームは大盛り上がり、この勢いがあれば芝居も心配いらないかも!?ウクレレ登場など桑田さんの引き出しの豊かさに感心しつつ、少し息が上がってきた頃には心も体もすっかりリラックス、お互いずっと前からの知り合いのようである。ゲームの最後は、「どもりカルタ」。カードを選び、声に出し、「わかる、わかる。私もそう」という思いを引き出したところで、次の活動へと移っていくのである。
 ここで形成される連帯感はキャンプ全体を支えるものである。これがあるから、初参加の親も親としてはいくらでも心配事や気になることはあるであろうが、安心して子どもをこれからの活動にゆだねることができるのだし、自らは親の学習に励むこともできるのだと思う。
この連帯感を証明する例として、食堂の利用状況があげられる。通常、このキャンプのように席が決められていない場合には、席はなかなか埋まらずに、気まずい空気の中で時間が過ぎて行くものなのだが、食堂にやってきた人たちは空いている席を見つけては次々と埋めていったのだ。実に気持ちのよい行動だと思う。本質的なことが共有できていれば、人は自主的に動けるものなのだ。

吃音についての話し合い

 さて、これからはキャンプの3つの柱に従って報告をしていく。「話し合い」は親も子どもも90分が2回、間に「作文教室」を挟む形で行われた。
 親グループは4つに分けられ、そこに、ファシリテーターとしてスタッフであるどもる大人や「ことばの教室」の教員も入る形で行われた。悩みを抱えてキャンプにやってきた親にとってはその悩みを受けて止めてくれる人と出会えただけでも大きなことだろう。複数回参加者からの反応や共感は孤立感から解放してくれるし、そこに親として目指すべきモデルを見出すこともできる経験だ。一方、複数回参加の親にとって、その姿はかつての自分の姿であり、なんとかここまでやってきた自分を確認できる経験である。みんな驚くほど、同じような体験をしてきたことを知り、しかし、それへの対応は実に様々であることも知る。いろいろなやり方、考え方があることを知り、価値観を広げていくこができる。
 親にしてみれば、「ことばの教室」の教員がいることは自分の子どもの教員との関係を考えるための、よい参考となるだろうが、むしろ「ことばの教室」の教員にとってこそ、こうした親の思いを聞くことは、自らの日頃の子どもや親との関わりを振り返る契機となり、今後の関わり方の糧となるに違いない。しかし、親にとって一番ありがたいのは当事者である、どもる大人の存在だ。ともすれば、親というものはどもったままでこれから大丈夫なのか、進学は?就職は?というように不安を先取りしがちになるものだが、どもるスタッフの存在は、どもりながらでも何とかちゃんとやっていけること、自分自身の人生を時には一人で、時には仲間の力を得ながら切り開いてきたことを雄弁に語っている。それだけでなく、どもる大人は参加者に自分の体験、悩んだこと、考えたことを語ることを通して「他者貢献」している存在でもあるのだ。当事者の姿に励まされて、親はわが子の成長していく力を信じていこうと思えるのだ。
なかには成長したわが子がスタッフとしてキャンプに参加する姿を想像する親もいるだろう。生きたモデルとしてのどもる大人の存在意義は大きい。
 いずれのグループの話し合いも充実したものだったろう。それは、子どもの劇に先立つ親グループによる表現活動・パフォーマンスの爆発ぶりによく表れている。話し合いの充実度と表現活動の完成度は比例するものだろう。
 子どもの話し合いのグループは年代別の構成になっている。私は川崎益彦さん、西尾加奈子さんとともに中学3年生のグループを担当した。饒舌ではない、でも言いたいこと、話したいことはもっている。自分の中で言葉を選びながら、考えることと話すスピードとが同調するかのように、とっとつと紡ぎ出されてくる言葉。前の人の発言が次の人の発言を引き出し、繰り返されていく静かだが深い応答。いろいろな考え方、感じ方の交換を通して、自分自身の考え方や価値観が広がっていく経験。高校生になって入るつもりのクラブでの自己紹介に対する予期不安への対処法や言葉がつまったときの工夫、目の悪さにはマイナスの印象はもたれにくいのに、吃音がもたれるのはなぜなのか。いくつかのテーマが重なるようにして話し合いは続いていった。目の前にいる相手の発言を受け止めて応答していくその誠実な姿勢に、話し合いはその過程において、自己変容を伴うものだということを教えてもらったように思う。
 他グループの話し合いの内容は夜のスタッフ会議で報告される。高校生グループでは恋愛についての悩み、不安が話題となり、来年結婚するスタッフの香緒里さんの体験が共有されたという。彼の親の前でどもりながら挨拶をする香緒里さんをまるごと認めている彼の話を、高校生はどのような気持ちで聞いたのだろうか。また、あるグループではどもりを理由にいじめてくるクラスメートと朝起きたら、その立場が逆転していたらどうするかという思考実験をしてみたところ、百万倍で仕返すという冗談もあったが、「他のことを理由としていじめることはあっても、どもりを理由にしては絶対にいじめない」という意見が出たという。自分の痛みを他者のそれへと想像できる感性の豊かさをもつ子どもがこのキャンプには多くいるのだろう。どのグループも「話し合い」が成立し、吃音と自己について語るべき言葉があったということは、たとえつらい体験であったとしてもそれを見つめる力を、どの子どもももっているということなのだ。その力を認めること、子どもという他者を私たち大人がまず信頼することが必要なのだろう。それはやがては子ども自身の自己肯定につながっていくはずだ。
 2日目の朝には、「作文教室」がある。話すことが好きという子どももいれば、書くほうが自分の気持ちを表現できるという子どももいるだろう。話し合うということが他者の視点を取り入れる行為であるのに対して、「書く」ということは鉛筆と紙との摩擦を通して、自分の経験を刻み込み、形作っていく行為である。書くことは、自分の経験の意味を構成していくことなのだ。そこにはある種の浄化作用もあるだろう。「作文を書いて、すっきりした」という感想がそれを物語っている。
 初日に十分に話せなかった子どもも書くということで考えが整理され、話し合いにも積極的に参加できるようになる。書くと話すがリンクすることでより深い洞察にいたる。2日目の話し合いの深さは作文教室によって保障されている。
 聞いてくれる仲間の存在が話すことを保障するように、作文に取り組んでいる仲間がいるから、書くことが苦手な子どもも作文に取り組むことができる。子どもたちはひとつのハードルを乗り越えたのだ。仲間に支えられて、話す・書くという方法で吃音とつき合うというサバイバルの仕方、「生の技法」の実践を経験したといえるだろう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/05/29