
3月のはじめ、今年のアカデミー賞授賞式の様子をテレビで見ていました。子どもの頃から映画が大好きで、それも洋画が大好きだった僕にとって、あのアカデミー賞授賞式の独特の雰囲気はなんともいえず、心が躍る時間です。
14年前のアカデミー賞授賞式、いつもよりずっとわくわくしながらテレビの前にいたことを思い出します。「英国王のスピーチ」が作品賞に輝いた瞬間、思わず大きな拍手をしていました。今日は、映画「英国王のスピーチ」の特集です。
どもる人を主人公にした映画を作りたいという夢は、難しそうですが、この「英国王のスピーチ」がその代わりをしてくれそうです。「スタタリング・ナウ」2011.3.20 NO.199 より、まず巻頭言を紹介します。
英国王のスピーチ
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
どもる人を主人公にした、劇場映画をつくりたい。これは私の長年の夢だった。
1965年、どもる人のセルフヘルプグループを設立するまでは、勉強も遊びもせず、将来への希望も夢もまったくもてなかった。小・中・高校時代で楽しい思い出は何ひとつない。私は、どもりと共に暗黒の学童期・思春期を送ったのだった。
どもりを治すことを諦め、共に生きる覚悟を決めてから、私の人生は一変した。セルフヘルプグループの活動は、完全に抜け落ちていた学童期・思春期のやり直しだった。夢がないのがつらかった私は、「そんなこと、実現できるはずがない」と言われるたくさんの夢を仲間に話した。
・自分たちの自前の事務所をつくる
・会を日本全国各地につくっていく
・吃音の専門雑誌をつくる
・全国各地を巡回して相談会を開く
・世界で初めての世界大会を開催する
・吃音を生きる主人公の劇場映画をつくる
会の創立当初、このような夢を語る私に、百にひとつしか本当のことを言わない「百一」や「大風呂敷」のあだ名がついた。これくらいのことをしないと、私の失った学童期・思春期をを取り戻せなかったのだ。世界大会の開催などは、誰ひとりまともには取り合ってくれなかったほどだ。
しかし、これらの夢は、「劇場映画」だけを残して、すべてが実現している。
吃音克服劇ではなく、吃音に悩みながら、仲間とともに誠実に生きる人を主人公にした映画。シナリオは、「若者たち」の脚本家で親しくしていただいていた山内久さんに具体的にお願いもしていた。監督は羽仁進さんにお願いしようと構想を立てていた。しかし、タイミングがあわずに、立ち切れになったまま、長い年月が過ぎた。この夢だけは、私はあきらめなくてはならないのか。
「英国王のスピーチ」を配給会社の試写室で報道関係者15名ほどと観たとき、私は泣かなかった。普段私は、映画や小説を読んで、人目をはばからず泣く方だ。ジェームス・ディーンの「エデンの東」は30回ほど観たが、同じシーンで必ず泣いてしまう。「英国王のスピーチ」に心動かなかったわけではない。報道関係者用の試写会で、吃音関係者として適切なコメントをしなければならない、ひとつのシーンも見逃さないぞと集中していたからだろう。
私の関心は、スピーチセラピストの言語訓練によって、英国王ジョージ6世の吃音が改善して感動的なスピーチをするような克服劇だったら、嫌だなあという一点にあった。期待と不安が交差していた。前評判は高く、アカデミー賞12部門にノミネートされている。前評判がいいのは、ハリウッド映画好みのサクセスストーリーになっているからではないかとの危惧もあった。
しかし、映画は、ひとりではとてもできないスピーチをスピーチセラピストの援助でかろうじてやり遂げたという内容だった。試写会で観たときは、まずそのことにほっとした。変な映画ではなかった。これなら、吃音に関係する人々に紹介できる、そのことがまずうれしかった。
2回目は、いつもの映画を観るときのリラックスした状態で、やはり何度か泣いた。映像の流れるままに身を任せた。試写会での批評家としての視点ではなく、ジョージ6世と同じように吃音に強い劣等感を持ち、かつて吃音に深く悩んできたひとりの人間として映画の中にいたからだ。
冒頭の場面、マイクを前にして声が出ない。多くの国民が聞いているが、誰に話しかけるかという直接的な相手ではなく、ただ目に見えない存在に対して語りかけることは恐怖だ。私は、小学校5年生のとき、いたずらやからかいで無理矢理生徒会長への立候補のあいさつをさせられた。忘れていたあの光景が、ぼんやりと思い出された。
「英国王のスピーチ」は、私の企画した映画よりスケールが大きい。私がつくる必要がなくなった。この映画を、私たちがつくったものととらえ、広く紹介し、多くの人と語り合おうと決めた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/28