「スタタリング・ナウ」2010.12.20 NO.196 に掲載の、第13回ことば文学賞の作品を紹介してきました。今日は、同じ号に掲載した山口県の岡本さんの体験を紹介します。この体験は、NPO法人全国ことばを育む会の元理事長の加藤碩さんが聞き手になって、岡本さんにインタビューをした形になっています。
加藤さんが理事長だったときに、NPO法人全国ことばを育む会から、両親指導の手引き書「吃音とともに豊かに生きる」のパンフレットを発行していただきました。「スタタリング・ナウ」も読んでくださっています。難聴の娘さんの子育ての中で考えられたことと、僕たちの吃音とのつきあい方に共通することが多く、親の会の全国大会や全難言協の全国大会でお会いすると、いつもいろいろお話をしてくださいます。
日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2025/04/19

一生、吃音とつき合うのならウジウジすまい
岡本芳輝
山口県立宇部西高等学校教諭 社会科担当
(山口県小野田市・小野田小学校ことばの教室卒業生)
岡本芳輝さん(35歳)は、いま山口県下関市にある下関商業高校の社会科の先生をしています。
小野田小学校のことばの教室に通級していました。
お母さんの瑞穂さんは、山口県親の会の初期の頃からの熱心な役員で、私とも一緒に「ことばの教室」の充実のために、県教育委員会にも足を運びました。今も、もとめられると吃音児のお父さん、お母さんの勉強会で話をしていただいています。
芳輝さんの人生観は、「たたかい」ということばに尽きるのですが、話していて「しゃべらないでよい職業はない。一生、吃音と付き合うのならウジウジせずに、やりたい教員になろう」という一言が強く印象に残りました。
小野田市の自宅を訪ねて、お母さんとご一緒にお話をお聞きしました。
(聞き手・NPO法人全国ことばを育む会副理事長、加藤碩)
自己紹介と本読みがもっとも苦手
加藤:ことばの教室とのかかわりについて話してください。
岡本:広島市で生まれて、幼児の時、母が教育相談に私を連れて行って、中島小学校の幼児教室に通いました。小学校の「ことばの教室」は山口県に転居した後、小野田市で週一回の通級でした。そのころは「どもりをなおそう」という思いが強かったので、自己紹介と本読みが、もっとも苦手でイヤでした。
加藤:吃音についての岡本さんの考えを聞かせてください。
岡本:ことばの教室の指導で、いちばん禁物なのは、「治療する」という考え方だと思います。この立場が子どもに押しつけられるのは、吃音児にとって苛酷です。よく先生の中には、「岡本君はゆっくり言えば、言えるのよ」などと言う人がいますが、大きなお世話だと思います。
「ことばの練習をしましょう」などとこどもに指導するのもタブーだと思います。
どもりも個牲という考え方で
岡本:「どもるのもその人の個性なのだ」という自然な考え方が、子どもたちを伸ばすことになると思います。私も「治す」という気持ちから自分を解放して、自己紹介も「あいうえ岡本です」とサラリと言うようになりました。
加藤:そんな気持ちが自然になったのは、何時頃からですか。
岡本:安心、心安らかな気分になったのは、高校生の時でしょうか。そして自分の将来の職業の選択についても、「営業をやらなくて良い仕事として、教員になること」を真剣に考えるようになりました。
加藤:進路を決定する頃のことを少しくわしく話してください。
岡本:大学は東京で、文学部の地理学専攻です。高校時代の社会科の先生からいろいろ教えられたこと、旅行が好きで地図を見ているのがなにより好きだったことなどが地理学を選んだ動機です。大学を卒業する時に、何の準備もしないで一般企業の就職試験も受けて、どもりがひどく大失敗しました。その時は、やはり「吃音を治したい」と強く思いました。結局、大学院の地理学専攻科で学びなおして、二年目に山口県の高校の採用試験を受けて、合格しました。
加藤:不安や悩みはありませんでしたか。
岡本:正直言って、不安はありました。しかし、「不安だから教員になることをあきらめる」では解決にはならない。不安以上に教員への魅力がありましたね。結局こう考えたんですね。「しゃべらないでよい職業はない。一生涯、吃音とはいずれにしてもつきあわねばならない。それならやりたい教員の道を選ぼう」と。高校生達は、ほとんど私を気にしていません。ウジウジしないで、普通に授業も生徒との会話も進めていけば、不思議とどもらないですね。心の高ぶり、緊張感というのは誰しもありますから、その気持ちを自然に表わしてつきあっていけば、それでよいと今は思っています。
加藤:私の娘は難聴で、あなたと同い年ですが、「一生涯つきあっていく」という腹が固まって、障害を受け入れると「明るく、のびのびと生きていける」という点で、よく似ていると思いますよ。
お母さんに不満をぶつけたことも
加藤:どんなお母さんでしたか。
岡本:そのとき、そのときにいろいろなことがありましたが、母は話しことばについては、私にそんなに干渉がましくしませんでした。むしろ私のほうが、不満や苛立ちの気持ちを母にぶつけたことのほうが多かったと思います。今では、ぶつけられる対象があったことを幸せに思い、母に感謝しています。
瑞穂:私は、芳輝の吃音については、ほとんど何も言わなかったと思います。普通につきあってきました。いまでも吃音児をもつお母さんやお父さんには、自分の子育ての頃のことをそのように話しています。息子は、真剣にたたかっていたのでしょうが、私が息子に代わるわけにもいきませんからね。
加藤:障害を持った子ども達や高校生への指導のことについて話してください。
あきらめない人生をと激励
岡本:障害をかかえている生徒へのきめ細かな配慮や激励をとくに心がけています。片目が義眼の女生徒がいました。その生徒は、美容師になることが夢でしたが、片目が不自由であることから、自分の夢をあきらめかけていました。私は「片目が見えないからといってあきらめるの?」と粘り強く激励してきました。いまその女生徒は、高校を卒業した後、美容学校に入学して頑張っています。障害のあるなしにかかわらず、「どうせ僕はだめなんだ」と内へ内へとひきこもってしまう傾向が青年たちにあります。そういう状況にしないで自己肯定感をもてるようにしていくことが大切だと思います。
加藤:最後に、ことばの教室の「親の会」や先生方に一言。
岡本:こどもは一生懸命生きようとしています。たたかっているんです。その子ども達の一生懸命さを支援する立場、きめ細かく一人一人の実情に合わせて支援することが、親にも先生にも、もとめられていると思います。社会に出てから自分の良さを生かして「自分らしく」生きることができるように支援する「親の会」であってほしいと思います。
日本吃音臨床研究会の伊藤伸二 2025/04/19