2010年度の第13回ことば文学賞の作品を紹介してきました。今日で3作品目、最後です。(「スタタリング・ナウ」2010.12.20 NO.196 より)

  
どもりは審査委員長
                          赤坂多恵子
 私の人生の第一次審査は"どもり"が担当する。仕事を探す時は、社名は言い易いか、住所や電話番号すら言い易いかどうか審査の対象となる。そして会社訪問すると電話の台数に目がいった。あんまり多いとパスもした。
 当時は就職口も今より豊富にあり、こんな事も出来たのかもしれない。言い易いと思って入社した会社も、いつの日か言いにくくなる時がある。そんな時は次の会社が私を呼んでいる、待っていると解釈し退職の方向に向かう。彼を選ぶ時も名前は何? がひとつのポイントとなる。言いにくい名前を超えるほどの男であればいいのだが…。これって、どもりに左右されているのか? 私はそうは思わない。どもりが原因で行動範囲が狭くなったらいけないかもしれないけれど、私は"どもり"で選択し判断し決断し行動する事が出来た。私がどもりになった意味はそれを"ものさし"にしろと神様が言っているように思えた。
 選択肢が多くても私は悩むばかりだ。どもりのお陰であまり迷わず生きて来られたように思う。風水も占いも私には関係ない。
 どもりの私が私らしく生きるとは、まずどもりから逃げる方法を考える。そして、逃げられないと思った時は覚悟を決める。何度かエイッと山を越えてきた。
 某生命保険会社に就職した時は学校を担当する事になった。まず、気になる学校名だ。自転車で行ける範囲の学校は…。高鷲南小学校、高鷲南中学校、河原城中学校…。
 「えっ?!」タ行力行のオンパレード。愕然。だが、言い易いとか、言いにくいとか言っていられなかった。毎日のように訪問するので、行きやすさを優先せねばならなかった。逃げる事が得意な私なのだが、この時ばかりは逃げられなかった。生活の為に仕事を辞める訳にはいかなかった。覚悟を決めた。上司に報告する時、学校名を言わねばならず、この時もあの手この手でサバイバル。何とか切り抜けた。"タカワシ"なんかタ行の中でもスペシャル級に言いにくい言葉だ。だが、半年もすると"高鷲南"は言い易くなっていた。"河原城"も。慣れる事はいい事だ。いろんな山はどうにかなるものだ。
 ある時、いつものようにお客様の家のチャイムを鳴らした。「えっ?!」、あんなに言い易かった社名が出ない。予期せぬ事だ。社名を言わずに自分の名前だけを言ったのか、「あのーあのー、すみません」と言ったのかよく覚えていない。その日を境に社名がしんどくなった。ふと、今の自分を見つめ直した。どもりに関係無く仕事も行き詰まっていた。運よく、次の仕事も待っていたので退職した。その一年後、その生命保険会社は破綻した。
 もうひとつ、どもりのお告げは。私は長い間、いろんな事情と言い易さで、別れた夫の姓を名乗っていた。非常に言い易い名前だったのに、不思議な事にだんだんと出なくなった。旧姓に戻す時期が来たんだと考えた。次、今の名前が言いにくくなったら? うん? 何がある? このように、私の人生の選択は、最初に"どもり"がする事になる。どもりを信じ、前へと進む。どもりでなかったら、こんなに決断力、行動力があっただろうか。不安をいっぱいもらったどもりだけれど、人生の不安を軽くしてくれたのも事実だ。それと"ものさし"と表現していいかどうか分からないが、私がどもった時つまった時、相手の表情や態度でその人が少し分かるような気がする。優しく微笑んでゆっくり言葉を待ってくれる人が私は好きだ。これからも、どもりを信じ、どもりにゆだねて生きる。どもり人として、これからも私らしくありたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/04/18