昨日、紹介した久保田功さんの論文に対して、どもる当事者の立場から、大阪スタタリングプロジェクト会長の東野晃之さんが感想を寄せてくれました。

  
吃音と向き合うことの意味
            大阪スタタリングプロジェクト(大阪吃音教室)会長 東野晃之

 吃音と向き合うとは、何なのか。吃音に悩む人は、吃音に不自由を感じ、影響を受けているのを自分で知っている。どもる不安や恐れから、言いたくても言わない心理的な葛藤や逃げる行動など、日常意識している。なのになぜ、あらためて自分と向き合わなければならないのか。就職活動の二人の吃音の青年の考察に、その答えがあるようだ。
 特にB君に関するものが、私の体験とも重なった。4回目の就職試験を前に、専門家を訪れる。「吃音を何とかしなければ」との危機感が動機となり、両親に初めて吃音の悩みを告げ、重い腰を上げたのだろう。1回目の就職試験の失敗から経過した3年、さらにさかのぼれば小学校3年生の時のことばの教室への通級後、大学卒業まで、ここに辿り着くのに長い時間を要している。このことは、大阪吃音教室を訪れる若者の多くにも見られる。どもり始めた後、学校生活で特に深く悩まず、相談経験もなく過ごし、就職活動を機に、ようやく自分の吃音に目を向ける若者が最近増えたようだ。
 吃音で不自由し、影響されているにもかかわらず、取り組むまで時間がかかるのは、吃音が「隠せる障害」だからだ。黙っていれば表面上間題は起こらない。必要最小限の会話でその場をやり過ごせるからだ。吃音の問題と直面するのを避けることが、吃音の対処を遅らせる。社会へ出る関門である就職活動は、吃音の問題と直面するきっかけになる。吃音と向き合ってこなかった人にとって、自分の吃音体験の他は、吃音についてほとんど無知の状態にある。「面接でどもらずにしゃべる方法を教えて欲しい」と訴えるB君の心境はもっともだろう。また面接の時、どもるのを恐れ、あまり喋らなくて済むように事前の提出書類を簡単に済ませるところに吃音へのとらわれが表われている。
 対照的に吃音症状が目立っA君は、就職活動に積極的である。どもる事実を認め、どもる自分に適した職業選択を早くから考えている。この差は、吃音症状が重かったからかも知れないが、早期にどもる自分と向き合ってきたことだろう。吃音との向き合い方には、個人差があるのがわかる。
 吃音に悩む人の最大の関心は、「吃音は治せるのか」だろう。私たちは、吃音は自然に変わることはあっても、完全には治らないと考え、どもる事実を認めて吃音と上手につき合うことを目指している。だが、治療法がない中でも、吃音を治す方向にいる人たちもいる。どちらの方向に進むかで、吃音との向き合い方は変わる。吃音は忌み嫌うものではなく、自分の一部とみるとき、これまで吃音に影響されてきた自分の姿を見つめることになる。人とのコミュニケーションが欠かせない社会生活で、時には自分の弱さを見つめ、吃音を持ったまま暮らすためにはあらゆる知恵をしぼらなければならない。よき相談相手や仲間が必要だ。
 私たちと同じ立場に立つ専門性をもった言語聴覚士の存在は、嬉しく心強い。面談によるきめ細かな援助は、セルフヘルプグループでは難しい。最後に添えられた、吃音を対象にする言語聴覚士を増やすことは自分の使命だという筆者に感謝する。(「スタタリング・ナウ」2010.1.23 NO.185)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/03/14