吃音の問題を考えるとき、一番大切なのは、どもっていることを「かわいそうと思わない」ことだと、僕は思います。特に、幼児吃音では、このことが最大のことではないでしょうか。保護者に、自分の母親から「かわいそう」な存在と見られたらどう思いますかと問いかけると、ほぼすべての保護者が、「それは嫌です」と言います。どもっている子どもを、「かわいそう」ではなく、「今、どもって話しているなあ」とそのままを聞くこと、そしてしっかりと応答することが出発のように思います。
「スタタリング・ナウ」2009.7.21 NO.179 の巻頭言を紹介します。明日からは、前号に続き、水町俊郎さんの愛媛大学教育学部障害児教育研究室紀要をもとにした「DCモデルによる吃音児指導の概要」を紹介していきます。

  
DCモデルと幼児吃音の臨床
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 「子どものことを、かわいそうだと思わない」

 幼児吃音の取り組みは、これにつきる。一般的によく言われる「吃音を意識させない」は、あまりにも弊害が多い。幼児であっても、自分の話し方が人と違うことを意識している場合は少なくない。私たちがしなければならないのは、「吃音をマイナスのものと意識する」ことを防ぐことだ。
 自然消失してしまえば問題はないが、消えずにどもり続ける場合、吃音に対して、否定的な感情や考え方をもつと、「まあ、どもってもいいか」と、どもる事実を認める、ゼロの地点に立つのに、大変なエネルギーと、意味ある出来事や人との出会いを必要とする。
 私が開設している「吃音ホットライン」には、電話相談が毎日2件以上あるが、一番多いのが幼児の吃音の相談だ。どもり始めてまだ3日目という相談もある。そして、母親は例外なく、「このままでは、かわいそうだ」と思っている。
 こんなに早く相談できるのは、インターネットのおかげだが、危険も多い。吃音については、様々な情報が錯綜し、親は、強い不安をもっている。いろんなサイトの吃音の原因についての情報で、「私のせいで、子どもがどもり始めた」と子どもへの罪悪感をもつ。情報の洪水に飲み込まれ、おぼれそうになって、やっと日本吃音臨床研究会のホームページにたどりつく。
 私は、母親の、吃音についての今の思いや考えに、まず耳を傾ける。不安、罪悪感、あせり、とまどいなどをほとんど出し切ったと思えたころで、初めて私は、どうしてそのように、感じ、考えるのかと問いかけていく。小児科医や児童相談所、インターネットなどの誤った情報によって、不安や罪悪感を募らせていることがわかる。私は、必要最小限の吃音についての事実を正直に伝える。「治りますか?」との質問には、自然治癒の話をする。自然治癒率も、10%から80%まで、研究者でかなり違う主張があるが、45%が妥当なところと考えられ、治らない可能性があることを、どもり始めて3日の子どもの場合にも伝える。
 また、どもり始めたのは、決して母親の責任ではないことも強調する。原因はいろいろな説があるが解明できていないこと。専門家の指摘するよくない母親の態度によってどもり始めるのなら、世界中にどもる子が増え続けるだろう。どんなに理想的な育て方をしてもどもる子はどもるし、どんなに最悪な育て方をされても、どもらない子はどもらない。今日から、自分の責任だと思うのはやめましょうと話すと、ほっとしたのか、電話の向こうで泣いている。
 自分のせいだと、自分を強く責めている親の罪悪感からの解放は第一にすべきことだ。そうして、いろいろと話していると、親の方から自分自身について、このように話し出す場合が多い。
 「早口のような気がする。最近いらいらしている。しつけに厳しすぎるかもしれない。叱ることが多くなっているようだ」
 「誰でも、イライラしたり、叱ることはある。それが原因ではないけれど、お母さんが、そう自分で思うんだったら、少し話すスピードを遅くしたらいい。叱りすぎず少しだけ大目に見たら」などと、親ができる範囲のことを提案する。
 DCモデルに沿った臨床のように、親の態度を詳しく評価することはしないし、質問して確認することもない。親が自ら気がついて自分で言ったときにだけ、DCモデル的な提案をする。
 今回紹介したDCモデルについて、原因論として考えること、楽にどもる見本を見せることなど、納得できないところはある。しかし、100%賛成できなくても、リッカムプログラムよりははるかに、幼児吃音の臨床に役に立つと私は思う。
 吃音を否定しない基本に立ちつつ、自分にとって都合のいい、使えるところだけを活用する。そのしたたかさは、吃音の臨床にとっては必要だ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2025/02/09