大阪セルフヘルプ支援センターで知り合った松田博幸さんが、セルフヘルプグループの置かれている状況について書いて下さいました。「スタタリング・ナウ」2008.5.20 NO.165で特集したものを紹介します。松田さんは、吃音とは全く関係がないのですが、“セルフヘルプグループは治療の場ではなく、生き方をともに学ぶ場”だという共通のとらえ方でしっかりつながり、これまで長いおつきあいをさせてもらっています。毎年12月に(今年は11月でした)大阪府立大学(現在の大阪公立大学)の松田さんの授業の一コマを使って、僕のセルフヘルプグループ活動の話を聞いてもらっています。僕にとっては学生と対話をする良い時間になっています。

  
セルフヘルプグループを通してみえてきたこと
                  大阪府立大学 人間社会学部 松田博幸


◆はじめに◆
 私自身、吃音について専門的に研究しているわけではない。また、吃音の当事者でもない(ただ、ごくごくまれに、突然どもり出すことがあるが・・・)。セルフヘルプグループ(以下、SHG)に関心を持ち、大学院で研究を始め、SHGに関心を持つ人たちの集まりに参加するうちに吃音のSHGを知り、そこから吃音について知り、考えるようになった。
 したがって、SHGというものを通して吃音について考えるようになる、という、おそらくは、吃音の当事者でSHGに参加されている方がたとは、逆の方向から吃音と出会ったように思う。そして、だからこそ、今回、このような場で書かせていただく機会をいただいたのではないだろうかと思っている。
 あるテレビ番組のなかで、「吃音宣言」を書かれた故・武満徹さんが次のような内容のことを言っておられた。
 “EUやベルリンの壁の崩壊にみられるように人類が一つになることはすばらしいことかもしれないけれど、「うた」だけは千差万別の方がいい。今は「うた」が軽がると国境や民族を越えて世界に広がる。でも「うた」はみんな違った方がいい”
 私は、その言葉を、他人のことを簡単にわかったような気になることへの厳しい戒めとして受けとめ、さらに「吃音宣言」からのメッセージを思い起こした。私は、「吃音宣言」から、本来言葉は簡単には発することができないものであり、簡単に発せられた言葉は虚しいのだというメッセージを受け取っていた。
 人と人とが考えや気持ちを通じ合わせるのはそんなに簡単なことではないし、理論的にみて、完全にわかりあうことは不可能だと思う。しかし、不可能性から生まれる可能性というのがあるように思う。境界を越えることが不可能であることを認めることを前提にして生じる可能性があるのではないだろうか。そしてそのような可能性は、きちんと想像力を働かせながらていねいに人とかかわることを必要とするのだと思う。
 社会全体の動きをみていると、だんだんと余裕がなくなってきているように感じるし、そのような状況において、人と人とがていねいにかかわることが難しくなってきているように思う(私自身についてもそうだが)。他人のこと、そして、自分自身のことを簡単にわかったような気になったり、簡単に発せられた言葉がなかなか発せられることのできない言葉を駆逐してしまう。
 このようなときにこそ、SHGが大切になってくるのではないかと思う。かつて、海外からやってきた、精神障害を持つ人がある大会の壇上で、“SHGは人類の文化遺産だと思います”という発言をおこなった。今のような時代だからこそ、この文化遺産を大切に守っていく必要があるのだろうと思う。
 私は、この文章を書くことで、吃音を持たない自分がきちんと「越境」できるのかどうかわからない。しかし、チャレンジしてみたい。

◆さまざまなセルフヘルプグループ◆
 人は、所属するカテゴリーやアイデンティティを求める傾向を持っている。そして、ある状況においては、確固たるアイデンティティを持つことが必要になってくる。しかしながら、ときには、それらが揺らぐことを受け入れることで、新たな価値ある、人と人とのつながりができることがあるように思う。
 筆者は大学で、「社会福祉学」の「社会福祉方法論」という科目を担当している。「ソーシャルワーク論」と呼ばれることもある。また、“専門は?”と尋ねられたときにそのように答えることもある。しかし、「社会福祉学」も「社会福祉方法論」も、非常に曖昧な領域であり、そのことは私にとって非常にありがたいことであった(境界や内容を明確にしてソーシャルワーカーというアイデンティティを強化しようとする立場の人たちにとっては、まったくありがたくないことであろうが)。
 おかげで、これまで、一定のカテゴリーや一定のかかわり方(たとえば、専門的な援助関係、調査者―被調査者という関係)にとらわれずに、人びととかかわることができた。これが「医学」「心理学」「社会学」などというような領域、あるいは「社会福祉学」でも「障害者福祉論」「児童福祉論」「高齢者福祉論」などという領域に所属していたならば、そうはいかなかったであろう。
 筆者の場合、大学を卒業後、ソーシャルワーカーとして勤務していたが、ある職場に移ったときに、職場と仕事にまったく適応できなくなり、着任後すぐに仕事を辞めてしまったという体験を持っている。そして、短いひきこもりの時期を経て、研究を仕事とすることを目指すようになったが、その際に、専門職者としてのアイデンティティを確立したソーシャルワーカーの存在を前提とする既存の「社会福祉方法論」とはまったく異なった視点を持つようになった。
 それは、「援助される」立場に置かれている人びとが自らの手で自らや社会のあり方を変えていく活動を「社会福祉方法論」の中心にすえる視点であった。そのような視点から専門職者をみると、それらの人たちは「変える」存在ではなく、当事者によって「変えられる」存在として意味づけられる。やがて、そのような活動を具体化しているのがSHGであると考えるようになり、SHGに関する文献を読み、SHGの人たちが集っている場に出かけていくようになった。
 その結果、気がついてみると、さまざまなSHGの人たちとのつながりができていた。また、援助者あるいは調査者という関係ではない関係をそれらの人たちと持つようになっていた。そして、それらの人たちが語る、SHGに参加するまでの自分の物語やSHGでの体験談を聴いていると、人びとの間によく似た物語が存在することがわかってきた。病気が身体的なものなのか精神的なものなのか、あるいは、そもそも病気なのかそうでないのか、そういったカテゴリー化によって分断されることを拒む物語がSHGを越えて存在することがわかってきた。

◆生き方をともに学ぶ場◆
 精神科病院でソーシャルワーカーをしていた頃、私はアルコール依存症に関心を持っており、お酒に頼らずに生きていこうとしている人たちのSHGであるAA(アルコホーリクス・アノニマス)や断酒会の集まりに顔を出していた。そんなとき、断酒会の大会で、断酒会に参加しているアルコール依存症の当事者の方から、深く心に残る話を聴いた。その方が、ある日、断酒会の例会に行こうと外出の仕度をしているとき、小さな息子と次のようなやりとりをしたという話であった。

“おとうちゃん、どこいくの?”
“断酒会や”
“ダンシュカイって何?”
“断酒会は、生き方を勉強するところや”

 私がその話を聴いたのは今から20年ほど前のことであるが、いまだに、“生き方を勉強するところ”という言葉が心に残っている。けっして、“アルコール依存症を治療する場”ではないのである。その人の一言は、その後、私が、さまざまなSHGの人たちに出会い、その語りを聴くことを通して、より確かなものになっていった。そして、生き方の学びは、けっして参加者が個別におこなうのではなく、他の参加者と共同でおこなう過程であるということも、同時に、確かなものになっていった。
 先に、さまざまなSHGの人たちの語りを聴くなかで存在が明らかになってきた物語があると述べたが、そのうちの一つが、“SHGは治療の場ではなく、生き方をともに学ぶ場であった”という物語である。このような物語は、“難病”“精神障害”“死別”“吃音”等のカテゴリーを越えて、それぞれのSHGにおいて息づいているのではないかと思う。
 一見すると、SHGが治療の場であるようにみえる場合がある。たとえば、SHGに参加することで病気を持つ人の健康状態が改善されることがある。また、「問題行動」だとされること(たとえば飲酒)が止まることもある。しかし、だからといって、SHGにおいて治療がおこなわれているわけではない。SHGに参加する人がSHGを通して何らかの変化を体験し、“その結果として”健康状態が改善されたり、「問題行動」だとされることが止まるのではないだろうか。そして、その変化とは、生き方を学ぶことであると筆者は考える。
 それは多くの場合、社会における生きのび方を学ぶことでもあろう。筆者は大学において、SHGのメンバーに協力していただき、それらの人たちに自らの体験を語っていただく授業をおこなっているが、生き方を学ぶことができたという内容の感想をしばしば目に(耳に)するし、また、SHGに見学に行った学生から同様の感想を聴くこともある。治療法を学んだというような感想にはこれまで出会ったことがない。
 ソーシャルワークの発達の歴史を振り返ってみると、それが治療を目的とする活動なのか、社会変革を目的とする活動であるのかという長年の議論を経て(焦点は振り子のように揺れた)、1970年代に、それを人が環境と交わるのをうながすことを目的とする活動としてとらえる「ライフ・モデル」が形作られていったことがわかる。そして、それはその後のソーシャルワークの基本的な枠組みとなった。「ライフ・モデル」は個人の持つ一定の特徴を治療の対象としてみなす「治療モデル」とは異なる。「ライフ」は、生命、生活、人生を含む、非常に幅広い概念であるが、その一部にのみ焦点をあてて修正を加えるという発想が批判された。人が「ライフ」の営みを総合的におこなう際の内発的な力を高めることに焦点があてられたのである。人の生(せい)の過程に焦点があてられるようになったということもできるだろう。
 先に述べたように、筆者は、既存の社会福祉方法論(ソーシャルワーク論)がかならずしもSHGを語るのに適しているとは思わないが、治療と「ライフ」を対置させる図式は、SHGにおいておこなわれていることを明らかにする際に役に立つと思う。
 筆者は先に述べたように「○○福祉論」と行った領域にこだわらずにSHGの人たちと関係を作っていったが、結果として、精神障害者と呼ばれる人たちが参加するSHGに関心が向かっていった。以下、精神保健福祉領域に関する3つの話題を紹介することを通して、SHGは治療の場ではないことを述べたいと思う。武満さんが言われるように簡単に国境を越えることができない部分がありながらも、吃音のSHGの人たちにも響くものがあるのではないかと思い、述べる。
(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/12