いつの間にか、12月に入りました。今年も後1ヶ月となり、あまりにも時間の経つのが早く、びっくりしています。
11月29日金曜日の朝早く、大阪・伊丹空港から東京・羽田へ、そして、千葉へと向かいました。この日は、千葉市立登戸小学校のことばの教室を訪ねることになっていました。
登戸小学校は、千葉市で4番目にできた伝統ある学校でした。グループ学習の時間を設定し、子どもたちだけでなく、保護者も集まってくれました。子どもたちは、事前に、NHK Eテレの子ども向け福祉番組「フクチッチ」の吃音の歴史で紹介された僕の映像を見たり、『どもる君へ、いま伝えたいこと』(解放出版社)に書かれている僕の人生やプロフィールを読んだりしています。そうして、「伊藤伸二」について学習し、僕に聞きたいことをまとめて、当日、直接質問してくれます。
登戸小学校では、最初に、学校名、学年、名前と、自分の強みを発表した後、質問タイムになりました。子どもたちからの質問は、次のようなものでした。
・みんなはならないのに、どうして100人に一人は吃音になるのですか?
・本当に吃音は治らないのですか。伊藤さんは治らなくてどう思いましたか?
・伊藤さんはそんなに吃音が出てない気がします。どうすればそうなりますか?
・伊藤さんはどういうときに吃音が出やすいですか。ぼくは授業中に発表するときに出やすいです。
・小学校の時、吃音が出たらどのような対処法をしていたのですか?
・手を挙げて発表する勇気が出ません。どうしたらいいですか?
・小さいときの伊藤さんは、勉強や友だち作りをしていない時、どういう気持ちでしたか?
・大人になって吃音のことで困ったことはありますか?
・大人になって吃音のことを笑われたりバカにされたりしたことはありますか?
・大人になって吃音で困ることはありますか。僕は今困っていることはありません。
・吃音でよかったことは何ですか?
僕が小さいとき、勉強をしなかったり、友だちがいなかったことを、子どもたちは知っていました。事前に、僕が吃音に悩みすぎて、吃音を口実にして勉強もせず、友だちの輪の中に入っていかなかったことを知っていたからできた質問です。勉強や友だち作りをしていなかったときの気持ちを質問した子に答えた後で、「なんで、そんなことを聞くのか?」と逆に聞いてみたら、「勉強しないなんて、そんなことあり得ないと思ったから、聞いてみたかった」とのこと。子どもたちは、僕よりずっとまじめで一生懸命がんばっているということです。
「手を挙げて発表する勇気が出ません。どうしたらいいですか?」と聞いた子には、「勇気が出るまで、自信がつくまで待っていたら、僕みたいに老人になってしまうよ。勇気がなくても、ただ、手を挙げることなら誰でもできるでしょ」と僕が言って、手を挙げてみせたら、お茶目な子が自分も手を挙げてみんなにも挙げようと目配りしていました。大笑いです。「手を挙げてもし当てられたら、がんばって発表すればいいし、当てられなかったらそれもよし。失敗したり、うまくいったり、そうしているうちに、手を挙げることが平気になるよ」と答えました。グループ活動がすべて終わって、スタッフと振り返りをしている時、その日の子どもたちの感想をみせてもらいましたが、「勇気が出るまで待っていたら、伊藤さんのような老人になってしまうので、明日から手を挙げます」というような事が書いてありました。その子に伝わったようでうれしくなりました。
子どもたちからの質問タイムが予定よりかなりオーバーして終わり、その後は、保護者との時間でした。ここでも、保護者から、今一番聞きたいことを質問してもらいました。
その中からひとつだけ。ちょっと珍しい質問がありました。
「今と、伊藤さんが生きた昔と、吃音をめぐる問題で、何か違いはありますか?」
この質問に対して、僕は、最近の大阪吃音教室に参加した大学生の保護者のことを話しました。その大学生は、小学生や中学生の時、音読や発表を免除してもらえるように合理的配慮を求めて過ごし、大学生になりました。入学した大学にも、吃音について配慮して欲しいと伝えていました。にもかかわらず、発言を求められ、パニックになり、そのために大学に行けなくなったというのです。
今と昔の違いの大きなことは合理的配慮があるかないかでしょう。合理的配慮は基本的には必要なことで、必要な人にとっては、合理的配慮があることで、安心して学童期・思春期を送ることができます。しかし、いいことばかりではないようです。小学生、中学生の時に過剰に配慮されて、どもって嫌な思いをすることがなく、高校、大学、社会人とすすみ、自分の期待する理解が得られなくなったとき、この大学生のように、挫折してしまう恐れがあります。
僕たちの生きた昔はそのような配慮はなく、吃音に悩み、苦しくて、挫折や傷つき体験をしてなんとか立ち直って生き延びてきました。今は、合理的配慮のために、どもる子どもが脆弱になることを危惧していると話しました。いつも言うことなのですが、比較的安全な小学生時代に、苦手な場面に出ていって、どもって嫌な思いや失敗をして、そこから立ち直る経験をしておくことが、大事ではないかと思います。傷ついた時に、それを受け止めて一緒に考えてくれることばの教室があるのは、どもる子どもにとっては幸せなことです。これからますます不安定で、不確実な時代に入っていきます。ストレスを避けるのではなく、ストレスへの耐性をつけることが大事だと思います。
もうすっかり外は暗くなってしまいました。
こんな形で、千葉市内のことばの教室訪問をさせていただくのは、今回で6校目。千葉市内には13校あるので、約半分の学校に行ったことになります。こうして、子どもたちや保護者の生の声を聞くことは、僕にとっては、新しい風が入ってきて、新鮮で、刺激的です。とてもありがたいことです。
その後、翌日の土曜日に開催される、第6回千葉県吃音相談会&学習会の会場である柏市に移動しました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/01
11月29日金曜日の朝早く、大阪・伊丹空港から東京・羽田へ、そして、千葉へと向かいました。この日は、千葉市立登戸小学校のことばの教室を訪ねることになっていました。
登戸小学校は、千葉市で4番目にできた伝統ある学校でした。グループ学習の時間を設定し、子どもたちだけでなく、保護者も集まってくれました。子どもたちは、事前に、NHK Eテレの子ども向け福祉番組「フクチッチ」の吃音の歴史で紹介された僕の映像を見たり、『どもる君へ、いま伝えたいこと』(解放出版社)に書かれている僕の人生やプロフィールを読んだりしています。そうして、「伊藤伸二」について学習し、僕に聞きたいことをまとめて、当日、直接質問してくれます。
登戸小学校では、最初に、学校名、学年、名前と、自分の強みを発表した後、質問タイムになりました。子どもたちからの質問は、次のようなものでした。
・みんなはならないのに、どうして100人に一人は吃音になるのですか?
・本当に吃音は治らないのですか。伊藤さんは治らなくてどう思いましたか?
・伊藤さんはそんなに吃音が出てない気がします。どうすればそうなりますか?
・伊藤さんはどういうときに吃音が出やすいですか。ぼくは授業中に発表するときに出やすいです。
・小学校の時、吃音が出たらどのような対処法をしていたのですか?
・手を挙げて発表する勇気が出ません。どうしたらいいですか?
・小さいときの伊藤さんは、勉強や友だち作りをしていない時、どういう気持ちでしたか?
・大人になって吃音のことで困ったことはありますか?
・大人になって吃音のことを笑われたりバカにされたりしたことはありますか?
・大人になって吃音で困ることはありますか。僕は今困っていることはありません。
・吃音でよかったことは何ですか?
僕が小さいとき、勉強をしなかったり、友だちがいなかったことを、子どもたちは知っていました。事前に、僕が吃音に悩みすぎて、吃音を口実にして勉強もせず、友だちの輪の中に入っていかなかったことを知っていたからできた質問です。勉強や友だち作りをしていなかったときの気持ちを質問した子に答えた後で、「なんで、そんなことを聞くのか?」と逆に聞いてみたら、「勉強しないなんて、そんなことあり得ないと思ったから、聞いてみたかった」とのこと。子どもたちは、僕よりずっとまじめで一生懸命がんばっているということです。
「手を挙げて発表する勇気が出ません。どうしたらいいですか?」と聞いた子には、「勇気が出るまで、自信がつくまで待っていたら、僕みたいに老人になってしまうよ。勇気がなくても、ただ、手を挙げることなら誰でもできるでしょ」と僕が言って、手を挙げてみせたら、お茶目な子が自分も手を挙げてみんなにも挙げようと目配りしていました。大笑いです。「手を挙げてもし当てられたら、がんばって発表すればいいし、当てられなかったらそれもよし。失敗したり、うまくいったり、そうしているうちに、手を挙げることが平気になるよ」と答えました。グループ活動がすべて終わって、スタッフと振り返りをしている時、その日の子どもたちの感想をみせてもらいましたが、「勇気が出るまで待っていたら、伊藤さんのような老人になってしまうので、明日から手を挙げます」というような事が書いてありました。その子に伝わったようでうれしくなりました。
子どもたちからの質問タイムが予定よりかなりオーバーして終わり、その後は、保護者との時間でした。ここでも、保護者から、今一番聞きたいことを質問してもらいました。
その中からひとつだけ。ちょっと珍しい質問がありました。
「今と、伊藤さんが生きた昔と、吃音をめぐる問題で、何か違いはありますか?」
この質問に対して、僕は、最近の大阪吃音教室に参加した大学生の保護者のことを話しました。その大学生は、小学生や中学生の時、音読や発表を免除してもらえるように合理的配慮を求めて過ごし、大学生になりました。入学した大学にも、吃音について配慮して欲しいと伝えていました。にもかかわらず、発言を求められ、パニックになり、そのために大学に行けなくなったというのです。
今と昔の違いの大きなことは合理的配慮があるかないかでしょう。合理的配慮は基本的には必要なことで、必要な人にとっては、合理的配慮があることで、安心して学童期・思春期を送ることができます。しかし、いいことばかりではないようです。小学生、中学生の時に過剰に配慮されて、どもって嫌な思いをすることがなく、高校、大学、社会人とすすみ、自分の期待する理解が得られなくなったとき、この大学生のように、挫折してしまう恐れがあります。
僕たちの生きた昔はそのような配慮はなく、吃音に悩み、苦しくて、挫折や傷つき体験をしてなんとか立ち直って生き延びてきました。今は、合理的配慮のために、どもる子どもが脆弱になることを危惧していると話しました。いつも言うことなのですが、比較的安全な小学生時代に、苦手な場面に出ていって、どもって嫌な思いや失敗をして、そこから立ち直る経験をしておくことが、大事ではないかと思います。傷ついた時に、それを受け止めて一緒に考えてくれることばの教室があるのは、どもる子どもにとっては幸せなことです。これからますます不安定で、不確実な時代に入っていきます。ストレスを避けるのではなく、ストレスへの耐性をつけることが大事だと思います。
もうすっかり外は暗くなってしまいました。
こんな形で、千葉市内のことばの教室訪問をさせていただくのは、今回で6校目。千葉市内には13校あるので、約半分の学校に行ったことになります。こうして、子どもたちや保護者の生の声を聞くことは、僕にとっては、新しい風が入ってきて、新鮮で、刺激的です。とてもありがたいことです。
その後、翌日の土曜日に開催される、第6回千葉県吃音相談会&学習会の会場である柏市に移動しました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2024/12/01