第1回 臨床家のための吃音講習会 2001年〜原点は、「どもってもいい」〜

 日本吃音臨床研究会のホームページに、今年の親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の案内を掲載しました。今年で10回目になります。10回を重ねてきたのかと感慨深いです。
 この吃音講習会の前身というか、4回開催した吃音講習会があります。そのときは、臨床家のための吃音講習会という名前でした。第1回は、岐阜大学で開催しました。その日の岐阜は、最高気温が39.7度で日本最高でした。暑い、熱い講習会を特集した「スタタリング・ナウ」2001.10.20 NO.86を紹介します。ことばの教室担当者の熱気があふれた吃音講習会でした。目の前にいるどもる子どもたちに、担当者として何ができるか、を真剣に考えた2日間でした。主催した僕たちの思いの底には、「どもりながらもその人らしい豊かな人生は送れる」「吃音は不便なことがあるかも知れないが、決して不幸なことではない」「どもってもいい」が流れていたのです。

  
どもってもいい
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかにつきる」
 21歳までの私の吃音の苦しみの中で考えたこと、セルフヘルプ・グループの創立以来の活動の中から得た、このひとつの問題提起をもって私は、今から26年前の秋、全国吃音巡回相談会の旅に出ていた。これまでと全く違う吃音に対する考えが、どう受け止められるか、緊張と不安の旅立ちは、北海道の帯広への空の旅の揺れに揺れて怖かったことと共に記憶から消えない。
 それから26年、この考え方も整理され、具体的なプログラムも提示して、様々な実践を続けてきた。世間の吃音への取り組みはどう変わったか。残念ながら、吃音症状の軽減と消失、つまり吃音を治すことを目指す吃音へのアプローチの大きな流れは今も変わらずゆうゆうと流れている。私の提起は、その大きな大河の流れの、小さな一滴に過ぎないのかと、無力感と空しさがわくこともある。それでも、これまで続けてこれたのは、同じ地点に立つ大勢の仲間と、吃音に悩む人々にとって、この道こそが、幸せの人生につながるのだという確信があるからだ。
 日本吃音臨床研究会の活動も、どもる子どものための吃音親子サマーキャンプや、どもる人、臨床家、どもる子どもをもつ親が幅広く集まる吃音ショートコースなど、輪が大きく広がっている。テレビ、新聞雑誌などでも取り上げられるようになった。日本吃音臨床研究会の会員やサマーキャンプ参加者の飛躍的な増加などから、吃音を治すのではなく、吃音と上手につきあうという私たちの提案に耳を傾けて下さる人が、少しずつだが増えてきているとは実感できる。ことばの教室の担当者とのつき合いも随分と深くなり広がってもいる。つき合いが深くなるにつれて、吃音は難しい、どう指導したらいいか迷いがあるなど臨床現場での悩みもよく聞くようになった。他の言語障害は、障害そのものに対する認識や臨床が人によってそれほど大きくは変わらない。しかし、こと吃音に関しては、吃音をどうしても治さなければならないと主張する人と、私たちのように、治そうとするのではなく、吃音と上手につき合うことを一緒に学ぼうというのでは大きく違う。
 学校へ行けない、と引きこもる思春期の子どもと面接する機会がここ数年とても多くなった。吃音親子サマーキャンプに誘っても、親の強いすすめにもかかわらず、かたくなに参加しない思春期の子どもを前にして、学童期の子どもの指導の重要性を痛切に考えるようになった。従来の吃音指導ではいけないと考える人達も増えている。
 「吃音の症状の軽減や消失を究極の目標としている、従来の吃音観をもち続ける限り、吃音の臨床は進展しない。古い吃音観を転換し、新しい視点に立った子どもへの支援の在り方を探る必要がある」
 このように現在の吃音の臨床研究に疑問をもつ人々がそれぞれの思いを語り合い、新たな道を探ろうと、「臨床家のための吃音講習会」を開いた。
 ひとりひとりは多少の違いがあるのは当然のことだが、どもる子どもの充実した生活、子どもの幸せを願い、吃音を症状の問題だと狭く考えない人たちだ。大きな流れの中で共通するものを大切にしていきたい。違いを際立たせるのではなく、できるだけ共通するものを確認していきたい。ひとつの方向を見据えながらの講習会は恐らく我が国では初めてのことだろう。
 熱い思いをもって岐阜を中心に準備が始まった。当初の予想をはるかに上回る、150名近い人々がこの輪の中に入って下さった。ぎっしりとうまった会場をみながら、吃音だけをテーマにした講習会にこれほど多くの方々が関心を示して下さり、熱心に耳を傾けて下さる姿に、吃音に悩んできた者として、また、これまで賛同者もあまりいない孤独な戦いを余儀なくされてきた、私の吃音への取り組みの歴史を振り返ると、熱いものが込み上げてくる。
 これまでの、「吃音は治さなければならない」との主張は、「吃音であれば決して有意義な人生は送れない」という前提に根差している。「吃音と上手につき合う」という主張は、「どもりながらもその人らしい豊かな人生は送れる」という前提に立つ。
 「吃音は不便なことがあるかも知れないが、決して不幸なことではない」「どもってもいい」とこれからも語り続けていきたい。(「スタタリング・ナウ」2001.10.20 NO.86)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/29