大阪吃音教室特別講座
  「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」〜感想〜

    講師  平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長) 
    聞き手 伊藤伸二

 平井雷太さんのインタビューを聞いての感想を紹介します。


  
セルフラーニング
                     東野晃之(44歳)団体職員

 平井さんの話のキーワードは、「できる、できないを考えない」「とりあえずやる」だった。例えば、何か課題があるとき、やってみたい、できるようになりたいという気持ちがあるなら、自分が「デキル」「デキナイ」を決めつけずにまずやってみる。やってみる中で何ができて、何ができないかが自覚でき、できないことがどうしてできるようになるのか、できるようになる仕組みを自分で作っていくようになる。やる前から、あれこれと考えるから結局やらなくなる。やらない理由に、やる気が起こらないからとよく言うが、「やる気がない=やらない」ではなく、やりたくない状態になったからこそ、それでもできる状態を体験するチャンスで、ここで「やる気が育つ」。できない状態がなければ、できる状態は訪れない。できない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)のはじまり。つまり、やる気のない状態こそ、やる気が起きていく道、「できない状態を自覚することこそ、できるようになっていく道」であるという。
 自分の体験を振り返ると、電話が苦手でできなかった頃、「今日は気分が乗らない」とか「明日でも構わないか」とか、何かと理由をつけては電話をかけるのを避けていた。就職して営業職に就き電話は避けられなくなって、毎日毎日恐れながらも電話をとり、かけ続けた。うまく対応できず、失敗して落ち込んだりもしたが、そのうち電話への気づきがあったり、話す工夫も少しずつだが、できるようになった。今でもどもることはあるが、以前に比べ随分楽に電話ができるようになった。これを平井さんの話から整理すると、恐れていた電話が仕事上避けられなくなって直面さぜるを得なくなり、数多く電話のやりとりを体験したことでできなかった状態を自覚でき、自分なりの電話対処法が身につけられたのだろう。やろうとしてもなかなか実行できなかったり、続けられなかった経験を思い起こすと、できない状態に対する否定的な考えやできない自分へのさまざまな思い込みがあったようだ。例えば、「誰もができることができないのは、自分が劣っているからだ」「そんな自分だけができない状態には耐えられない」「だからできそうもないこと、耐えられないことはやめてしまおう」…こんな思い込みが自分を消極的にしていたようである。できないことは悪いことではない。あれこれ考えず、やってみてできない自覚がセルフラーニング(自分で決めたことを自分で実現していく)はじまりである。平井さんの話はさまざまな気づきの余韻を残して終わった。

  あれも自分、これも自分
                         徳田和史(54歳)会社員

 特別講座のテーマ、「うつと吃音から見えてきたもの」に惹かれた。私は吃音に加えて最近、自己診断ではあるがうつ症状の気配を感じていたからである。
 平井さんは、大学卒業後は吃音であるが故に就職を嫌い、駆け落ちしてヨーロッパに渡った。帰国後陶芸の道に入ったが、26歳以降躁うつを繰り返し、この間、危ないことも数回あったらしい。平井さんの体験談で私にとって印象深かったのは、うつの状態の中でも一つの決まり事を毎日行い、その継続の中で自分を幅広くとらえることができれば、自分を楽にすることができるということであった。
 人間の心的状態には波があり、波の最上部と最下部の振幅がある程度拡がれば躁になったりうつになったりするのだと思うが、波の最上部を躁とし最下部をうつとしたとき、人間どうしても波の中心線から上を通常の自分と思い、下部を異質の自分と思うらしい。そのようにとらえると波の最下部(うつ)に陥ったとき、異質の自分から脱したくなるのであるが、平井さんは、中心線を軸に最上部も自分、最下部も自分であると認識すれば、つまり波の振幅の全てが自分であると思えば楽になると。
 又、平井さんは自分の体験から、うつは治らない、うつのままを受け入れる、その結果落ち込めば、落ち込むのも一つの能力だと考えればいいとも言う。
 平井さんは、波の最上部も自分、最下部も自分であると認識する手段として、一つのことを毎日継続することだと言う。平井さん自身は、うつ症状だった当時、息子さんと一緒に走ることを日課とし淡々とこなしたそうだ。うつのときも走り、躁のときも走る。この毎日走ることが波長の中心線となり、高い波も低い波も客観的に見ることができると言うのである。
 吃音にも波がある。調子のいいときもあれば調子の悪いときもある。そういえば私も吃音ですごく悩んでいた頃、調子のいいときの自分が本来の自分の姿であり、調子の悪いときは仮の姿だと自分を二分していた。人間というもの、思考・感情がある限り、高揚するときもあれば落ち込むときもある。問題は、この幅広い領域の自分を受け入れる要因となる中心線を自分にどう設定するかである。平井さんは、走ることでもいいし書くことでもいい、何かを決めることがキーポイントだと言っていた。又、継続している中で、やる気がなくなったときが勝負であり、そのときにやることの意味を求めずにそのまま続けることが大切なのだと。なるほどと思った。やる気のある調子のいいときの自分だけを見ていては半分の自分しか見ていないことになる。やる気のないときの自分も見ておく必要がある。
 自分の中に中心線を設定し、調子のいいときの自分も認め調子の悪いときの自分も認める。大袈裟に言えば、正義の自分も認め不義の自分も認める。自分というものを都合がいい面ばかりでなく都合が悪い面でもとらえ、これも自分なのだと幅広い自分を認識できればずいぶん楽になれる。今回の講座は私にこのことを教えてくれた。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84) この号は、今回で終了です。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/25