大阪吃音教室特別講座
「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 3
講師 平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長)
聞き手 伊藤伸二
昨日のつづきです。平井雷太さんへのインタビューは、今回で最後です。いろんなことを正直に語ってくださいました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと、平井さんは定義づけました。僕もそうありたいです。インタビューの後、平井さんが実践しておられた考現学に平井さんが書かれた文章があるので、それもあわせて紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/23
「鬱(うつ)と吃音から見えてきたもの」 3
講師 平井雷太さん(セルフラーニング研究所所長)
聞き手 伊藤伸二
昨日のつづきです。平井雷太さんへのインタビューは、今回で最後です。いろんなことを正直に語ってくださいました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと、平井さんは定義づけました。僕もそうありたいです。インタビューの後、平井さんが実践しておられた考現学に平井さんが書かれた文章があるので、それもあわせて紹介します。
◇うつと、つきあう
伊藤 それで、うつになったのは何か原因があるんですか。
平井 ヤマギシ会という共同体があって、半年だけ入ってた。26才のときにそこの特別講習研鑽会(特講)というのを受けた。その特講を受けてなかったら、長男も生まれてないでしょ、たぶん。それまで子どもなんて欲しいと思ってなかったから。それを受けて、世の中まんざらでもないと思っちゃって、感動した。で、ヤマギシを出たあと、そううつ病が始まったんです。ヤマギシを出たあとは、お先まっくら。やることないし。
伊藤 ヤマギシにいる間はよかったんですね、それなりに。
平井 よかったのは最初の3ケ月くらいですか。後はそこを出ることしか考えてなかった。(実際に)やってみると、おかしいとこや変なことが見えてきちゃう。やる人はやってるから、一概にはヤマギシは問題だとは言えませんが、僕には合わなかった。ヤマギシを出たのが8月末で、子どもが産まれたのが9月25日です。無一文で、子どもが産まれたときは夢も希望も何もないし、一番逆らっていた実家に居候(いそうろう)していたし、最悪だったです。
伊藤 どうして子どもを育てていけるだろうかと。
平井 というか、どうすんのよ、この子、みたいな。子どもが産まれて捨てたくなっちゃう親の気分がよくわかりますよ。僕にとっては、よく死ななかったな、と思うぐらい、一番ひどかったときです。それから、財団法人「S」へ行った。ずーっとうつで、やる気も何にもなかった。ただ惰性で仕事やってた。
伊藤 どんな状態なんですか。
平井 ほんとに、生きるしかばねみたい。だけど、働いてる所が、裏口入学やってるとんでもないところだった。相手に問題があったり、待遇がひどかったりと、問題があると元気になるんですね。どうにかしなくちゃいけないなあと思う。「S」は半年でやめたが、いる間に労働規約を作った。だから、僕にとってうつでいられるときは、本当に波風のないとき。そのあと、塾を始めるんですが、ヤマギシを出たあとっていうのは、躁(そう)とうつが交互に来てる。春・夏は躁で元気、秋風が吹くころになると、落ち込んで起きれなくなって、人と会うのもいやで困っちゃう。10以上はそんな波が続いたですね。でもあとで考えると、うつは良かったです。
伊藤 どういうふうに?
平井 一番ひどいときに精神科に行って、僕がどういうふうに苦しいと延々としゃべって、むこうは「ふーん」「へー」「それで」みたいな感じでカルテに書くわけです。つっけんどんで、こんな医者と二度と会いたくないと思った。「じゃ、薬出しとくから」と袋いっぱい薬をくれた。これを飲んだらまたあの医者に会わなきゃいけないと思って、薬を捨てた。それで「いいや、うつ病のままで」と、治すのをあきらあた。どうしてかというとね。躁が来れば起きれる。うつだから起きれないと思ってたわけ。「あきらめる」って、うつのままで起きるってことです。僕が、うつであることを起きれない理由にしてる。「〜だから、何かができない」は自分で決めてる。それを、そのままでやる。それでも自分だけでは、できっこないなと思ったから、息子と約束した。「お父さんと一緒に、あしたから、朝走ろうか?」と。息子が「うん」と言うもんで、息子との約束だけは守ろうと思った。どんなひどい状態でも、息子と走ることだけはしようと思った。息子がいたおかげがありますよ、かなり。
子どもがプリントをやっていると、すぐ壁にぶっかってやりたくなくなる。やる気なんてなくてもいい。どうやったらやる気が起こるとかという話ではなくて、やる気のないままやればよいだけの話です。やる気で飯食ったりふろに入ったりしない。やる気と、やることは別だって分けて考える考え方はうっのときにできたんです。やる気がなくなった、そこからが勝負なんです。二度寝はしない、6時半に起きるって決める。それまでに目が覚めても布団に入っている。目が覚めたとき6時半だったら起きる。理屈抜きなんです。これが考えずに行動する練習です。
うつのときは、何でもいいからやることです。ジグソーパズルでも、簡単にはできないプラモデルの大きいのを買ってきて延々とやり続けるとか。
伊藤 息子さんと一緒に走るってことは自分で決めた。何かを決めるというのは大事なんですね。
平井 決めるというのは、キーワードです。だから、子どもたちは僕と教室で毎日やることを決める。あらかじめ決めてると、できなくなる。うまくいかなくなる。だから、親には勉強しろと言うなと口止めをします。子どもに全部任せてみると、すぐできなくなる。頑張る子は頑張っちゃうけど、頑張って疲れれば頑張れなくなる。だから、決めたことを淡々とやるんです。毎月の通信を100ケ月出したとき、大人になる定義が浮かびました。「自分で決めたことを、自分で実現するのが大人」だと。
今、毎日書くと自分で決めて、自分で続けていく。ふと浮かんだことを、人に見せることを前提に毎日書く。これが今している「考現学」です。
平井雷太さんが全国のたくさんの仲間とネットワークを作っていらっしゃる表現の場が考現学です。平井さん自身が、大阪吃音教室で話して下さった後に書かれた考現学をご紹介しましょう。
どもりで「やさしさ暴力」を発見する
〜「やる・やらない」はやる気と関係ないんです〜
平井雷太
伊藤伸二さんのお誘いで、大阪スタタリングプロジェクトの大阪吃音教室の特別講座で、「鬱と吃音から見えてきたもの」をテーマに話してきました。
普段、参加者が25名前後のところ、長野、広島、長崎、東京からも参加があって、参加者は40名を越えていました。吃音ではない人も結構参加されていて、2次会、3次会で話していると、どの人が吃音であるかは説明を受けないとよく分かりません。
伊藤さんがまず私を紹介してくれたのですが、伊藤さんが私を知ったきっかけは、「いじめられっ子のひとりごと」という詞ということでした。
2001年度「大阪吃音教室へのお誘い」のチラシを見ると、そこには「楽しいインタビューゲーム」と2回もあり、ビックリしました。しかし、それよりも驚いたのは、毎週金曜日の同じ時間にビッシリと学習予定が網羅されていたことです。話すのが苦手ということが、人を自発的、能動的な学習者にしていく。その典型を見た思いがしました。
また、伊藤さんは会で私を紹介するときに、「いじめられっ子のひとりごと」の詞を紹介してから、ご自分の話をされました。小学校2年生のときに学芸会で当然主役は自分がすると思っていたところ、台詞のない役になってしまい、そのときの屈辱がバネになって、どもりがラィフワークになったということでした。そして、伊藤さんから「教師が私に主役をさせなかったことを、教師が不当な扱いをしたと思っていたが、平井さんの詞を読んで、もしかすると、あれはどもったらかわいそうという教師の配慮だったのかもしれない。私はよくいじめられたが、平井さんは優しくされた。それが屈辱だったと言っていますが、平井さんは母性本能をくすぐられる子どもだったんしょうね?」と聞かれました。どもりでいじめられたことよりも、どもりで情けをかけられての屈辱感のほうしか覚えていない。なぜなのでしょう?伊藤さんと私のこの違いはどこから来ているのだろうかと不思議に思って、考現学を書きはじめたばかりだったのですが、即座にその場で伊藤さんに電話をかけて聞いてみました。
「伊藤さんは、『教師が私に主役をさせなかったことで、教師が不当な扱いをした。ないがしろにしたと思った』と言っていましたけど、どうしてそう思ったんですか?」すると、「僕は小2のそのときまで、明るく元気で活発で、勉強もできたから、浦島太郎の劇で、当然、浦島か亀の役だと思っていましたから」と伊藤さん。「えっ!そうだったら、伊藤さんはそれまで自分がどもりであることを自覚していなかったんですか?!」と驚いて聞き返すと、伊藤さんは「全然、自覚していなかった。主役になれなかったことで、どもりのくせにと言われ、いじめられるようになった」と話されたのです。
それを聞いて、私がいじめられなかったのは、おとなしくて、内気で、消極的で、いじめるにも値しない存在だったから、情けをかけられ、配慮されてきたのかと、思わず納得してしまいました。でも、そのおかげで、「やさしさ暴力」の存在を発見してしまったのですから、何が幸いするかわかりません。(「スタタリング・ナウ」2001.8.23 NO.84)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/05/23