誕生日を迎えたことを書いて、改めて、僕は自分を語ることで今まで歩んできたのだなあと思いました。そのものズバリのタイトルで、巻頭言を書いています。「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80 を紹介します。自分を語ることは生きることです。

  
自分を語ること
             日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 先日神戸で行われた吃音相談会で一貫して流れていたテーマが、自分のことを語ることだった。
 今年大学に進学した青年が、体験発表の中で、子どもの頃から自分の悩みである吃音について語ることがなかったことが辛かったと話した。家族は吃音については一切隠し、その話題を出してはいけない雰囲気だったと言う。吃音について、家族に話せなかったことが、その青年の吃音の悩みをさらに深いものにした。
 グループ相談では、私は、5歳、小学4年生、中学2年生の親を受け持った。3人とも、相談に行ったこども病院や児童相談所などで、子どもに吃音を意識させないことが一番大事だと言われ、家庭で吃音について一切話してはいけないとずっと思ってきた。
 電話での子どもの吃音の相談でも、必ずといっていいほど、「吃音を意識させないでそっとしておけば、その内治りますよ」と指導されている。
 自分のことを語らずに、人は自分に気づき、他人のことを理解できるだろうか。人間の営みとして、一番基本の大切なことが、いわゆる専門家の一言で阻まれている。何を根拠に、その内に治ると専門家はいうのか、家庭で吃音を話題にしてはいけないというのか、青年の体験発表、親の相談を受けながら胸が痛くなった。どうしてこのようなことがいまだに繰り返されているのか、意識させてはいけないと指導する専門機関に怒りすら込み上げてきたのだった。
 一方、その前日の大阪吃音教室では、親には吃音に悩んでいると心配をかけたくない、自分の弱みを親にも話せないが話題になった。吃音に悩んでいない振りをする方が、家族の間が平和なのだと彼は言う。大阪吃音教室に行くことも隠している。話してそれを聞いてくれる親なら、話したいと思うだろう。現実に吃音教室では悩みを話しているのだから。
 親は子どもに吃音を意識させてはいけないと話題にせず、どもる本人は親を心配させたくないと悩みを話さない。大切なことに触れない。
 自分を語るということは、行動を起こすエネルギーになる。今月号で体験談を寄せて下さった教師の森田宏明さんは、卒業式を控えて不安な気持ちを子どもに語った。その後の彼の行動、子どもたちに名前を呼ぶ練習に立ち会ってもらうことにつながっている。担任教師が、担任する子どもに名前が言えない不安を言う。子どもが親に吃音の悩みを言うのとは訳が違う。教師として素晴らしいことだと思う。同じく教師の平田由貴さんの場合も、不安で夜眠れなくなった苦しみを私に語ったことが、紹介した石川県の教育センターの相談課長の徳田健一さんに電話してみるという行動につながっている。
 自分を率直に語り、受け止められたことで、次に何かやってみようかという大きな力が入ってくる。語った相手から具体的なアドバイスがなくても、語ったことによって自分で自分を後押しする力となって返ってくる。
 人は自分らしく生き、行動したいと願いながら、頭の中だけで堂々巡りをすることが多い。一歩がなかなか踏み出せない。そんなとき、他者に、自分の悩みや揺れている気持ちや困っていることを話すことによって、ちょっと自分のことが整理でき、ちょっと動いてみようかという勇気がわいてくる。
 自分を語れる場は、現代、最も必要とされているのではないだろうか。
 昨年、龍谷大学のエンカウンター実習6日間の集中講義を引き受けた。合宿による、日常生活から分離された遠い場所で、自ら語りたいと参加費を払ってのベーシック・エンカウンターグループとは違って、メンバーは、選択科目の単位を履修している同級生だ。まこれはとても難しい。まあうまくいかなかったとしても、これはファシリテーターの私の力量というよりは、大学の授業としての企画そのものが無理なのだとも思っていた。
 ところが、朝の9時から夕方の6時20分まで、6日間におよぶベーシック・エンカウンターのファシリテーターを経験してみて、私の先入観、思い込みは打ち砕かれた。普段、学生たちは何の悩みもないかのように屈託なく笑い、日常の会話を交わす。情報伝達のことばのやりとりが人間関係というものだと割り切れば、それはそれでいいのだろう。しかし、真剣に聞いてくれる安全な場所では、こんなことまで話してもいいのかと思えるほど率直に自分のこと、家族のことを話した。そしてその中での自分の位置を探りながら、悩みながら模索している。その姿に、私は感動した。もちろんこの場で話し合われることはこの場だけに限り、決して外には話さないという守秘義務に関しては毎回強調して始めたが。
 人は、情報伝達のやりとりだけでは生きていけない。自分の気持ちや考えを探り探り、それを口に出していくことが必要なのだ。ある学生がこれまでの家族のしがらみである行動できずにいたのだが、そのことを話し、その後実際に行動した。その結果を、後で手紙で知らせてきた。グループの中で話をしなければ、その人にとってほとんど行動を起こさない事柄であったろうと思うとき、自分が語ることとその後の新たな行動が、私にとっては結びつくのだ。(「スタタリング・ナウ」2001.4.21 NO.80)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/30