―自分の気持ちや思いを表現するとき、また他者とのやりとりの中で、ことばの大切さを痛感します。ことばや吃音について、どもる方もそうでない方も多くの方々とさまざまな視点から語り合ったり表現の場を持ちたいと思います。ことばや吃音に関する日頃の思いを文章に綴ってお寄せ下さい。―
こうして、ことば文学賞の作品募集が始まります。
今日、紹介するのは、2000年度、第3回ことば文学賞の受賞作品です。大阪スタタリングプロジェクトの主催ですが、『スタタリング・ナウ』の読者も応募対象となっています。東京都にお住まいの高田健一さんが応募して下さり、入賞されました。その作品は、明日、紹介します。
まず、最優秀賞作品からです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/25
こうして、ことば文学賞の作品募集が始まります。
今日、紹介するのは、2000年度、第3回ことば文学賞の受賞作品です。大阪スタタリングプロジェクトの主催ですが、『スタタリング・ナウ』の読者も応募対象となっています。東京都にお住まいの高田健一さんが応募して下さり、入賞されました。その作品は、明日、紹介します。
まず、最優秀賞作品からです。
第3回ことば文学賞・最優秀賞作品
吃音笑い話 便器に向かって「失礼します」
金森正晃35歳(高野山金剛峯寺本山事務担当、僧侶)
今さら言うことでもないが私はどもる。子どもの頃からどもっていたが、大人になってもやっぱりどもる。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。
私は10歳の時どもっていた。20歳の時も、30歳の時もやっぱりどもっていた。どもる、どもる、どもる。そう私はドモリなのである。
私は全ての言葉によくどもる。でもどもりにくい言葉と、どもりやすい言葉がある。私が最も苦手な言葉。どもって絶対素直には出てこない言葉。それは「イ段」。イ母音で始まる言葉なのである。
イ、キ、シ、チ、ニ、ヒ、ミ、イ、リ、イ。この音で始まる言葉は、どう頑張っても素直に出てきてはくれない。私を子どもの頃からいつも困らせ悩ませている。
私は現在、和歌山県に住んでいるが、出身は島根県簸川郡斐川町三絡(しまねけんひかわぐんひかわちょうみつがね)という所。どの部分を取ってもイ音で始まる地名なのである。私にはこんな地名言えるはずもなく、子どもの頃から本当に困っていた。いまだに絶対住みたくはない我が懐かしき故郷である。
私は故郷に帰ろうとすれば、これまたチケットを取るのに大変である。飛行機で帰れば出雲(いずも)空港、電車で帰っても出雲駅。私はこの故郷にしばらく帰っていない。こんな場所、帰ってやるもんか。
そんなこんなで生まれ故郷を離れた私だが、故郷を離れたからと言って問題が解決した訳ではない。そう私は今でもどもり続けているのだ。いつも私から離れない、私を悩ます言葉、それはイ母音で始まる色んな言葉。
私はどもりながら大人になった。どもりと一緒に大人になった。そして職場に勤め始めた。もちろん、どもりを連れ添ってである。
勤続13年、私はいまだに職場の中で「失礼します」という言葉が言えない。最初のシの音がどうしても素直に出てこないのだ。少し私の職場での出来事を話そう。これはドモリのとても可笑しく、そしてとても悲しいユーモアたっぷりの話である。お気に入りのスキャットマン・ジョンのCDを聴きながら、さあ話し始めよう。
ある日、私は職場で机に向かっている。書類の整理も終わり、ゆっくりとコーヒーを飲みながら出陣の時を待っている。そう、今からこの書類を持って上司の部屋に行かなければならない。目指す部屋は「企画室長室」(きかくしつちょうしつ)。私の役目は室長室に入り、この書類の内容を室長に説明し、室長の承諾を得ることにある。私にはとても難しいことだ。成功する確率は極めて低い。さあ、今回はうまくいく事を祈って。いざ、出陣だ。
少し大きめのマグカップの中のコーヒーを飲み干し、書類を手に持ち部屋を出る。ゆっくりと廊下を歩きながら目的地に向かう。ゆっくりと歩いたのにもかかわらず約3分で「企画室長室」の前に到着。ついに来てしまった。ここからが問題である。高鳴る鼓動を押さえ「大丈夫だ、大丈夫だ。」と自分に言い聞かせ、ドアの前に立つ。「・・・・・」。駄目だ、言葉が出ない。ドアが開けられない。今回もやっぱり駄目だったか。こうなると、もうどうすることも出来ない。よし、別の手を考えよう。誰かがこの部屋に用事で来るのを待とう。その人と一緒に部屋に入れば問題はない。五分待つ。誰も来ない。更に五分待つ。やっぱり誰も来ない。絶体絶命である。私は意を決しなければならなくなった。もう助けを待っている時間はない。自分の力で切り抜けてゆかねばならないのだ。さあ部屋に入るぞ!
「トン・トン・トン」。先ず、ドアを軽くノックしてみる。すると中から「はい、どうぞ」と室長の声。さあ、言うぞ!「・・・・・」。駄目だ、言葉が出てこない。再び中から「はい、どうぞ、入りなさい」の声。入りなさいと言われても入れないから困っているのに。「・・・シ・シ・・・」。顔を引きつらせ、身体に力を入れ、足で地面を叩く。「・・・シ・シ・・・」。やっぱりどもって言葉が出てこない。エーイ、開けてしまえ。「ガタン」とドアを開けた後は、「シ・シ・シ・シ・・・」と、ひたすらシを連呼しながら室長の机の前に至る。私が「失礼します」の次に言わなければならない言葉、それは「室長、企画の資料をお持ちしました。」だ。“室長”も“企画”も“資料”も、何でこんなに続くんだ。こんな言葉大嫌いだ。
「シ・シ・シ・シ・室長・・・あのあのあのあの・・・」。室長の机の前で再び、顔を引きつらせ、身体に力を入れ、足で地面を叩きながら、それでも言葉が出てこない。資料の細かい説明など出来る訳がない。こうなりゃ、もう早めに逃げるしかない。
「あのあのあのあの・・・」と連呼しながら書類を室長の机の上に投げ捨て、ドアの所に向かう。早々に部屋を出たいのであるが、ここでまた一つ、問題があるのだ。そうだ、私にはあの忌まわしき言葉、今度は「失礼しました」が待っているのだ。「シ・シ・シ・シ・・・」どもりながらドアをバタンと閉める。ドアを閉め終わって、しばらくしてから「・・・っっれいしました」と、カチコチに硬直している身体から、やっとの思いで言葉が出る。
毎度の事ながら今回も最低最悪だった。いつもながら少し自分がイヤになる。約一分問、自己嫌悪に浸る。しかし、いつまでも落ち込んでなどいられない。こんな事でいちいち落ち込んでいたら身体が幾つあってもたりはしない。なんせこんな事は私にとっては日常茶飯事。“ドモリ”とは、もう30数年来の付き合いの仲良しである。
でも取りあえず書類も無事、室長に渡したことだし、まあ、いいか。いつもながら直ぐに開き直ってしまうのである。悩んだって始まらない。私にとっては、「それはそれで良し」なのである。
しかし、とにかく疲れた。ホッとしたら急にオシッコに行きたくなった。トイレに行こう。トイレの入り口の所で、トイレのドアを開けながら言ってみる。「失礼します」。スムーズに口から言葉が出る。何だ、簡単に言えるじゃないか。オシッコをしながら便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。いくらでも言える。横の便器にも言ってみよう。右の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。左の便器に向かって「失礼します、失礼します、失礼します」。
上司の前ではどもって言えない。トイレの便器には簡単に言える。そうだ、これからは上司のことをトイレの便器だと思うことにしよう。便器だ、便器だ、トイレの便器だ。これならもう大丈夫だ。いかん。職場で上司に向かってオシッコは出来ない。やっぱり私は「失礼します」は言えない。
スキャットマン・ジョンの歌が鳴り響いている。これが私の職場でのよくある出来事の話だ。おかしいだろ。ドモリの君も、ドモリじゃない君も笑ってくれたかな。だからドモリは楽しいんだ。
私はイの音で始まる大概の言葉は、本当に嫌いだが、でも中には好きな言葉もある。それは「しあわせ」と「きぼう」という言葉だ。私はドモリを通じて沢山の人から多くの幸せと希望を貰った。「しあわせ」「きぼう」。この2つの言葉は、警えどんなにどもってでも、自分の言葉で人に伝えたい。ドモリで良かった。ドモリに感謝する。
《選者の高橋徹さんのコメント》
自分自身に即してより具体的に書かれていたのがよかった。これは、どもりのとてもおかしく、そしてとても悲しい、ユーモアたっぷりの話である。悲劇的な話を喜劇的なタッチで書いた手法が説得力をもった。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/25