今年は、桜の開花がとても早く、僕の住むマンションの桜も一気に咲いて、あっという間に散ってしまいました。今はつつじ、そして早くも藤の花が咲いていると聞きます。
春真っ盛りですが、僕は、この春の初め、早春の頃には多くの思い出があります。嫌いだった早春が好きになったことから始まる「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79の巻頭言を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/24
春真っ盛りですが、僕は、この春の初め、早春の頃には多くの思い出があります。嫌いだった早春が好きになったことから始まる「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79の巻頭言を紹介します。
どもる権利
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
早春は、私の一番嫌いな季節だった。
小学校5年生の頃から、多くの知らない人と出会う中学校での最初の自己紹介に怯えていた。自分の名前が言えずに立ち往生している姿が、すぐに思い浮かぶ。自己紹介は何度も経験してきたことだからだ。言いようのない不安感が、中学生になりたくないとの思いを膨らませる。このまま、春がこないで欲しい。しかし、確実に小学校の卒業式はやってきた。この早春の季節に。
今でもこの頃になると、あの頃の不安や恐れがよみがえり、胸がキューンとなるが、今はこの早春が一番好きな季節になった。それは、1965年の秋につくったどもる人のセルフヘルプグループの、半年後の発会式の準備を、この頃に胸を躍らせながらしていたからだ。もし、この経験がなかったら、今でも私は早春を嫌い続けていただろう。
その卒業式を控え、卒業生の名前が言えるだろうか強い不安に襲われ、電話をかけてきた人がいる。小学校、中学校のふたりの教師からだ。
厳粛な雰囲気の卒業式の場で、担任教師がひとりひとりの生徒の名前を読み上げていく。「青名・・赤松・・」ところが、「徳田」のところで「と」がどうしても出ない。1秒、2秒と時間がすぎていく。壇上に進もうとするが、名前が呼ばれないので歩き出せない生徒。ざわめきと困惑の表情の参列者。その中で真っ赤になり立ち往生している担任教師。恐らく二人はこのような場面を想像したのだろう。
小学校の教師は、これまでどもることを隠して来たが、この際、自らの吃音を公表しようかどうか迷っている。2年間で築き上げてきた子どもとの信頼関係がそう考えさせたようだ。中学校の教師は、明日から始まる卒業式の練習に不安が広がる。胸苦しい強い不安に目が覚めその後眠れなくなったと言う。
うまく無事に名前が言えて、あの不安が何だったんだろうと思えるように、何とか切り抜けられたらいいなあと思う。しかし、そうならず、生徒の名前が言えずに実際に立ち往生した場合、その人が考える最悪の場面になったとしたら、どんな選択肢があるか。
ひどい難発の状態になっても、時間がかかっても最後まで声が出るまで言おうとする。あるいは、「とととととととと・徳田」と連発して無理やり声を出す。あるいは、同僚や教頭に代わりに言ってもらうなど。
仮にそうなったとしたら、気持ちのいい状態ではないが、本当に最悪だろうか。普段の教育は精一杯し、生徒からも保護者、教師仲間からも信頼を得ているのだ。卒業式のひとつの場面で立ち往生したとしても、それを恥じることはない。こうなれば自分を語るチャンスだと考えたい。率直にその時の状態について認め、自分の吃音について語るのだ。
どもる人間が、教師として生きて来た苦しみや喜び。君たちの名前は読めなかったけれど、精一杯教師として努力してきたこと。卒業式で、名前が言えずに、周りの驚き、困惑、あるいは冷たい目にさらされながら、人間としてその場に立ち尽くした時の気持ち。
ことさら明るく語ることはないが、暗く重くならない教師の率直な自己開示が、生徒の心に染みて、これから波乱の思春期・青年期に旅立つ子どもたちへの素晴らしい応援歌となるのではないか。
どもる子ども、どもる人とは、何か。私はこう定義をしたい。
「吃音を通して、からだとことば、人間関係、生きることなどを考え、行動するテーマを与えられた人のことである」
吃音を通して、考えてきたこと、行ってきたことを卒業式の日に、子どもたちに手渡す。子どもたちに、ひとつのモデルを示したことになる。
ここまで書いて来て、私はふと島崎藤村の『破戒』の主人公・丑松が、父の戒めを破り、自分の担任する子どもたちに被差別部落の出身であることを告白する場面が鮮やかに浮かびあがってきた。小学生高学年から中学生にかけて、何度も何度もその部分を読み返しては涙を流し、丸暗記していたセリフが。
「・・・皆さん許して下さい。私はエタです。これまで皆さんに隠してきたことを許して下さい・・・」
どもる人間には、どもる権利があるのだ。(「スタタリング・ナウ」2001.3.17 NO.79)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/24