應典院で開催されたコモンズフェスタでの、文福さんと僕の対談を紹介していますが、今回で最終です。2時間15分、本当にしゃべりっぱなしだったのではないでしょうか。このときのイベントには、遠くからどもる子どもたちもたくさん参加していました。最後の子どもたちへのメッセージは、文福さんらしい、温かい、優しい、そして心強いメッセージでした。
 「スタタリング・ナウ」編集のために、テープを何度か聞き直し、そのときにもまた、笑わせてもらいましたが、今回も久しぶりに文福節を堪能しました。
 
應典院・コモンズフェスタ2000
  どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生


ここまでよう来たな

文福 今日はこういう『どもりを個性に』というテーマやからいろいろ言わせてもらったけれど。結局、誰かがひとりでも痛みを感じたら、笑いにはならん。
 和歌山の芸人の県人会を作ったのも、おととし、カレーの事件がきっかけです。和歌山の園部地区に、テレビのワイドショーが話を広げて、レポーターや記者を送り込んでくる。見てる人は初めは園部地区に住んでいる人がかわいそうやと思ってたけど、だんだんマヒして、連続ドラマみたいになって来る。あるとき、「文福さん、僕、和歌山の出身ですと、和歌山市園部となっている名刺を出したら、あの園部かとえらい話が盛り上がって、商談とかまとまってね」と言った人がいた。「ああ、そうかい」と言って、僕はその名刺をびりっと破った。こんなん和歌山の恥や。
 それで、なんとか芸人として和歌山のイメージアップせないかんという、僕のコメントが新聞に3つか4つ出たんです。それを読んだ和歌山の出身の芸人が「文福さん、一緒にやりましょう」と言ってくれて去年できました。神戸の地震でもコントなんかすると受けるけど、やっぱり当事者はええ気せんからね。誰かのことを押さえ付けて、笑いをとったりするのはもってのほかやと思います。だから、話の中では悲惨な事故や事件は扱わんとこと思ってます。新作落語をつくるときもやめとこと思ってます。そういうポリシーはあるんです。どもりのお陰で、多少人の痛みがあるから、そういう発想をするんやと思うんですけどね。
 僕は緊張したら目がチック症になるんです。シャイとか照れ屋からきたんでしょう。ビートたけしさんもそうやけど、シャイなんです。ぼんちおさむさんもやし、結構います。チック症も心の病気とまではいかんかもしれんけど、まあどもりと通じるものがあるんでしょうね。なんでそうなったんか、今だに原因も分からないし、親のせいにしたことない。この世界に飛び込んで、初めはみんなびっくりしたし、心配もかけたけど、今はもうようやってるやないかと思ってくれてる。僕としては29年間振り返ったら、まあここまでよう来たなと思います。うまい落語家だとか立派な師匠とか、そんな気は全然ないけど、来年30年になるけど、よう30年間もこの世界におったなと思います。

文福 コモンズフェスタ1伊藤 あっという間に2時間15分が、笑いと涙の2時間15分が過ぎてしまいました。ありがとうございました。質問がありましたら。

文福 今回は、もう仕事っていう気は全然ありません、仲間という気で来ています。伊藤さんとはなんべんも電話で喋っているのに、つい会ったら、どもりについて、なんでもあれもこれも喋ってしまわないかんような気がして、ひとり喋り過ぎました。

どもる子どもたちへのメッセージ

会場から 今日は、前の方にどもる子どもさんとか、どもる子どもをもつ親の方が参加されているので、文福さんからその人たちへのメッセージをお願いします。

文福 周りがもっと理解せなあかんでしょうね。僕も授業中に、「この問題、分かる人?」て言われて、一応分かってるから手を挙げる、でも、手を挙げてる子が多いと、どもると自分で分かってるから手をそうっと下げる。先生が「お前、いっこも手をあげへんな。分かってるんか。お前、いっこもよう答えへんな」とよく言われた。ちくしょうと思いました。周りが理解して、ひとりで悩まないで、どもってもええんちゃうかと思えばいい。喋り方でも歩き方でも特徴があって、みんなそれぞれや。みかんはみかん、桃は桃で味が違う。みかんとりんごとどっちがおいしいと言ったって、それ人によって違う。みんなそれぞれ自分の特徴や個性やと思って。足を引きずったのもそういう歩き方やしね。喋るのも僕はそういう喋り方をするんだ。これが私なんだ。確かに本もちゃんと読みたいと思うし、はきはき喋りたいと思うけれども。きれいに読んでも心がこもらんと読んでも何もならんし。つまりながらも一所懸命で説得力があったらそれでええんであってね。
 自分のことばに自信をもって。腹から声を出す。心から喋る。ただ、どもったりすると周りが変に笑うでしょ。相手が笑ってると、笑わしてるわ、受けてるわと勘違いをする連中がいる。うちの一門に頭の毛の薄い子がいて、芸名がこけ枝というんやけど。「私、こけ枝でございまして」と言ったらみんな笑う。ほんまこけしみたいにまるい円満な顔をしている。「師匠、よかったですわ、僕、落語の世界で」と言う。大学や普通の会社へ行ったら慰安会なんかでもこの頭やったら受ける。慰安会で受けても何の得にもならない。
 弟子のちゃん好なんか男前の部類です。逆に男前やということでコンプレックスがあった。鏡の前で顔をこうやって、こうやって、そんなんせんでも自然にやっているうちになってくるんやと言った。その点、こけし君なんかは、何もせんでも、「えー」と言ったらみんな笑ってくれるし、お客さんが和む。プロになってよかった。
 池のめだかさんも、小さいのをギャグにしてるけど、自分が小さいのは構へんねん、プロやからね。百も承知や。そやけど、学校で小さい子に「めだか、ちび豆」とあだ名をつけたりして、また職場ではげの人を笑い者にしても、なんぼ周りで笑っても、その人本人は他人を笑わす気はないからね。僕らは、プロやから笑ってもらってかまへんけど、皆さんの場合は、10人おって9人が笑っても、一人が後でちくしょうと泣いてたとしたら、その小学校の教室はほんま寂しい教室やね。みんなが10人とも笑わんとあかんよね。
 周りの理解も大事やし、本人も仮に笑われたって負けない、「かまへんわ、これは俺の特徴や」と強い気持ちを持ってもらわんとしゃあないね。落ち込んでしゅんとなるより、「僕はどもるけど、その代わり心優しいんだ、ハートをもってるぞ」と言い聞かせてね。心をこめてこれを言うたんだという気持ちを持ってたらいいと思う。今日は、ほんま小学生の君らが来てくれてうれしいね。

伊藤 遠いところは、広島から、福井から、来てくれました。

文福 ほんま、いやー、うれしいね。伊藤さんがこういう会を作ったおかげで、みなさんも何かを学んでいこうというのができてるでしょ。どもりを治す、矯正するところじゃなくて、「どもってもええよ、僕もそうやったんよ、楽しくやってるよ、キャンプにおいで」。そういうのを作ったのがすごいことやし、そこに来れる子どもさんは立派なもんや。どもりをどうしよう、どもりの子を持ってどうしようという親もいるだろうけれど、来てくれて、うれしい。
 今日は僕ばっかり喋ってもたけど、自信をもって、まあ和歌山弁では、おいやんっていうんやけど、こんなおいやんでもどもってたけど、今なんとか人前で喋る仕事をやってますし、自分で探したら自分を生かせる道があると思う。何も喋る仕事が立派とは違うんだよ。どんな仕事でもいいよ。自分を行かせる道を探して下さい。自分を生かせる道で自信を持って、これは俺や、これは私や、これは私の特徴だと。さっきの伯鶴さんみたいに、目が見えないことをハンディやと言わず、個性だ、キャラクターだ、私はそういうキャラクターを持っている人間だと思ってね。えらい長時間、ありがとうございました。

伊藤 ありがとうございました。(「スタタリング・ナウ」2001年2月17日 NO.78)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/20