NHK番組の「にんげんゆうゆう」をきっかけに始まった文福さんとのおつきあいは、当時、大阪吃音教室の会場として使用していた應典院でのイベントにつながりました。そのときのイベントのタイトルは、「どもりを個性に 桂文福オリジナルの落語家人生」でした。文福さんがよく話すのでそうなのでしょうが、このタイトルは、文福さんがつけたものではなく、僕がつけたそうなのです。本人が決めたのだと僕自身は思っていました。チラシが送られきて、このタイトルを見て、家族みんながびっくりしたそうなのです。でも、このタイトルで「吃音を全ての生活で隠さない」と決心したと言っておられました。「カミングアウト」ということばで、この体験を言っておられます。今はもう吃音は全開です。「どもって、なまって」が公開の場でも、どんどん飛び出します。周りの人が吃音について知っていて、それを否定しないけれど、わざわざ自分の口から言うことはないということだったのでしょう。明るい文福さんですが、吃音はやはり大きな重しになっていたのかもしれません。僕と出会ってから吃音は一段と成長されていますが、それも楽しんでいるような趣があります。僕たちの頼りになるひとつのモデルです。
 コモンズフェスタでは、落語という話すことが商売の仕事をしてこられた文福さんの話は、参加していた子どもたち、その保護者、そして僕たち成人のどもる人たちを大いに勇気づけました。「スタタリング・ナウ」2001.1.20 NO.77で特集していますが、まず、その号の僕の巻頭言から紹介します。

  価値観が広がる
                     日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 180度の価値観の転換、逆転の発想、マイナスをプラスに、などのことばが流行ったときがある。プラス思考で生きれば脳内に革命が起きる、との陳腐な本が大ベストセラーにもなった。
 人が変わるとは、どういう道筋を辿るのだろうか。実際に180度の価値観の転換ができて、その人が生きやすくなるのであれば、それはそれでいい。しかし、価値観の転換にどうもついていけない感じがするのは、今在る自分を否定する、あるいは自分が否定されることへの抵抗感、嫌悪感からだろう。
 私がどもりに悩み、苦しみ、将来の展望が全くもてずに堂々めぐりをして悩んでいた21歳の頃から、それなりの自己肯定の道を歩み始めたその道筋は、180度の価値観の転換、どもりをプラスに、などというものでは決してなかった。どもりを治したいと、精一杯治す努力をしたが治らず、「まあしゃあないか」と事実を認めたところから出発したように思う。どもりながらも、隠さずできるだけ逃げない生活を続けて数年後、ふと立ち止まったとき、数年前の自分とは随分変わっていることに気づいた。価値観の転換をし、成長を目指して取り組んだことは何一つなかったから、自分の変化に気づかなかった。おそらく傷が癒えるときに薄皮ができ、その薄皮が1枚1枚はがれるようなものであったような気がする。
 昨秋、應典院で開かれたコモンズフェスタで、桂文福さんがどもりについて語ってくださった。
 桂文福さんの落語家としての半生は、涙と笑いに満ちたものだった。どもりでシャイで対人恐怖で赤面症だった文福さんが、個性派の落語家として歩んでいく道は、最近CDとしてリリースされ、全国でヒット中の『和歌山ラブソング』にも似て、『どもりラブソング』そのものだった。
 しかし、どもるがゆえに起こる数々のできごとは、今は笑いとして話され、聞く方もつい大笑いしてしまうが、その真っ只中にいた頃は、不安、恐れ、悔しさ、腹立たしさ、様々な思いがうずまいていたことだろう。その後、どもるがゆえに失敗するテレビのインタビュー番組で「とほほ…」のギャグが大受けする。
 「そうか、どもって立ち往生し、『とほほ…』となるのもありか?!」
 どもっている自分をそのままに、少しだけ価値観が広がったということだろう。
 価値観の転換などという大袈裟なことでは無く、今の自分を否定しないで、自分のできることに誠実に取り組む。そのプロセスの中で、人はいろいろな人やできごとと出会い、結果として価値観が広がっていくのではないだろうか。
 桂文福さんの落語家としての30年の道のりは、古典落語だけを目指すのではなく、どもっているどもりはそのままに、河内音頭、相撲甚句などと出会い、新しい世界が広がっていった。
 文福さんは落語をするときはどもることはほとんどない。しかし、高座から下りて、どもりについて私と話す時、その後の打ち上げ会での酒席で、文福さんは楽しく自然にどもっておられた。そのどもり方は私たちにはとても心地よく、仲間意識が一段と深まった。なんかほっと安心する。笑いと、あたたかい雰囲気がその場いっぱいに広がっていった。
 私たちが相談会や講演会を開くと、「私はこうしてどもりを治した、軽くした。私もこれくらい喋れるようになったのだから、みんなも努力してどもりを軽くし、そして治せ」と言う人が現れる。その言動はどもりに悩む人たちへは励ましよりも大きなプレッシャーを与える。
 文福さんは違う。どもりを打ち負かして話すプロになったのではない。どもりに勝てなくても、少なくともどもりに負けへんでと、取り組んできたから今の文福さんがあるのだろう。
 「どもってもええやんか。そやけどな、どもっていても、おいやん(おじさん)のように、噺家のプロにもなれるんやで。プロになっても悔しいこと、悲しいこと、いっぱいある。けどな、負けへんで」
 悲しみも苦しみもあっていい。あるからこそ喜びが味わえるのだ。その日、遠く広島から、福井から、和歌山などから来た小学生が前の席にずらりと並んでいた。その子どもたちに、ちょっと太った一茶さんが優しく話しかけていた。
 「痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり」 
(「スタタリング・ナウ」2001.1.20 NO.77)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/04/15