僕は、これまで、吃音ショートコースという2泊3日のワークショップで、いろいろな分野の方と、対談をしてきました。それぞれその分野での第一人者の方でした。
今日、紹介するのは、僕の主催する吃音ショートコースではなく、第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会山形大会での記念対談です。対談の相手は、詩人の谷川俊太郎さんでした。谷川さんとは、その2年前に、竹内敏晴さんと共に吃音ショートコースにゲストとしてきていただいており、お話したことはありました。それでも、山形大会では、600人の聴衆の前での公開対談ということで、今から思っても、よく引き受けたものだと思います。「ことばの名人」である谷川さんと、「ことばの迷人」の僕との対談について書いている「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73の巻頭言を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/26

ことばの迷人
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「谷川さんは、俊太郎という名前はお好きですか?」この最初の切り口を考えた以外どう展開していくのか、見当がつかないまま対談が始まった。
第29回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の全国大会が山形で開かれ、「内なることば・外なることば」をテーマに、詩人の谷川俊太郎さんと対談をした。大会事務局からこの話をいただいたとき、谷川さんの気さくな人柄を知っているので、気楽に引き受けたものの、日が近づくにつれてだんだんと不安になってきた。
詩集だけでなく、対談集、散文、ことばについての著作など改めて読み直し、どんな話が展開できるか、準備を始めた。読めば読むほどに自分が谷川さんとの対談相手としては、あまりにも役不足であることが感じられ、安易に引き受けたことを悔いた。しかし、もう後へは引けない。聴覚言語障害児教育に携わる、ことばについて日頃実践している教師、600人ほどの前での公開対談だ。びびらない方がおかしいのだと開き直った。
谷川さんがことばの名人なら、私はことばの迷人だ。ことばに迷いに迷い生きてきた。ことばの迷い人として向き合えばいいのだ。そう考えたとき、私の中の気負いが消えた。
大きなホールの600人以上の聴衆をほとんど意識することなく、谷川さんとの対談を楽しめた。
『ことばの迷人』とは何か。
谷川さんは、私たちに「内的などもり」という洞察に満ちた文章を寄せて下さっている。
―自分の気持ちの中では、しょっちゅうどもっています。それは生理的なものではないので、吃音とは違うものですが、考えや感じは、内的などもりなしでは言葉にならないと私は思っています。言葉にならない意識下のもやもやは、行ったり来たりしながら、ゴツゴツと現実にぶつかりながら、少しずつ言葉になって行くものではないでしょうか―
このようなことは、カウンセリングの訓練の中のひとつである、自分自身がクライエントになっての面接場面のテープを聞くと、誠によく分かる。普段話しているのとは全く違い、まさにゴツゴツと行ったり来たりしている。内的にも、外的にもひどくどもっている自分にびっくりする。
どもる人の言葉には滑らかに流暢に話す人にはないリアリティがあると、どもりを肯定的にとらえて下さる人は多い。どもりは個性だと言い切って下さる人もいる。
どもりを忌み嫌い、人前では絶対にどもりたくない思いばかりが強かった21歳までの私は、人と話す時、いかにどもりがばれないようにということばかりに腐心した。向き合う相手のことなど少しも考えていない。このことばはどもるか、どもらないか。自分の気持ちを探り、自分の中の言葉を探るのではなく、どもらない言葉だけを探っていた。例えば、本当は『悔しい』と言いたかったのに『く』がどもると思うと、とっさに『さみしい』とか『悲しい』などと言ってしまう。言った後で、常に不全感が残った。自分の気持ちや、ことばを大切にせず、どもらない音だけを散らせた。私の、このことばにリアリティが出るはずもない。これを、「ことばの迷人」と言わずになんと表現しようか。まさに、ことばの迷い人が、当時の僕にはぴったりとするのだった。
どもる人のことばを個性と言うには、大きなポイントがある。それは吃音を受容しているかどうかだ。完全に受け入れているとまではいかなくても、肯定的に考える。少なくとも、吃音を忌み嫌い、強く否定していないことが、決め手だろう。
「どもってもいい」と、吃音を自分自身が受け入れると、いかにどもっても自分の気持ち、思いを表現しようとする。話すことは苦手でも、文章なら大丈夫だと書くことにも目が向いてくる。どもりを強く否定していた時は、どもりを治そう、少しでも軽くしようとの選択肢しか思い浮かばなかったが、どもりを受け入れたとき、選択肢は人生、趣味などとも関連して、広がっていく。
吃音の経験があり、その人なりの人生を生きた人は、一時は吃音を否定していたとしても、吃音否定のままでいたわけではない。
谷川俊太郎さんの父君、著名な哲学者の谷川徹三さんも、自分の名前が言えずに悩み、1か月、伊沢修二の楽石社で矯正を受けた。しかしその後は吃音を受け入れ、個性として生きたからこそ、今日の谷川さんの吃音への思いにつながったのではないか。ことばの迷い人にならないために、まず、どもってもいいが基本なのだ。(「スタタリング・ナウ」2000.9.15 NO.73)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/26