昨日のつづきです。石隈さんとの対談の紹介は、今日で最後です。このときの吃音ショートコースの詳細は、金子書房から『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』として出版しました。大阪吃音教室での話し合いや、奈良さんの「仲人」の体験など、論理療法を生かした体験が満載です。
やわらかに生きる表紙 思い出してみても、石隈さんとの出会いは、僕にとって本当にありがたい出会いでした。
 その後、レジリエンス、ポジティブ心理学、ナラティヴ・アプローチ、健康生成論、オープンダイアローグなどたくさんの「吃音とうまく生きる」ために学んできたことはたくさんあるのですが、吃音に一番役立つのが論理療法です。その論理療法を石隈さんから学べたことはうれしいことでした。
 もうひとつ、僕は「先生」と呼ばれるのが好きではありません。いや、むしろ嫌いです。医者、教師以外の人に、特に政治家に「先生」と呼ぶのには嫌悪感さえ覚えます。一時期、僕は、大学の教員だったし、大学や専門学校の非常勤講師はずっとしてきたので、「先生」と呼ばれても仕方がないのかもしれませんが、それでも、「さん」と呼んでほしいのです。吃音親子サマーキャンプでは「先生」は厳禁です。参加者もスタッフも、みんな「さん」づけで呼び合おうと、キャンプのはじめにみんなに言います。
 石隈さんとは、最初の出会いのときから「石隈さん」でした。僕が何の抵抗もなく「石隈さん」と最初から言えたのは石隈さんのお人柄でしょう。僕は全ての場面で「対等性」が大事だと言い続けています。
 そろそろ日本も「先生」と互いを呼び合うことはやめたいものです。
 余談がはいりましたが、石隈さんとの対談の最後です。ごく一部なので興味を持たれたら、是非、金子書房の『やわらかに生きる〜論理療法と吃音に学ぶ〜』をお読みください。
 では対談のつづきです。


石隈 今の電話の方はなんかそんな意味があって、ただそれが一人ではしんどいからね。誰かが後押しする。それが論理療法家ですよ。

伊藤 ああ、そうですか。そういうふうに、ぽんと後押しすることですね。僕らどもる人たちのセルフヘルプグループでも、またことばの教室の教師でもスピーチセラピストでも、できることと言えば、どもりを治すことじゃなくて、ちょっと背中をポンと押してあげることしかなんじゃないかと、僕はいつも言っているんです。

石隈 そう思います。いろいろな問題で困っていることがあって、優秀なお医者さんがいて、お医者さんにがんばってもらって、いろいろなことが治るようになることはありがたいですけど、それはもちろん私も否定しません。同時に、その病気をもっている患者であるとか、つきあう立場で言えば、治してもらうことばかりに依存しないで、それは置いておいて、うまく活用して、どうつき合ったらいいかなというのは、自分のできることです。
 学校心理学という分野の話ですが、学校で子どもを援助していて似てることがあります。学校は、教育機関で、お医者さんじゃないが、精神疾患であるとか、発達障害の知的な遅れのある子どもが来る。ところが、それは治せないんです。一時、ご存じのように、障害児教育でも、とにかく訓練して、治すんだということを一生懸命やってきたことがありました。それは大事なんだけど、そればっかりやってると、ほかの生活の面とか、その子らしいいいところが伸びず、時間がもったいない。だから、学校の中で、また我々の仲間うちで治すことはできないが、どうやったらうまくつきあえるか、どうやったら自分らしく生きられるかを、お互いに支えることはできる。これは大きいと思います。
 私は頭で言っているんじゃなくて、私自身がいくつかのつきあっているものがあるんです。私は小さい頃から喘息なんです。つきあいは長いです。私がちっちゃい頃、母は大変だったと思います。夜中に起きてぜいぜい泣くので、親としては辛かったと思います。いろいろ病院にも行きました。喘息のいいところは、薬である程度押さえることはできる。だけど、治ったわけじゃない。別に、それは不幸でもないし、ちょっと不便なだけです。お酒を飲みすぎると出ますが、たまたま私はお酒が強くないからいいんですけど、朝と晩にお薬を2錠ずつ飲んで、朝と晩にスプレーを自分でやって、発作が出たときにはこっそりこれをやる。最近、喉の薬が、まだ売れてなかった歌手(失礼!)が宣伝してヒットしたのがある。喉の薬のおかげで、私がスプレーしても最近は、喘息の薬だとばれないんです。
 これは私がつきあってることです。不便だけど、これで困っていることはない。これを治そうと思ったら、合宿に行ったり、いろいろ治す場所に行ったり、確かにいろいろあります。でも、今の不便さが3だとして、それを0にするために頑張るよりは、他にやりたいことがいっぱいあるので、3とつきあっていくというのです。私はすごく似ているなと思っています。
 だから、伊藤さんの吃音とつきあうというのは、私なりに分かりますし、やっぱりせっかく1回きりの人生だから、いろんなことはあるけれど、つきあうとこはつきあって、たくさん楽しもうと思っています。だから、共感します。
 伊藤さんの最初の21歳の素敵な女性と、23歳の図書館の青年との面接の話は、論理療法からみると、ストンと落ちますね。論理療法って、別にしゃちほこらなくても、選択肢を示すとか、後押しするとか、いろいろ思い切ってとにかく1回試してみるとか、そういうところがあるんですね。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/22