昨日のつづきです。僕が面接で話してきたことを、石隈さんに、論理療法的に解説していただきました。論理療法を知らなかったときの面接です。論理療法と出会って、吃音と相性がいいと思ったのは、当然のことだったのでしょう。僕が今でも記憶として強く残っている二人の面接を、石隈さんに解説していただきました。腹話術に挑戦することを提案した彼は、僕の「恩人」とも言える人です。彼との面接がなければ、「吃音を治す努力の否定」は、幻と消えていたかもしれません。ここまで言うのは無理だろう、となっていたかもしれないのです。まさに、私をずっと支えてくれた「恩人」のひとりです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/21
論理療法実践
伊藤 僕は、論理療法について全然知らないときに、いくつか自分が面接でしてきたことがあるんです。それを論理療法的に言うとどうだったのか、コメントをいただけるとありがたいですが。
ぼくが勤めていた大阪教育大学の言語障害児教育課程は、吃音のメッカと周りから言われていた。そのため、吃音を治したい、治してくれるはずだと思ってたくさんの人が相談に来るんです。そこで21才のうら若き女性が相談に来ました。この人に対しては一所懸命になったから鮮明に覚えているんですが、どうしても吃音を治したいと言う。僕は自分の経験を含めて、そんなに簡単に治るんものじゃない、吃音とうまくつきあうということが現実的だよとかなり時間をかけて丁寧に説明しました。彼女は反論を続け、最後にあなたはそうかもしれないけど、私は受け入れられない、絶対吃音を治したいと引かないんです。ぼくはもう、手詰まりでピンチに立たされました。
「分かりました。僕たちが吃音を治すたあに一所懸命やってきた方法を、僕の知っている知識としてあなたに教えます。私は失敗しましたが、あなたが19年間、それに対して一所懸命頑張れば、ひょっとしたらうまくいくかもしれない。吃音というのはデモステネスの時代からずうっと延々と続いてきて、それでもなおかつ多くの人が治っていないんだから、19年はかかるという覚悟が必要です。19年間、一日に3時間は発声練習や呼吸練習を一所懸命おやりなさい」
19年というのはあてずっぽうなんですけども、彼女は計算しました。19+21=40、40歳になってから治ってどうなんだと、急展開しました。あれは、僕の面接の中で劇的に変化したケースでした。「40歳ならもういいと」と言うんです。「確かに21歳まで吃音で悩んできたけど、友だちもいるし、生活もそこそこやってきた。これから19年間、吃音を治すためにだけ、3時間も4時間も使うというのは損だなあ」と言う。
石隈 それは、論理療法ですよ。治したいという気持ちを否定していないで選択肢を示している。19年間かかって治したい人もあるかもしれない。でも考えたら、友だちもいるし、他にもいいところがたくさんある。治すことにこだわらない他の選択肢もいくつかあるということに気づく。選ぶのは本人ですけど、正に論理療法ですよ。
それからカウンセリングでいう進路選択の相談ですよね。進路相談は、たとえば、あなたが歌手になりたいならどうぞと、そんなに簡単に高校や大学の先生は言わないわけですよ。歌手になるためには、どういう勉強をして、どうなるのかなという将来のシミュレーションを一緒にしますね。それでなれなかったらどうするのかと、いろんな選択肢を一緒に考える。よくカウンセラーは誤解されていますけど、あなたの気持ちはよくわかる、お好きにどうぞと、やっているわけじゃない。
伊藤 論理療法的かどうか詳しく知りませんけど、僕は19年とか3年とか期限を切ったり、具体的な提案をすることがとっても好きなんですね。
石隈 具体的ですね。まあカウンセリングについて言えば、長くやればいいということではありませんから、自分でいろいろ選択肢を、しんどいけど決めていかなきゃいけない。「私は今から5回ほどカウンセリングをおつきあいしますから、その間にこのことについて決めましょう」と言うことありますね。具体的な数字を出すことはありますよ。だから伊藤さんはそのときから意識されなかったけれど、論理療法的だった。選択肢を示した。治療するのをやめろとは言ってないわけですよ。やりたい人はいるかもしれない。それはその人の選ぶ選択肢なんです。ただ一つの選択肢しか知らない人に他の選択肢も伝えてあげるのが、専門家の役割ですよね。
伊藤 それと一つ、臨床家が、一人のケースとの出会いで、何かいろいろなものが見えてくる、変わるってありますね。僕にとって大きなひとつのケースがあるんです。もう26年も前のことです。
大学の図書館に勤めている23才の男性。その彼との面接が、僕が『吃音を治す努力の否定』を提起する後押しをしてくれたんです。彼は、ブツブツ途切れて、喋ることばを無理なく書き留められるほどで、これまで僕が出会った中で、吃音がとても目立つ人でした。そしてなおかつその人は吃音を治そうというモチベーションが全くない。
吃音だから話さなくてもいい仕事と、本人も希望し、父親もどもるのだから喋ることの多い仕事には就けないだろうと、大学の図書館に就職させた。最初は確かに黙々と本の整理をしていたが、学生とのやりとりも出始め、整理ばかりしてはいられない。上司がたまりかねて、このままでは図書館の仕事としても成り立たないから吃音を何とか治せと迫った。上司の命令で、しぶしぶ僕の所に相談に来たんです。
1週間に1度の面接を始める前に契約をしました。僕は吃音を治せない。吃音とつきあうことを一緒に考えることを了解してもらえれば引き受けますと。それで面接がずっと続くんですが、課題を1週間ごとに出しました。
彼は随伴症状として舌が出る。どもるたびにものすごい長さの舌が出て、どもること以上にそのことに悩んでいたので、この舌は何とかならないか考えた。舌を出さないようにはできないが、結果として舌が出ない話し方は腹話術しかない。これも思いつきで、6か月後にどもる人の全国集会があるので、腹話術の練習をして6カ月後の全国集会で発表しようと提案をしたんです。ノーが言えない人ですから、そこにつけこんで、やりましょうとなったわけです。僕は彼に、腹話術の情報を一切与えないで、全部自分で探すことから始めた。
最初の1週間がたって、「腹話術の情報はあったか」と尋ねたら、「本屋さんに行ったけれども腹話術の本はなかった」でした。近所の本屋さんです。結局やりたくないものだから、紀伊国屋や旭屋書店などの大きな書店に行かない。それを指摘して、やっと次の週は紀伊国屋に行ったが本はなかった。1週間の彼の行動はたったそれだけ。
石隈 それで次の週は?
伊藤 労働会館とか青年会館であれば腹話術のサークルがあるかもしれないと、サジェストすると、「探したが、場所が分からなかった」と、なんだかんだと口実をつけて動こうとしない。
そこで、これまでの生活を振り返って、僕と話し合い、それをテープにとり、テープ起こしをして、KJ法で整理してみたら、まあ彼が今まで吃音を否定して、どれだけ逃げてきたかが図式化された。
それまで彼は全て親にしてもらって、自分では一切買い物をしたことがない。散髪に行っても、黙って座るだけだから、いろんな刈り方をされる。それぐらい話すことから逃げて、消極的に生きてきた。単に面接ということだけでは、話してしまったら、消える。ところがKJ法で視覚化できる図にすると、直面せざるを得なくなる。
次に、僕の方から、腹話術のサークルの電話番号だけを教えました。今まで一度も電話しなかった彼が、電話をしなければならない。彼は意を決して電話をします。どもってどもって汗びっしょりになりながらも、電話ができた。ひどくどもりながらも、情報を得るという、目標は達成できた。相手も、電話を切らずに最後まで聞いてもくれた。
この経験で、彼の行動は少しずつ変わっていきました。だけど、3ヶ月くらいまではまだ大きくは行動が変わらない。川上のぼるというプロの腹話術師が近所にいるらしいということがわかった。どもらない人なら電話帳を調べて電話して行く道を聞くでしょうに、彼は目安をつけた近くを、一軒一軒、家の表札を見て回った。電話をしたり、人に聞くのが嫌だから、自分の足で探した。
石隈 だけど、積極的に選択肢は増えてますね。
伊藤 そうんなです。結局、川上のぼるさんに相談にのってもらい、かなり高価な腹話術の人形を買い、もう後に引けなくなって、本格的な練習を始めました。
6か月後、高野山で行われたどもる人の全国集会の200人を越える人の前で、実演をしました。
どうして腹話術をするようになったかの説明ではひどくどもるんですが、腹話術では全然どもらない。大いに受けて、拍手喝采でした。そういう経験をして、彼は明るくなり、積極的になりました。一時的なものかどうか、職場の人にも会って確かめたのですが、職場でも随分変わったんです。吃音の症状も、軽くしようとか治そうとか一切していないのに随分言いやすくなりました。また、舌の方はほとんど出なくなりました。
このケースから、僕はたくさんのことを学びました。吃音の軽い人なら、元気のある人なら、吃音と共に生きるというのはできるけど、吃音が目立つ、消極的な人には、伊藤さんの言うことなんて無理だって言われてきたのが、彼との経験で、いわゆる吃音の重い人にも通用するんだということに自信をもてるようになりました。
石隈 そうでしょうね。今の腹話術をすることになった人に対する関わり方は、まさに論理療法なんです。彼は最初に吃音でいて今のままでいいと思っているわけでしょ。それも彼の選択肢で、それはそれでいいと思うんだけど。違う選択肢に挑戦してみるという自分にとって大変なことは回避してるわけです。それも人生それぞれで回避する人もいるわけですが、その人は伊藤さんに出会うことによって、他のことをすることを避けてきたのかもしれないと気づいていく。他のことも可能かも知れない。
これは積極的に選択肢を挙げるというのとは少し違うかもしれないけど、違う選択肢が伊藤さんの支えでその人に見えてきたんです。こういう道もあるよと。これが半分だと思うんですけど、残りのあと半分は、やってみないかと勧めてもらった。モチベーションが高い人なら選択肢を示しただけで、自分で選んでいけるんだけど、低い場合も、こういう選択肢があってやってみるんならお手伝いするよと言われたら、やりやすい。こういうところが論理療法的ですね。やってみたらって、背中をちょっと後押してもらうとありがたい。なんでも、始まるというのが心配ですから。カウンセラーも友達もそうですけど、やっぱり相手のことを真剣に考えたら、まあ、お好きにどうぞとは言えない。こういう選択肢もあるから一回試してごらんと言って提案する。この点は伊藤さんの迫力だと思うんです。
例えば、エレベーターに乗るのが怖い人というのが、エリスの患者で出てくるんですが、エリスはまあ、エレベーターに乗って見なさいって言うんですよ。でも、怖いから嫌だって言うんです。それなら、あなたは、あなたの人生だから、これから50年間、エレベーターに乗らずにどこに行くのも歩いていくというのもいいよと言います。特にニューヨークは高いビルがたくさんあるから、説得力があるんですよ。10何階なんてエレベーターに乗らないと足で歩いて行けないです。ほんとに不便でしょ。今から私と一緒に10回ほど練習して、乗れるようになれるかも分からないけど、そういう選択肢もある。やってみるかと言うんです。じゃ、とりあえず1回だけしようとなる。最初から10回全部をつきあおうと思ってないかもしれませんが。
次に、論理療法的なのが電話ですね。電話をかけるっていうのはその人にとって、とっても大きなチャレンジだし、こわいし、大変だった。でも、相手に通じた、目的を果たせた、もちろん嫌なことはいっぱいあったけど、相手に通じた。これは昨日話した、エリスが18歳のときに、女の子とうまくいかなくて、植物園でいろんな人に声をかけて結局デートの相手は一人もできなかったけど、でも、思ったほどひどいことじゃないぞと、人生最悪のことじゃないぞと気づいたことと似ています。そのことをその人が意識されていたのかどうかは分からないけど、そのときの電話っていうのは、その人にとってものすごく大きな体験だったと思います。
論理療法が、系統的脱感作(ステップバイステップの行動療法)とちょっと違うところは、論理療法は、当たって砕けろというのをやるんですよ。だって、ずっと待っていたらこわい。ちょびちょびやるという行動療法では、学校が怖い人は一歩ずつ近づく。それもひとつの方法なんですけど、論理療法は目をつぶってでも怖いところに行ってみる。行ってみたら、殺されるかどうか…。それがすべてに通じるかどうかは分かりませんが、今の電話の方はなんかそんな意味があって、ただそれが一人ではしんどいからね。誰かが後押しする。それが論理療法家ですよ。
伊藤 ああ、そうですか。そういうふうに、ぽんと後押しすることですね。僕らどもる人たちのセルフヘルプグループでも、またことばの教室の教師でもスピーチセラピストでも、できることと言えば、どもりを治すことじゃなくて、ちょっと背中をポンと押してあげることしかなんじゃないかと、僕はいつも言っているんです。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/21