石隈利紀さんをゲストに迎えた、1999年秋の、論理療法をテーマした吃音ショートコースを紹介してきました。今日は、その最後、参加された方の感想を紹介します。

吃音と真剣に向き合った
            長野県・佐久総合病院外科医 結城敬
 まずはじめに、今回初めてこのようないに参加させていただき本当にありがとうございました。私の人生に影のようにつきまとっていた「吃音」というものとあんなに真剣に向き合ったことは初めての経験でした。これまではいつでも自分一人の問題として「吃音」を考えてきたのに、同じ悩みを持つ大勢の方々とお会いし、じっくりと話すことができたことは素晴らしい経験でした。また、みなさんこころゆくまでどもっていてとても感激しました。どもるということはけっして恥ずかしいことではないのだと実感できましたし、あのように「あじ」が出るなら、どもるのも悪くないなと思いました。また、どもらない人たちが、まるで自分のことのように吃音に対して真剣に取り組んで下さっている姿にも感激しました。この年になってこんなに深く感動したことは初めてです。人との出会いで得られる感動は、本を読んだり講演を聞いただけでは得られないほど大きなものです。素晴らしい3日間をどうもありがとうございました。
 少し自分の話をしますが、私の母親も私同様にどもっていて、電話が大の苦手でした。店屋物を頼むときなど、電話がうまくできずにいつも父親から「どうしてそんなこともできないのだ」と怒鳴られ、陰でこっそり泣いていた母の姿を今でも思い出します。子どもの前で怒鳴られる母親がかわいそうで、自分自身の吃音のことも忘れて私も一緒に泣いたものでした。いつの日か必ず吃音を完治させて電話を恐れない人生を送りたいと思いました。
 あれから30数年が経ち、父も母も年老いました。もちろん私は今でも吃音と共に生きています。現在私は長野県の山の中で癌を専門とする外科医者をやっています。世界中で莫大な費用が癌研究に投入されているにもかかわらずその成果があがらず、癌と闘うのは無駄な努力であるとさえいわれてきましたが、ようやく少しずつ原因が解明されつつあります。吃音は癌とは異なり、死にいたる病ではありませんが、社会生活における死に匹敵するほどの苦しみを与えることがあります。吃音を受容できず治療法を探し求めることのみに時間を費やし、本当に自分のやりたいことができなくなってしまう人がいるのは非常に残念なことですが、私の場合、ここまで母親と自分とを苦しめた吃音というものの正体をどうしても見たいのです。それがやりたいことなのです。それが、自分を肯定することなのです。というのは、最近私の甥に強い吃音症状が出始め、人とあまりつき合わなくなってきたからなのです。私自身は吃音に対する受容もできつつあり、もう治らなくてもいいような気がしています、けれども自分が生きている間に一歩でも二歩でも吃音の正体に近づきたい。そんな気持ちでいっぱいなのです。


私が参加する訳
             滋賀県・草津高校図書館司書 中嶋みな子
 「どもる人でもないし、ことばの教室の先生でもないのにどうして参加していますか」と尋ねられ、ふっとわたしにも分からず「何となく」とこたえてしまいました。
 「吃音ショートコース」という名称で、日本吃音臨床研究会が主催されているのです。ところが、中味は吃音というより、人の生き方、自分のからだやこころについて、共に話し合ったり、共に勉強したりするようなのです。とても不思議に思うことがあります。
 だから、吃音の人にもことばの教室の先生も吃音のことを話しながら、生き方を話し合っている。つらい吃音の体験を話しながら、みんな、イキイキとノビノビと映っている。
 人はみんな、異なる明るさや楽しさを持っていると自覚し、解放されるワークショップはこの「吃音ショートコース」以外にないのでは?と痛感します。
 今回の体験発表の松本さん、去年の同室だった岡本さんの時のように、泣き笑いの感動でした。石隈利紀さんの論理療法も実践的で分かりやすく理解もでき、何だか肩の力が抜けました。村田喜代子さんの講演も村田さんの生き方と個性にひかれました。「まっとうに生きる」が印象に残りました。
 私自身は去年よりも落ち着いて生き方を学べ、省みることのできた3日間でした。
 今は「だから私は参加しています」と答えます。答えになりましたでしょうか?

 選択肢を広げる
              広島市立皆実小学校ことばの教室 楢崎順子

 3年前、吃音ショートコースに初めて参加した。その当時、教室に通ってくる吃音の子どもたちを目の前に、どう支援したらよいか分からず悩んでいた。そして、成長して大人になったときの姿が見えないまま、子どもたちを支援することなんてできない、どうしても成人のどもる人に直接会って話してみたい、そんな強い気持ちから参加した私。
 共に語り、共に過ごしたあっという間の3日間。その間、私は吃音があるとかないとかいうことをすっかり忘れていた。「どもることは、悪いことでも、人より劣ることでもない」「どもっていてもあんなに素敵に生きていける」ということを確信して帰路に着いたことを昨日のことのように思い出す。
 それからの私は「どもっていても、それがあなただよ。そのままのあなたでいいんだよ」そんな思いが溢れる中、吃音の子どもたちと接してきた。"吃音をマイナスにとらえてほしくない"との思いも強く、子どもたちと吃音について語り合ってきた。その中で、ある子どもは「どもっていても、わざとじゃないから仕方がない」「無理に治そうとしなくても、まっいいか、自然によくなるかと思っていたら、ちょっと楽になる」と吃音はマイナスではないということをその子なりに理解してくれた。
 でも、「つまってもいいように、リラックスするために、この教室に来ているんだよ。ここでしっかり遊んだら、嫌なことを忘れてスッキリするもん」そのことばからは、「吃音を軽くしたい。治したい」という気持ちを持ち続けていることが痛いほど伝わってくる。そんな子どもたちをこれからどう支援していけばいいのか行き詰まり、3年ぶりに吃音ショートコースに参加した。
 今回、論理療法を学び、どうして行き詰まったのか、私の中のイラショナル・ビリーフを探ると「吃音を受け入れなければならない」という考えがあることに初めて気づいた。「吃音を軽くしたい。治したい」今のその子の気持ちがそうなんだから、それもひとつの選択肢、それもOKなんだということが分かった。そして「吃音を受け入れなければならない」から「吃音を受け入れるにこしたことはない」という考え方に変えると、気持ちがとても楽になった。これからは、その子の「吃音を軽くしたい。治したい」という気持ちに寄り添いながら、その子がその子らしく楽に生きていけるように支援していこうと思う。
 3年ぶりの吃音ショートコースは、また、新たな刺激を私に与えてくれました。

自分自身のために
                大阪府豊中市・看護婦 松本文代
 今まで娘の愛子と共に吃音親子サマーキャンプに参加していましたが、もうキャンプにつき合う必要もなくなり、これからは、自分自身のために活動してみようかなと思い、初めて吃音ショートコースに参加しました。
 参加するにあたり、『意見発表を希望される方は・・』というのが心に残り、娘の吃音との12年間と成長を皆さんに伝えたいという思いにかられました。発表にあたり、今までのことを振り返ってみました。こういう機会でもなければ、振り返ってみることもなかっただろうと思います。
 3歳からの発表に始まり、教育研究所に通ったこと、学習発表会で笑われ辛い思いをしたこと、伊藤伸二さんとの出会いによりサマーキャンプに参加するようになったこと、次々と思い出されてきました。サマーキャンプに参加するようになり、大阪吃音教室の方々とのふれあいの中での成長ぶりが、心の中を熱くしました。また、自分のことも振り返り、みつめ直すこともできました。
 自分の発表まで胸がドキドキしていましたが、マイクの前に立ち、マイクが高すぎてドッと笑いがとれてから、スーッと緊張もとれ、リラックスして発表することができました。初めて発表ということをしましたが、和やかな雰囲気の中で、安心して発表できました。思ったより反響があり、いろんな方から声をかけられました。看護婦ということもあり、医者や看護婦の方もおられ、話も弾みました。また、愛子を知っている方からも「愛子ちゃんによろしく」と言われたり、サマーキャンプでの話を聞かせてもらいました。改めて、娘の愛子の大きさに驚きです。
 午後からの石隈利紀さんの論理療法は、分かりやすくて、おもしろく、長時間というのも忘れて学ぶことができました。吃音だけでなく、仕事や日常生活など、いろいろな場面で活用できることが分かりました。今まで落ち込んだり、腹が立ったりすることが多かったように思いますが、考え方により、気持ちを楽にすることができるように思います。
 今回、ショートコースの参加と、意見発表により、自分が前向きに変われたような気がします。やはり参加するんだったら発表してよかったと満足感でいっぱいです。
 昨年は、『どもる人のための、からだとことばの公開レッスンと上演』に参加し、今年は吃音ショートコースでの意見発表をしました。来年も、何かに参加できるようにがんばろうと思います。(「スタタリング・ナウ」1999年12月 NO.64)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/15