僕たちが、どもる子どものためにと1990年から始めた吃音親子サマーキャンプ。始めた頃は、どもる子どもに特化したキャンプはどこにもなく、画期的なものでした。スタッフとして参加したことばの教室の担当者が満を持して自分の地元で開催するなどして、少しずつ広がっていきました。僕を講師にした吃音キャンプも始まりました。
 島根、静岡、岡山、群馬、沖縄、千葉など、多いときなど、毎週末、どこかのキャンプに参加していたこともありました。
 吃音親子サマーキャンプの、他にはない大きな特徴は、スタッフの中に成人のどもる人がたくさんいることです。どもる人が自らの体験を語り、どもりながら自分らしく生きている姿を見せることの大きな副産物を実感しながら、31回まで続いてきました。
 2023年も、8月18・19・20日、滋賀県の荒神山自然の家で開催します。
 今日は、全国に吃音キャンプが広がる一歩となった、島根スタタリングフォーラムについて書いています。1999年8月の「スタタリング・ナウ」NO.60から、巻頭言を紹介します。

どもりの語り部
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 今年も熱い夏の盛り、広島原爆の日が来た。
 秋葉忠利広島市長の平和宣言は、核兵器廃絶の闘いの先頭を切る被爆者への感謝を述べた後、3つのことを大きな足跡として讃えた。ひとつは被爆し絶望の中にありながらもなお生き続ける道を選んだこと。ふたつは被爆者の声がその後の原爆使用の抑制につながったこと。そして第3に、復讐や敵対という人類滅亡につながる道ではなく、未来を見据え、「新しい」世界の考え方を提示し実行してきたことだ。平和宣言はこれらに対する感謝に満ちたものとなっていた。
 同じように家族の多くを戦争で亡くし、その悲惨さを体験しながら、絶対平和を訴え、反戦運動の先頭に立つ人々と、結果として戦争につながりかねない道に加担する立場に立つ人々がいる。戦争の悲惨さを経験しながら、何故このような大きな違いがあるのか、広島の平和宣言に出会うたびに疑問に思ってきた。
 かつての吃音民間矯正所の草創期の設立者たちは、自らが吃音に苦闘してきた人々だ。吃音者としての体験から、吃音から起こる悲劇を言い、吃音は治さなければならないと訴える。
 日本でも諸外国でも吃音に悩み、吃音と苦闘した人々が言語病理学の世界に入り、臨床家や研究者になった例は少なくない。自分自身が悩んできたからと、吃音そのものにこだわり、吃音の軽減、治癒を目指す人は多い。治らない現実に戦略的として吃音受容に言及する人はいるが、自らの体験を通して、私のように「どもっていても大丈夫」と言い切る人はほとんどいない。
 何故少ないのか、これも広島同様私には不思議でならない。
  あなたはあなたのままでいい
  あなたはひとりではない
  あなたには力がある
 セルフヘルプグループの中で育ってきたこのメッセージが、吃音に限らず生き辛さを抱えたセルフヘルプグループにつながる人々をどれだけ勇気づけてきたことか。これから私たちのように悩むことがあるかもしれない子どもたちに、このメッセージを伝えたい。その思いをもって、10年前に、私たちは吃音親子サマーキャンプを始めたのだった。
 吃音をそのまま肯定し『どもっているあなたのままでいい』と言い切る、数少ないどもる人間として。
 今年も90名が参加するキャンプになった。どもる子どもだけのキャンプは例がなく、その体験を話すたびに、私たちもぜひやりたいということばの教室の関係者も出てきた。私たちも全国各地でこのようなキャンプができればとも思う。アメリカやインドなどでもどもる子どものためのキャンプは行われている。しかし、これらのキャンプと私たちのキャンプとでは決定的な違いがある。アメリカやインドのスタッフは専門家が中心だが、私たちは、ことばの教室の教師、言語聴覚士、どもる人が一体となって取り組む。主体はむしろどもる人で、セルフヘルプグループの文化が色濃く反映されている。
 10年前スタートしたこの小さな試みが、そしてその試みを様々な場面で紹介してきたことが、島根県のスタタリングフォーラムとして実現した。私も企画の段階から加わらせていただいた。そして、実際に体験してみて、成人のどもる人間としての生の声のもつ力を思った。親をはじめとする吃音に関わる人々が、生のどもる成人と出会うことの意味を思った。しかし、一方で体験者であれば誰でもいいということにならないということも。吃音の悩みと悲惨さを訴え、吃音を治しましょうという人であれば、私たちの失敗は全く生かされないことになるからだ。吃音を否定し、吃音を隠し、話すことから逃げ続けた失敗は、私たちの代で終わらせたい。
 声高に戦争反対を言うのではなく、自分たちの被爆体験を語り継ごうとした広島の多くの語り部たちの存在が秋葉市長の言う原爆を使わせない方向につながることを願いたい。
 吃音と共に豊かに生きる私たちの仲間が『どもりの語り部』として語り続ける必要があるのではないだろうか。そう考えると、日本吃音臨床研究会の存在意義は広島にも似て決して小さなものではない。(「スタタリング・ナウ」NO.60  1999年8月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/26