1999年秋、筑波大学の石隈利紀さんを講師に「論理療法と吃音」のテーマで吃音ショートコースを開催しました。これは、後に金子書房から「やわらかに生きる 論理療法と吃音」として出版しました。その吃音ショートコースの最終日に来てくださったのが、特別ゲストの芥川賞作家・村田喜代子さんでした。
 村田さんは、新聞のコラム記事に、「吃音礼讃」と題したエッセイ風の文章を書いておられました。まさに、論理療法の実践ともいえる内容でした。残念ながら、そのコラムがいつのものなのか、日付の記載がありません。冊子『吃音と上手につきあうための吃音相談室』の紹介を続けてきましたが、その「スタタリング・ナウ」NO.59の最終ページに紹介している新聞記事なので、1999年秋の少し前のものだと思われます。
 村田さんは、僕たちの吃音ショートコースで、ご自分の吃音にまつわる体験を話してくださいました。タ行が苦手な村田さん、「私の辞書に、タ行のことばはない」とか、「編集者が田中さんだったとき、旅先では友だちにまず電話して、その友だちを呼び出し、友だちに編集者に電話してもらっていた。だから、友だちは大切にした」などの話が印象に残っています。「スタタリング・ナウ」1999.7.17 NO.59に掲載されていたそのコラムを紹介します。
 村田さんの吃音ショートコースでのお話は、金子書房の「やわらかに生きる 論理療法と吃音」に掲載しています。

   
吃音礼讃
             村田喜代子(作家


スタナウ57〜62 新聞記事_0005 村田喜代子吃音礼賛 家の子供に聞くと、いま学校で吃音の子供は少ないらしい。昔は町にも学校にも結構いた。私もその一人で、身内にもいる。時代はスマート、早口文化で、テレビ・ラジオのアナウンサーから一般人まで、速い口調でしゃべる。社会の進展と共に、天然痘の終息宣言のように、吃音も長い歴史の幕を閉じるのか。
 と思っていると、見知らぬ吃音の女性から電話がかかってきた。どうやって治したのか、相談の電話である。吃音は外見上は言葉がつかえて出にくい状態だが、原因は発声時の呼吸の乱れにある。気分を落ち着けるといいのだが、そこのところが、なにか生理的と言うか、本能的と言うか、手に負えない感じである。だから私もまだ、吃音が治ってはいない。「早くから周囲の人に、吃音宣言をしていると、不思議に吃らないですよ」とアドバイス。
 羞恥心を捨てる。何が恥ずかしいのか。興奮した時はどもる。盛大にどもったあとなど、かくも情熱的にしゃべったことに、一種人間的な感動を覚える。「ナナハンで走ったような気分もします」と言うと、相手も笑い出した。
 どもる者とどもらない者。二つの系流をふとたどってみたくなる。「原始時代に火山が爆発して、その時にアッーと驚いてウ、ウ、ウワアッと叫んだ人間と、叫ばなかった人間がいたんじゃないですか。その叫んだほうの原始人の子孫かもしれない」
 だが噴火のショックもはるか昔になり、しだいに(叫んだ人の)血も薄れる。それでこんなにいまは吃音が減った。電話のむこうの女性も、ほとんどことばはつっかえない。軽い、もっとどもろうよと心の声がする。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/25