昨日、大阪市内の松下IMPホールで、『12人のおかしな大阪人』の芝居を観てきました。東京にいるときに偶然みつけたこの芝居、タイトルに惹かれました。
 ヘンリーフォンダ主演の映画『12人の怒れる男たち』から来ているに違いないと思いました。この芝居は、僕にとって竹内敏晴さんとの思い出のひとつです。

 『12人の怒れる男たち』を大阪弁でやってみたら、おもしろいんじゃないかと、竹内敏晴さんの演出で、應典院で上演したのです。
 竹内さんが亡くなるまで、約10年間、竹内敏晴さんの定例レッスンとして、「からだとことばのレッスン」の大阪事務局をしていたのですが、毎年3月に、一年間のまとめとして、公開レッスンをしていました。公開レッスンは、1年間、レッスンに通ってきていた人たちが、レッスンの成果を披露し、新たな課題をみつけるために、観客を巻き込んでの芝居の上演と観客とともに行うレッスンで構成されていました。取り上げた芝居は、たくさんあり、『12人の怒れる男たち』は、そのひとつでした。
 陪審員たちが、ある事件の話をする会議室での出来事で、場面展開のない、せりふだけで芝居が進んでいくこの芝居、はじめ、竹内さんは公開レッスンで取り上げることに難色を示されました。でも、みんなの「やってみたい」という希望が強く、上演することになりました。ある殺人事件の被告人の有罪・無罪の評決を決めるのですが、僕は、最後まで「有罪」と主張する役でした。ところが、本番で僕は、「無罪」と叫んでしまったのです。その瞬間、舞台上は静まりかえりました。舞台に出ていた出演者に、臨機応変にそこを切り抜ける余裕を持った人はいなくて、そのまま芝居は流れていきました。「なんでやねん、違うやろ。ずっと有罪と言ってたんとちゃうん?」というつっこみが欲しかった場面でした。
 こんな思い出のある芝居ですが、今回、みつけた芝居も大阪人とあるので、独特の大阪弁や関西人らしいやりとりを期待していました。

12人のおかしな大阪人 パンフレット_0001 今回の芝居のチラシには、こう書いてあります。

「12人の大阪人が、とある場所に集められた。
 性別、年齢、職業、環境…全てがばらばらな12人が集められた理由は、ある一人の男性が亡くなった事件。被告人はなくなった男性とつきあっていた女性だった。
 陪審員として集められた12人は、彼女が有罪か無罪かをめぐり、激しい議論を繰り広げる!
 …はずが、大阪人のノリ全開の話し合いは、ボケとつっこみが飛び交い、マシンガントークが停まらない! 個性の強い陪審員たちは勝手に話し始め、話は脱線しまくり、脇道に逸れ続ける。
 笑いっぱなしで時には涙あり?な12人の大阪人による審議は、果たして評決を導き出せるのだろうか…!?
 2021年、26年ぶりに再演された異色作が、リクエストにお応えして三度目の上演。
 さらに今回は28年ぶりに東京でも上演いたします!! お見逃しなく!!」

 見終わった感想は、「おもしろかった」です。役者さんの誰ひとり知りませんが、スピーディーにリズムよく展開していくのがおもしろく、よく笑いました。日常で使う大阪弁も随所にあって、あっという間の110分でした。
12人のおかしな大阪人 パンフレット_0002 僕たちが「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の実行委員会などで、集まって話しているときの会話も、こんな感じで、「突っ込み」が飛び交い、いつも笑いながらの話し合いです。僕たちにとってはごく日常なのですが、もしそれを聞いている周りの人がいたとしたら、今回の芝居のようにおもしろいと思うだろうなあと思いました。大阪人は、みんな漫才師かと言われることがあるようですが、それと似ています。
 僕は冗談を言うのが大好きです。第1回世界大会の実行委員会のときも、笑いが常にあふれていました。それが高じて、カウンセリングの場でも、許されそうだったら笑いをとっていました。長く、ベーシック・エンカウンターグループのファシリテーターをしていましたが、そのときも、九州大学の村山正治先生と僕が組んだグループでは、いつも大笑いする場面がありました。懐かしい思い出です。
 観る一方だった芝居ですが、竹内敏晴さんのおかげで、大きな芝居の主役をさせてもらったこともあり、舞台に立つことも好きになりました。チームを組んで何かひとつのことを達成するという過程が好きだし、表現することも好きです。小学2年生の秋の学芸会での出来事を帳消しにしておつりがたっぷりあるくらい、芝居は大好きなものになりました。 残念ながら、もう舞台に立つ機会はありませんが、有名な舞台だけでなく、このような舞台もできるだけ観にいこうと思わせてくれる、とてもおもしろい舞台でした。
 残念ながら、『12人のおかしな大阪人』、今日が最終日です。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/22