昨日の続きを紹介します。「スタタリング・ナウ」の特集として、吃音検査法、吃音評価について掲載しています。

吃音評価の試み

 1999年秋の吃音ショートコースの『論理療法』では吃音評価法を活用する。また、先月発行した日本吃音臨床研究会の吃音ガイドブック『吃音と上手につきあうための吃音相談室』で、吃音評価法について触れたため、この機会に15年前の論文だが紹介することにした。
 1981年、日本音声言語医学会・吃音検査法小委員会から吃音検査法〈試案1〉が発表された。これを機に、この検査法の検討を通してさらに従来の検査法に対する検討をも加え、私たちの主張する吃音とつきあう立場に立った吃音評価のあり方を探った。
 1983年、第28回日本音声言語医学会で発表し、『音声言語医学Vo1.25,No.3』P243〜P260(1984年)に『吃音評価の試み―吃音検査法の検討を通して』の論文を要約した。日本音声言語医学会吃音検査法はその後も検討が続けられている。

検査法の検討
1.ジャックと豆の木
吃音検査はかつて、慣習的に音読テスト「ジャックと豆の木」が使われてきた。通常5回音読させ、発吃時間、音読時間、発吃頻度、適応効果、一貫性効果を測定し、その結果から、どもる人の吃音特性や重症度を評定する。
 吃音の最大の特徴は変動性にある。場面、相対する人、その日の気分によって吃音の症状は大きく変動する。そこに吃音評価の難しさがある。難しさというよりも限界であり、本来症状の評価は不可能に近い。
 吃音頻度30%、一貫性50%が検査結果として出たとして、それがその人の吃音の問題をどう表しているのか、その数字から具体的などもる人の問題が浮かび上がってこない。このようなテストが、臨床の場でどう機能し、どのような限界があるのか、検討がなされないまま慣習的に使われてきた。吃音頻度に関しては、検査をしたその日の、その検査者の、その検査場所の、その時間帯の、その文章の朗読がそのような状況であったというにすぎない。それがその人の日常生活の中での吃音症状とはいえない。朗読の得意な人もいる。反対に日常生活ではほとんどどもらないのに朗読は苦手だという人がいる。頻度が高かった人が、日常生活の中では周囲の人がほとんど気づかない程度のどもり方であったり、反対に頻度の低い人が日常生活の中でかなりどもる人であったりする。治療前の吃音頻度35%が治療後5%となったとしても、だからその人の吃音症状そのものが改善されたとは必ずしもいえない。まして、その人の吃音問題が解決したこととは次元の違うことである。症状面で確かによくなったということを何らかの方法で表したいという臨床家のニードが満たされているにすぎない。

2.音声言語医学会検査法〈試案1〉
 「重症度を測定し、予後を推定するのに役立つような尺度を構成するための資料、すなわち相互に比較可能な症例追跡資料が十分にはない。とくに問題の核となるべき吃音行動の分類・命名・記述について統一がない。資料蓄積のためにも、症状の適切な把握・記述に基づいた、統一した検査法が必要とされる」
 「ジャックと豆の木」を使っての検査では不十分だと検査〈試案1〉は作成された。その検査法で、適切な症状把握力河能かどうか私たちは検査法を実際に試用し検討した。
a)方法
 吃音検査法〈試案1〉を、大阪吃音教室に新しく参加した人(4カ月以内)10人に実施し、2か月後再度実施した。
b)結果
 同一被検者の2回の検査結果は、10例中7例があまり差がみられなかったが、3例には著しい差がみられた。時や場所、その他の状況によって吃音症状に変化が生じるのはよく知られた事実であり、検査法小委員会もこの点についての考慮の必要性に言及している。今回の検査結果もそれを裏づけている。検査場面である限り、どもる人の「生きた現実場面」ともいうべき日常生活における吃音症状の把握とはなり得ない。特に成人の場合、その人の最も恐れている場面を検査者が観察することはほとんど不可能といえる。被検者10人全員が検査場面と日常生活の相違を指摘した。
・普段はもっとどもる。
・検査だからあまり緊張しなかった。
・会社の電話では、検査の倍くらいどもる。
・検査者が若い女性だったら、もっとどもったはず。
・先日食堂で『ごはん』と注文するとき出なかったが、今日の単語音読検査『ごはん』はすっと出た。
 検査時に吃音症状がきわめて軽いと記録されたばかりの人が、私たちとの懇談の自己紹介の時、60秒以上自分の名前が出なかったできごとは象徴的であった。目を強く閉じ、あごを突き出す随伴症状が多くみられたが、これは検査場面では全く出現しなかったものであった。
 かなり細部にわたる吃音症状の分析や重症度にあまり信頼性がなく、またそこから治療法を開発し、それを適用していくことがたいへん困難であり、『記録に時間がかかり、全体像がつかみにくい』と小委員会自らも指摘している本検査は、利用価値が少ないと指摘せざるを得ない。
3.検査による弊害
 検査をされれば当然その検査結果の提示を求める。そして、「それでは、この症状はどうすればよいのか」「この程度なら治るまでどれくらいかかるか」などの回答を求められるであろう。それに対して検査者はどのように答えるか。具体的な個別の指導法がないのに、分類だけ、症状の命名だけが詳細にされても納得しないであろう。ことばをかえれば、具体的な解決策がないのに診断をすべきではなかろう。
 被検者10人は一様にあまりにも詳細な症状の分類に驚きをみせた。吃音に深く悩んでいる人ならますます吃音への劣等意識を強めることになるだろう。また、検査者はどもっている人のこのどもり方はどの分類に入るのかなどとその判断にとまどい、どもり方に意識を集中した。つまり、吃音症状にとらわれなければこの検査は実施できなかった。検査者と被検者が共に吃症状にふり回される危険性を、この検査はもっている。
(「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 223/01/03