これまで発行してきた「スタタリング・ナウ」を残しておきたいと思い、コロナが始まってからブログで紹介してきましたが、まだたくさん残っています。どれも、今、読み返してみても、何の違和感もなく、すっと入ってきます。こんな前から、今と同じことを考えていたのかと、自分でびっくりすることも多いです。
今日は、1999年5月の「スタタリング・ナウ」です。
どもる子どもにとって、言語訓練ではなく、対話をと提案していますが、対話を始めるときに、そのきっかけになるであろう吃音チェックリストを使ってもらえればと思い、ことばの教室に紹介しています。吃音チェックリストは、1999年5月の「吃音評価」が出発でした。まずは、巻頭言からです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/02
今日は、1999年5月の「スタタリング・ナウ」です。
どもる子どもにとって、言語訓練ではなく、対話をと提案していますが、対話を始めるときに、そのきっかけになるであろう吃音チェックリストを使ってもらえればと思い、ことばの教室に紹介しています。吃音チェックリストは、1999年5月の「吃音評価」が出発でした。まずは、巻頭言からです。
吃音評価
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「さあ、胸を広げなさい。何をぐずぐすしているんですか!」
医師のことばに若い女性の患者は、「ちょっと頭が痛いだけなのに…」と思いながらも上半身裸になる。そして、からだについてや、プライベートなことまで根ほり葉ほり尋ねられる。
この若い女性にとって、そのことがたとえ自分の病気の処方に必要なものと納得しても、決して楽しいことではないだろう。ただ、このようにして診察されたことが、次の処方となって表れ、その処方によって回復への希望がもてると思うから、あえて我慢もする。しかし、そのように我慢をして終わった診察の結果が、その後の処方に全く生かされていなかったと、その患者が後で知ったらどうだろう。その患者の身になって考えれば、思いなかばにすぎるであろう。
1981年に日本音声言語医学会の検査法の試案が出されたとき、詳細に吃音症状を分類され、症状の程度が検査された結果、それがその後の処方にどう生きるのか疑問に思った。症状に応じた治療方法を提示できるほど吃音治療方法は確立されていないし、またバラエティに富むものではないのに、だ。
私たちが経験した民間吃音矯正所では、バンドを腹に巻かれ、モニターの前で発音をさせられた。
「あなたの吃音はかなり重度です」と、ほとんどの人が診断されていた。「軽度」では高い料金を支払ってまで通おうとしないからか。診察はそのクリニックの戦略にもなっているのだろう。重度といわれながら、全ての人は一律に呼吸方法と発声方法の指導がなされた。軽度、重度で治療方法が変わるわけではなかったのだ。
長い吃音へのアプローチの歴史は、吃音者と吃音を分離し、吃音症状にのみ焦点をあてた歴史だった。当然、検査は症状についてだけで、これまでの私たちの人生、現在の生活態度、吃音についての意識、これからの人生については全く顧みられることはなかった。そして私たち自身も、症状の消失・改善に一喜一憂してきたのだった。
民間吃音矯正所の時代はようやく終わりつつあるが、日本音声言語医学会の吃音検査法をみる限りこれまでと大きく状況は変わるとは思えない。
吃音に悩む吃音者は,これまでの悩みを切々と語り「吃音を治したい」と訴えるだろうし、それを聞く臨床家は、吃音症状の検査をし、「積極的に社会へ出ていけない吃音者に少しでも吃音を改善し、社会へ出ていくために吃症状の消失・改善を目指すのは、臨床家として当然の責務である」と吃音症状への治療に取り組むのだろう。
吃音症状の軽重で、どもる人の抱える問題が単純に割り切れるなら、いわゆる重度な人より軽度の人が社会適応ができ、より積極的な人生を送っているはずだが、実際はその反対の場合も少なくない。どの程度まで症状が軽くなれば、社会に積極的に出て行けるのか、どの辺で納得できるのか、人によって違い、難しい問題だといえる。
症状を検査し、吃音症状を問題の核心におく視点からは、どもるその人については抜け落ち、吃音者は吃音症状が治ればと症状への思いが強まる。
検査はその後に結びついてこそ意味がある。臨床家にとっての検査には研究のための資料の蓄積といった側面もあるだろうが、それは本来の目的ではないはずだ。吃音児(者)とどう向き合い、どのようにアプローチするかによって検査のあり方が違ってくる。
私たちの主張する《吃音と上手にっきあう》との視点からは、つきあう主体としてのどもる人が、つきあう相手である吃音をどのように考えているか、吃音がその人にどう影響しているのか、っまりその人の吃音の影響度を探ることになる。
しかし、それは他者から検査され評価されるものではなく、自らの意志で自らをチェックするところに意味がある。自分で分析し、自ら吃音とつきあうプログラムを作ることができれば、取り組む意欲も違ってくる。ただその時、ひとりで行うよりは他者と共に行うことで、これまでの堂々巡りが避けられる。また話し合うことで、より問題点も明らかになる。セルフヘルプグループで吃音の自己分析を続けるのはそのためである。(「スタタリング・ナウ」 1999.5.15 NO.57)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/02