昨日の続きです。谷川さんと竹内さんの対談、なんとも贅沢な時間でした。この対談が行われた吃音ショートコースの参加者は、どもる人よりどもらない人の方が多かったことも思い出されます。吃音という入り口から入ると、普遍的な広い世界が広がっていたということだろうと思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/20
極度に制限された中での表現
谷川 今一つ、思い出したことがあるんです。情報伝達でも、自分の感情の表現でも、あるいは必要なことの伝達でもいいんだけれど、それが極度に制限された形があって、僕の身近にそういう人が二人います。
一人は僕のいとこで、バイクの事故で完全に首から下が不随です。意識はあり、頭は正常に働いている。彼がどうやって情報伝達するかというと、気管切開してるのでほとんど声はうまく出ないけれど、非常に身近にずっと付き添っている人にはどうにか判別できる声がある。それと、もう一つはワープロです。
普通のワープロと違って常に五十音がディスプレイに映ってて、カーソルみたいなのが「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ」と常に動いている。寝てる頭上にディスプレイがあって、細い針金みたいなのが出てて、それに舌でタッチするとことばが確定する。「か」なら「か」のところにきたときに、ペロッとなめる。つぎに「く」のところでぺろっ「て」でぺろっ、「い」でぺろっと確定させて初めて「かくてい」というひらがなが出てきて、それを漢字変換する。だから、「こんにちは、よく来てくれましたね」と彼が表現するだけでも、5、6分待ってなきゃいけない。そういうコミュニケーションの仕方です。
もう一人は進行性の筋萎縮症の人で、その方は僕のいとこよりももっと体の自由が利かなくなっていて、彼の場合は瞬き(まばたき)で確定する。全然身動きできないんですが彼はすごい元気な人です。身動きできない人に元気といえば変な言い方なんだけど、生きる意欲満々な人なんです。彼の生きる意欲に周りの人がすごく励まされている。それで、お祭り騒ぎみたいな感じでボランティアが来ている。
彼が病室でピアノのコンサートと詩の朗読会を開きたいと言うんで僕は初めてその人のところに行きました。キーボードでピアノの演奏があって、僕が詩の朗読をしました。彼は王様のごとく、豪華な電動ベッドに身動きもせずに横たわっている。主人公は何にも言わないのに、そのそばでボランティアがキャーキャー言っておすしを作ったりなんかして、楽しんでいる。何かこれでいいのかな、という感じなんですね。それでも彼は、そういうことをちゃんと受け入れる知的能力、環境的能力のある人だから、とても喜んでいる。そのあとで感想なんかをEメールで書く。「Eメール1ページ分どれくらいかかるんだろうね」と聞くと、「まあ、3週間ですね」と周りの人が言う。だから、すごい努力なんですよ。そういう形ででも、とにかくコミュニケーションしているし、していこうという意欲があるということに、こっちは励まされてしまう。
また、普段自分がペラペラペラペラ喋っていることが、どんなに運がいいのかってことを、痛感させられちゃうんですね。
そういう極限の形が、僕の頭の中にあって、一方で例えばテレビの喋りにしても新聞の文章にしても、本当に一種決まり文句の羅列みたいな文章とか話し方ってありますね。だから、吃音の人たちが抱えているもどかしさや不安やあせりというものは、ある程度僕の頭では理解できているつもりなんです。
現実的な場面での交信速度の速さが、現代の特徴のような気がします。たぶん昔は、こんなにみんな早口で、しかもパッパッとお互いに受け答えしないでも済んでいたんじゃないか。昨日NHKの大河ドラマを見てたんだけど、あれでも全然ゆっくりさが違いますよね。まず部屋に入ってきて、きちんと座ってお辞儀をして、「恐れながら」から始まるわけでしょう。現代はそうはしませんよね。パッと座ったらすぐ用件に入っちゃう。
交信速度が速くなきゃいけないというのは、たぶん今の社会の成り立ちの上で必要なんでしょうね。つまり、大量に情報を処理しなきゃいけないことになってるから。お金をおろすあの銀行の機械なんか、コンピューターだからすごく速いはずなのに、それでも僕なんか時々イライラしたりするんですよ。もう一瞬の間も許さないみたいな。もしかすると、そういうのに、友達と会ったりするときの話なんかも影響されてるんじゃないかと思って怖くなることがあるんです。
ゆったりとした場であれば、どもっていたってコミュニケーションは可能なはずなんだけど、せかせかした場だからついあせっちゃう、ということがあるのでしょうね。だから、昔の社会と今の社会では、吃音の置かれている状況は変わっていて、それが吃音の人達にすごく影響してるんじゃないかなということは考えられます。
僕は、さっきの伊藤君のエピソードで分かるように、何の因果か、ことばがわりとすらすら喋れる人に育ってしまったので、ことばができない恨み、つらみというのがたぶんないんです。そのかわり、ことばが信用できないという疑いがずうっとあるんです。それは、詩を書き始めた頃からありますね。何かすれちがってんなあという感じがするんです。
20代の初め頃、戦後いいアメリカ映画が入ってきた時期、「吃音宣言」の武満徹さんと僕はその頃わりと親しくつき合っていて、二人とも共通して西部劇が好きなんです。二人は似てるところがあって、彼もすごく音楽が好きで音楽を作りながら、「音楽なんてくだらない」ってすぐ言う人なんです。「俺はもうあと5年たったら、作曲家を止めて佃煮屋になる」なんて。(笑い)なぜ佃煮屋なんだか分からないんだけど。ずうっと、佃煮屋、佃煮屋って言う。彼の音楽が世界的に有名になってから、僕が「佃煮屋、どうしたの?」(笑い)って聞くと、困ったような顔してましたけど。
僕もなんか詩っていうものが信用しきれないし、ことばそのものが信用できないという感じがずうっとあったもんだから、二人で自分達の仕事を、「こんなこと男子一生の仕事じゃねえ!」みたいな雰囲気だったんです。
そこから非常に単純に西部劇のヒーローに飛ぶのが疑問なんだけど、とにかく二人とも早撃ちにあこがれていました。当時は今みたいにモデルガンがないから、子どもが遊ぶ、先端にコルク栓があってポンとコルクが飛ぶのを買ってきて、二人で棚の上に紙の人形かなんか並べて、ポンッポンとやってたんです。
それは要するに、言語活動と無言のアクションとを対比させて、無言で行動する方がかっこいいと。ことばとか音楽で表現するのは、なんかかっこいいもんじゃない、と思ってたんだと思いますね。さすがに、僕は今そういうふうに単純には考えてはないけれども。
自分が詩を書くのと実生活で人間関係の中で生きていくのとどっちが自分にとって大切かというと、詩を書くことよりも実生活の人間関係の方が何か大切だし、実生活はむしろ複雑怪奇で、詩はそういう自分の送っている現実の生活に追いついてないんじゃないか、みたいな気持ちは今でもありますね。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/20