
小学2年生の学芸会でせりふのある役を外されたことから始まった、僕の吃音の苦悩の歴史は、24人の仲間と舞台に立ったことで、補ってあまりあるものをもたらせてくれました。
たくさんの思い
中学2年・松本愛子
「竹内敏晴さんってどんな人なんだろう?恐い人かなあ」
胸をドキドキさせながら、レッスン会場の銀山寺に向かいました。銀山寺で、竹内さんに名前を聞かれ、私はどもりながら「松本…」と名字を言うと、竹内さんが「愛子さん」と言って下さって、「えっ、私の名前覚えてくれたんだ」と、すごくうれしかった。けど、レッスンに来ていたのは大人の方ばかりで、少し緊張しました。
私は男の子のトムの役でした。けんかのシーンで、相手役が長尾政毅君だったので、正直戸惑いました。相手が男の子だとやりづらく、増田順子さんに相手役が代わると、長尾君の時とは全然違う。すごくやりやすく、自分でもびっくりするぐらい、すらすらとセリフが出ました。
最後のレッスンで、私はその場の雰囲気がピーンと張りつめ、前とは違うのが分かりました。間違ったら怒られると思って、私はすごく緊張していました。そのせいか、最初の時の練習では言えたのが言えなくて、本当に泣きそうになりました。
本番では、増田さんがリードしてくれて、練習の時よりも、ずっと上手にできました。
後から、姉から「素でやってる」と言われました。自分でももしかしたらそうかもと納得しました。トムソーヤは男の子の役なので、夕鶴の子ども役では、ちょっとぶりっこをしてみました。
劇が終わって、ロビーへ行くとお客さんと目が合って、よかったよとでも言うように、うなずかれました。その時、なんだか女優になった気持ちで、うれしかったです。
私は今回の公開レッスンのことを、二人の友達にしか教えませんでした。でも、場所は教えてません。やっぱりどもっている自分を見てほしくないと思ったからです。正直言うと、家族にも見てほしくありませんでした。でも、今となってはよかったのかなと思います。なんとなく、私たちのことを家族は理解してくれたでしょう。
今でも劇や本読みは好きではありません。でも、前よりは、少し好きになりました。だから、自分のことも前よりは好きになったような気がします。
これも竹内敏晴さんのおかげです。ありがとうございました。増田さんにも感謝しています。
また、劇をやりたいと思います。
公開レッスン&上演を振り返って、今思うこと
南山大学日本語学科非常勤講師・言語聴覚士 土谷薫
「11月23日、大阪で公開レッスンと上演を行うので、お手伝いに来て下さい」と伊藤伸二さんに声をかけていただき、21日、大阪へと出かけた。
なんせ、本舞台の2日前、さぞかし出演者の皆さんは緊張もし、ピリピリした雰囲気が漂っているだろうなあという私の予想は大きく外れ、皆さん、稽古が楽しくてしょうがないといった感じ。まず、これに驚く。
メンバーがトチッては笑い、途中でつまれば「ガンバレ!」と掛け声がかかる。竹内敏晴さんも一人一人と丁寧につき合っていく。
「片足出して!」「前に体重かけろ」「一音一音イキを出せ!」
竹内さんを『声の産婆』と呼んだ人がいたが、まさしくそれは、ことばが産み落とされる瞬間に立ち会っているという感じであった。からだとイキが一緒になって、声=ことばが産み落とされる。その誕生の喜びを、そこに立ち会っている全員で分かち合う。
『ブタイとは、かっこよく見せる場なんかじゃない!自分の一番かっこ悪いところを見せて恥をかくところだ!うまくやろうなんて思わなくていいから思い切ってやれ』
というのは、よく竹内さんが言うことばだ。しかし、私たちは「そうは言ってもやっぱり大勢の前で恥かくのは嫌だし、できればかっこいいとこ見せたいよ…」なんて思ってしまう。今の学生は大きい声を出すだけでも恥ずかしいと言う。人と少しでも違うことをすると、笑われるんじゃないかという恐怖心に身を固めている。そういった学生と接する機会の多い私にとって、吃音の人ができれば一番遠い所に置いておきたいであろう「ことば」を使って表現する「芝居」に取り組むというのは、一体全体どういうことなんだろうというのが、私の率直な疑問であった。
吃音は黙っていれば分からない。ことばを使わない表現だって、ダンス、絵画などいくらでもある。しかし、あえて「芝居」を選んだところに、すでにヌキサシならぬところに自分を追い込むという決断、覚悟がはっきりと見てとれた。そして、そのような覚悟でブタイに臨んだ人たちは、何かを捨てた代わりに何かを得たのだろう。それは、上演後の打ち上げの席のみんなの顔を一目見て感じた。
一人一人が見事にブタイの上で立っていたなあと思う。予想外の、あんなに多くの観客の前で自分を支えることは大変なことだ。ブタイは初めてという人も多かったであろうに…。
みなさん一人一人の根っこの太さを感じた。
「吃音」ということで、すでに他の人とは違う…恥をかかずに生きることは無理…その程度や環境など、全てが一人一人異なるゆえ、たった一人でそれと向き合い生きてきた人たちだからだろうか・・・・
そしてもうひとつ、大阪吃音教室という場の根っこの太さ!ここには、一人一人が安心して自分をさらせる場=表現を支える場がある。そして、竹内さんの存在。その全てがうまく調和して、一人一人が見事な自分の花を咲かせた!(…そして、それが種になり、芽が出始める頃、「また、上演やりましょう!」という声が上がるだろうなあ。そうなったら、また、是非私にも声をかけて下さい!)(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/29