ドキュメントを改めて読むと、1998年の舞台のことが鮮やかに思い出されます。近づくにつれて、だんだん高まっていく高揚感、ひとりひとりが自分のことのようにひとりひとりをみつめていたこと、ことばで言い表せないほどの大きな興奮状態にいたこと、懐かしいです。
竹内敏晴さんが寄せてくださった文章を読むと、竹内さんも共に、あの時間を同じような思いで過ごしてくださっていたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/28
竹内敏晴さんが寄せてくださった文章を読むと、竹内さんも共に、あの時間を同じような思いで過ごしてくださっていたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになります。
ことばの祭り
演出家・竹内敏晴
1.キツオンてなんだろうねえ?
打ち上げは楽しかった。ひとりひとり立っての話が、これまでのことばとの戦いに汗で濡れているようだった。わたしは拍手したり野次を飛ばしたりしているうちにビールの酔いもあってかウトウトしてしまった。ところへ伊藤伸二さんから終いに一言と名指しが来た。が、腰が立たない。ネムクッテとかなんとかもごもご言ってると目の前に来島秀夫さんの顔が出て来た。眉毛の太い優しい顔が心配そうに覗き込んでいる。まじまじと目を見交わしたとたんに「吃音てなんだろうねえ」と溜め息が出た。来島さんの目が大きくなって一瞬まわりがしんとした気がした。
2か月前、9月の吃音ショートコースの時あんなに苦労しておでこにびっしり汗を浮かべていた来島さんが、舞台ではちっともひっかからないで、悠々と楽しそうに大声をあげていたではないか。
あの時、希望者7〜8人が詩の一節ずつレッスンしていった最後が来島さんだった。ことばを発しようとするとたんに肩を吊り上げ、というより首を埋めるみたいにして、素早く息を吸って身構える。さて、声が出て来ない。「・・・・」と目をぱちぱちさせながらもがいている。
声は息を吐くから出る。まず息を吐くんだ、とわたしは言った。まず息を吸って、と身構えるから力が入ってのどが固まってしまう。胸はフイゴだ。折り畳むみたいにして、そのまんまただ息を吐いて!それから舌を前に出して顎の力を抜いて、息を吐くのと一緒にラララーと声を出してみよう。うまい!次にしゃべることばのはじめの音だけ出してみる。「あー」うまい!あーなーたーと続けて。「あ、あ、あ、あなた」そら息を吸った。分かる?来島さんは首をかしげる。もう一度やってみよう。「あーなー」うまい!もう一度、そらまた息を吸った!これを一体何度くり返したろう。吸わないで、ただ吐く。その時息は流れ出、声は響き、ことばがつながっていく。
この時は来島さんは汗を流して頑張ったが、また息を吸った!のくり返しだった。その後ふだんの暮らしの中でかれがどんな努力をしていたかわたしは知らない。上演3日前の稽古に現れた時、ひっかかることがずいぶん少なくなっていた。わたしは、つい首を突き出して身構える癖を注意するだけでよかった。
舞台では・・・・ただ一度、役の人物が興奮してどもるところで、どうやらほんとにどもったらしかった。わたしは笑ってしまった。山の湖の木の上でらしい、実にのびのびとした声だった。来島さんてこういう人か、と言えそうな演技だった。吃音て何だろうねえ?来島さん。
2.歩むということ
わたしをことばにならない深い驚きに浸したのは佐藤礼子さんだった。
舞台でかの女が東野晃之さんの「よひょう」に「どうしたの?」と問いかけ、「いや、いや、都へ行ってはいや」と膝をつかんでゆすぶるのを見ながら、わたしは、いったいこれはどうしたことだ、と胸の中で何度も何度も眩いていた。かぼそい声が巾広くなって来る。いつもかちかちに引きつけられて固まっていた肘が、ずうっと伸びる。からだのなかに時たまひっかかりは起こるが、それをぐいと押し切って出てゆく声と働きかけとがある。
わたしの目には数年前、札幌の北の山麓での言友会の大会におけるかの女の舞台姿が二重映しになっていた。
かの女はあの時は、「よひょう」に別れを告げに出て来たのだった。「さよなら」と言おうとする。息が詰まる。からだがぐぐっと硬直する。見ている人たちもほとんどがどもりだから、さっとそれを感知する。客席が一瞬凍りついたように息が止まる。佐藤さんはそこで踏み止まる。固まったからだを保ったまま、そうっと息を吐く。それからそうっと息を入れる。息を吐くと共に「さー」の音が流れ出る。客席がほうっと溜め息を吐く。「さよなら」。ゆっくりと、かぼそい、しかし、なんと凛としたけなげさが立ち現れたことだったか。その胸が痛くなるような美しさはかの女の必死さと観る人々の息づかいとが一つになって創り出していた。
その時観ていたわたしの息の詰まり方が時たまふっと戻って来る。が、すぐほぐれる。9月の吃音ショートコースの時、おっ、ひっかかりが少なくなったなと思ったけれども、これはたまたま雰囲気もかの女の体調もよかったのだろうと思っていた。が、2週間前の稽古の時は、これはホンモノだ、とたまげた。どうしたわけか知らないが、あれほどつっかかっていた語頭が、なん回もすうっと出てくる。出た瞬間にと言いたいほど短い句で途切れてしまった息が、なんとか一くぎり持ちこたえて声に発してゆく。私ははらはらしながら「もっとゆっくり」「一音一音」とはげますばかりだった。
3日前から稽古のたびごとにかの女のせりふ廻しはみるみる変わっていった。わたしはただ、いいねえ、と感嘆する。「息を深く」だけがわたしの投げかけることばだった。
なんでこう変わってきたのだろう。どもりがナオって来たと言いたいのではない。かの女の全身が表現することへ向かってはずみ出しているのを見る喜びを言いたいのだ。
こう書いて来ると伊藤伸二さんのことも一言だけふれたくなる。今年4月からかれは私の大学の講義に出て来た。毎週大阪から名古屋まで通ってくるのだ。わたしはこの情熱にこたえねばと思って、かれに、東京と名古屋の公開レッスンで一つの役をすることを提案した。「ほらんばか」という名を聞くだけで、この役のせりふが、やや支離滅裂、奔放で情念に満ちたものであることは予想がつくだろう。
たぶん6月の第1週。講義の前に学内の庭園の四阿(あずまや)で初めてせりふを読んでもらった時わたしはほとんど絶望した。メモにこう記してある。「説得セツメイ的口調の明確さによる言い急ぎを、一音一拍の呼気による表現のための声にかえてゆくこと」。上演はこの時点でほぼあきらめていた。
だがかれは執拗だった。大阪に帰っても溝口稚佳子さんを巻き込んでかの女相手に稽古をくり返したらしい。8月に入るころなにかが変わった。「ほらんばか」の一途さと伊藤さんのひたむきさが一つになって来た。わたしはしばしば稽古の途中で怒鳴りつけることがあった。8月末の東京の上演は文字通りの熱演で、若手の俳優が今まで見た芝居の中で一番感動した、と頬を輝かせて走り寄って来た。11月初めの名古屋、そして今回は稽古が足りなかったが「よひょう」をつとめた。数年前の札幌では、今だから正直に言うと、「ばか」の「よひょう」は全く感じられなかった。
そして、札幌の大会の時出演していた大阪吃音教室のメンバー、それぞれのことばの、なめらかさではなく、力強さが、なん年かのレッスンを多少は意味があったかと、わたしをほっとさせてくれたことも言っておかねばならない。
3.手も足も出・・・・る!
なによりも、中学・高校の若者たち男女4人とそのお母さん方が参加されたのを喜びたい。
わたしは岡本光一郎君(中学1年)が剣道の試合で相手を撃ったのに「メーン」と声を出していなかったからという理由で、審判に一本に取ってもらえなかった口惜しさを書いた文を読んだ。聴覚言語障害児だったわたしもちょうど中学1年生の時同じ体験をした。私にオツキを喰ってひっくり返った剣道部の選手が目の前に尻餅をついているのに、審判はあわてて師範の方をうかがうばかりで手を挙げない。あたふたした後に告げられたのは、声を出さなかったから一本にならない、という宣告だった。わたしは伊藤さんに頼んでこの体験を岡本君に伝えてもらった。ほんとの刀の勝負だったら、声なんか出してたら斬られてしまうのにな、と後でわたしは岡本君に言ったらかれは笑っていた。
ひとりひとりについて述べるより、今は共通したことを記そう。
初めてレッスンに来た時、みなは一様に足をぴったり合わせて直立したままことばを発しようと身を固くしていた。それでは息が流れ出ないよ。ことばはからだ全体で相手に働きかける動きの一部なんだ。片足前へ出して前後に動いてごらん。前の足をドンと踏んで!
寝ころんでお互いにからだを揺すってほぐしたり、わたしの肩に手を当ててぐんと押しながら息を吐き、声を出したり、さまざまに動いているうちにそれぞれすてきな声が現れて来た。けれど、すぐ引っ込む。見ていると体重はいつも後の足にかかっていて、前に差し伸べた足の踵で床をたたいている。前へ出ていく勢いが作り出せないのだ。
松本愛子さん(中学2年)の場合は、トム・ソーヤーが少年と喧嘩する場面をやったのだが、初めは手を出さずに口喧嘩してるわけで、これではどんどん声を出すことばかりに意識が集中してからだが硬直し足が出なくなる。ええい、原作なんかどうでもいい、相手をつかまえて押しまくってしゃべれ!相手になった増田順子さんがとっさに呑み込んだらしく、それからは二人だけで取っ組み合っては声を出していた。二人離れて言い合う時、愛子さんが棒立ちになったままことばを出そうと苦労してると、増田さんがぱっと手をつかんで引っぱる。とたんにはじけたように声が出る。二人の協働は見事だった。
長尾政毅君(中学1年)も岡本君も、踏み込んでは息を出し、手を振っては声を発する試みをなん度もやっていた。が、つい体重が後に残る。長尾君が手を水平に振って剣道の打ち込みの時のように前へ踏み込む。からだの動きと息とが一つになったり外れたりする。本舞台までわたしはハラハラしたりニコニコしたりの交替だった。
日本語には「手も足も出ない」という諺がある。こうなれば息もひそんでしまう。声が出るわけがない。まず、手を出し、足を出し、相手に働きかけることを目指そう。つい引っ込み思案になることもあるに違いないが。
打ち上げの時、松本愛子さんが、「竹内さんが、集中と緊張は違うのだ、と言ったのが一番心に残っている」と言ったのには、驚いたと同時に嬉しくもあった。
前号の『スタタリング・ナウ』に谷川俊太郎さんが胸に沁みる一文を書かれたが、あの終わりは、伝達をあせる身動きを、表現のことばを自分の内に探るいとなみへとスライドしてみませんか、という促しだとわたしは受け取る。そのためには集中がいる。他人の目を気にする緊張ではなく。(「スタタリング・ナウ」1998年12月19日 NO.52)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/28