吃音ショートコースの報告を紹介しました。今日は、そのショートコースに参加された人の感想です。3人とも、初参加の人でした。

  
先輩との出会い・吃音ショートコースでの出会い
                           奥村咲恵
 今の私は、吃音について考えることはあっても悩むことは少なくなった。
 今年の2月から大阪市立総合医療センターの言語科に通院していること。3月から入部した演劇部で足の不自由な先輩と出会ったこと。そして、9月の吃音ショートコースの3日間が、私の考えを大きく変えてくれたからだ。
 私が「どもる」ことに直面したのはアルバイトを始めた高校3年生のときだ。それまでは本読みや発表のとき以外はそこまで不便さを感じることもなかったし、「大人になれば直る」と信じていた。
 しかし、アルバイトをしてから、「いらっしゃいませ」の「い」が出てこない、値段が言えない、一番困ったのが電話だった。言いたいときに、言いたいことばで、言いたい速さで言えない辛さ、家で泣いたことも何度もあった。
 「本当に大人になったら直るのか?」そう思うと、自分の将来が不安になった。今まで3つほどアルバイトをしてきたが、どれもことばの壁が大きく私の前をふさいでいた。「どもりがなかったら…」考えるのはそればかり。
 「よし、短大を卒業するまでにどもりを治そう!」と強い決心で行った病院。初めの何回かは泣いて話すことも多かった。1回目から完全に症状を消すことはできないことを知らされ、吃音についての知識を教えてもらった。そのことで、逆に気持ちが楽になった。
 同じ頃、演劇部に入部して、体に障害を持っている先輩との出会いも、私の吃音に対する考え方を変えるものになった。それまでは、「みんな当たり前のようにことばをスラスラ喋ることができるのに、なぜ私だけそれができないのか」との気持ちがあった。しかし逆に私は、当たり前のように手や足を動かすことができる。みんなと一緒に走って遊ぶことだってできる。当たり前のことが当たり前ではない人だっている。そのことに気がついた。
 目の見えない人や、耳の聞こえない人だっている。スラスラ喋ることができなくても、私の喋るのを真剣に聞いてくれる人がたくさんいる。そう思うと、私の悩みが小さなものになった。彼女とお互いの障害について話したことはないが、自分がしたいことに積極的で、体に障害があっても決してそのせいにはしない彼女の存在は、自然に私の考えを変えた。こういうこともあって、私なりに吃音を受け入れ始めていた。
 そんな時、大阪市立総合医療センターの先生から吃音ショートコースを紹介された。最初は、あまり乗り気ではなかったが、話を聞くうちに、今の私にとってこの時期に吃音ショートコースに参加することはきっと大切なことだと自分でも思うようになった。少し不安はあったが、楽しみながら駅についたが、桜井駅から大和路までのマイクロバスの中で、不安な気持ちでいっぱいになり、私は涙ぐんでいた。バスの中は自分より明らかに年齢が上の方ばかりだったからだ。20歳になったとはいってもまだまだ子どもで、大人の人達とうまくやっていけるのか、私はここに来るべきだったのかと思ったほどだ。ところが、大和路に着き、出会いの広場でゲームをしてからだんだん不安な気持ちも消え、いつしか硬直した顔も自然と普段の自分の表情になってきた。
 このように始まった私の吃音ショートコースも2泊3日を終え、電車の中、1日たった今でもショートコースのことが頭から離れない。私にとってこの時期の参加はとても意味のあることだった。
 新たな気づきがあった。「私は人に話をするのがあまりに下手だ」と痛感したことだ。今までは、初対面の人に対してどもらないで話そうと必死だったが、吃音ショートコースではどもったっていい。それなのに、私の伝えたいことの、10分の1も相手に伝わっていなかったのではないかと思う。吃音とは関係ない部分で、改めてそのことに気づくことができた。
 不安だった将来も、成人のどもる人を見ていると、明るい方が多く、なんとかなるだろうという気持ちにもなった。ぼんやりとした私の将来に少し明かりがみえた気がする。
 吃音ショートコースに参加して、「ことば」に興味をもつようになった。今まで苦手だった「ことば」と深く関わっていきたいと思う気持ちや多くの人と接していきたいと思うようにもなった。就職を考えたとき、一時はなるべく接客のない仕事と思っていたが、今はたくさんの人と出会う仕事がしたいと思う。吃音ショートコースは私を成長させてくれた。「行ってよかった」
 
これからの指導はもっと楽しくなりそう
                  中村泰子(静岡県・ことばの教室)
 私は、ことばの教室の担当となって9年目を迎えました。
 私は小学校高学年の頃から緊張するとうまく話せなくなるという悩みがありました。言語障害児教育のある大学に進学し、吃音について学びましたが、納得できるものがなかったこと、自分に自信が持てなかったことを理由に言語障害児教育から離れてしまいました。
 その後、結婚し子どもを育てていく中で、自信を取り戻してきた頃、再び言語障害児教育に携わることになりました。
 担当になって一番指導に悩んだのは、吃音指導でした。自分も同じ気持ちを抱えてきたのに、指導となると自信が持てませんでした。いろいろな本を参考にして取り組んでみるのですが、納得できるものはなかなかありませんでした。そして、個人指導に限界を感じていた頃、吃音児同士のグループ遊びを始めました。仲間に出会わせ、さまざまな活動に挑戦させていくという方法は、子どもにも担当にも大変楽しい時間でした。
 今、思えば、この方法が日本吃音臨床研究会や大阪吃音教室の人たちが大切にしている考え方なのだと納得できる気がします。しかし、当時は、子どもと吃音に向き合うことは十分できず、吃音を意識させることが悪化させることになるのではないかという不安がありました。でも、吃音を意識することはいずれ避けて通れないことだとも分かっていました。
 あるとき、高学年のどもる子どもを続けて教育相談することになりました。思い切って吃音のことを話してみると、子どもたちはどもるときの心境やどもりにまつわる悩みを話してくれました。自分でどもりを乗り越えていくためにはもっとどもりについて話さなくてはだめなんだと実感させられたできごとでした。
 それから日本吃音臨床研究会との出会いがあり、今まで手探りで続けてきた指導に少しずつ自信が持てるようになってきました。今回は、自分の吃音指導をさらに確信したいという思いで参加の参加でした。日本吃音臨床研究会の考え方、大阪吃音教室の皆さんの明るく前向きな姿勢に触れ、これまでの吃音を何とかしようという思いは穏やかに溶けていくような気がしました。吃音と格闘するのではなく、吃音を受け入れて、共に歩いていけばいいのだと素直に思うことができました。これからの指導はもっと楽しくなりそうな気がして、うれしくなりました。

 いじめられ体験と共通するもの
                     谷口あけみ(九州看護福祉大学助手)
 プログラムの中で一番心に残ったものは、《成人吃音者のための講座》でした。「吃音を公表するかどうか」について、いろいろな意見が出されましたが、私はそれを聞いていて質問しました。
 「自分は吃音ではないが、相手がどもっていたら『あれっ?』と思うかもしれないが、話の内容が伝われば問題ないと思う。どもっているかよりも相手が緊張しているかの方が対話する上で問題だと思う。しかし、『吃音を公表すれば精神的に楽になる』という意見がこれだけ出るのは、皆さん、吃音だと断らずに会話をすると、『あれっ?』程度ではない、拒否的な、嫌な反応が多いということでしょうか?」
 「実際は嫌な反応はそんなに多くないかも知れないが、過去にすごく嫌な思いをして、そこから抜けられず、相手のちょっとした表情やことばでも敏感に感じて傷ついてしまうのかもしれない」
 返されたこの意見を聞いたとき、自分の体験と重ねて、すごく分かった気がしました。私は小学校のとき、いじめにあい、小学校5年生の稚拙な頭で「どうやって自殺しようか」とまで考えました。偶然、転校できたので、救われましたが、しばらく人が怖くて、ビクビクしていました。自分がどうしたいのかよりも、相手がどう出るか、そのことで頭がいっぱいでした。幸い立ち直れたので、「あのときの体験があったから、いじめられることがどんなに辛いか、ひとりぼっちの辛さも分かり、『私は絶対にいじめる側にはならない』と言える。いい経験だったのかもしれない」と思えるが、この気持ちになれたのは10年以上後です。あの経験を再びしたいとは思わないし、わが子にはあの体験、ああいう気持ちは味わわせたくない。この感じは吃音の人の気持ちと似ている部分があるかな、と思いました。
 とても楽しく、3日間よく笑いました。私は大阪の友人はいないのでびっくりしました。大阪の人って、みんなあんなに楽しい人ばかりなら、今の夫ともし離婚したら、次の相手は是非大阪の人にしようと思います。
 学会に行くと、人の考えを聞いて、勉強になるが、とても疲れます。今度もそういうパターンを予測して参加しましたが、全然違いました。人の話を聞くことだけに終わらず、他の人の話に触発されて、私もいろんなことを考えました。頭を使いましたが、学会疲れのようではありません。皆さんにパワーをもらい、「よっしゃあ、私も明日からまた頑張るぞ!!」と勇気凛々で帰りました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/21