
中学1年生でどもるようになって、大きな不安の中で、東野さんが大阪吃音教室を訪れたのは、高校2年生のときでした。NHKの全国青年の主張コンクールで最優秀賞をとったのがどもる人だったことで、そんな人もいるのだと思っていた頃に、新聞記事で集まりをみつけ、弟に頼んで代わりに電話してもらって問い合わせをし、初めて大阪吃音教室に参加しました。そのころ例会でしていたことは、発声練習とスピーチの練習でした。単調でおもしろくなく、だんだん参加しなくなります。それでも、つながりは切れることなく続き、「吃音者宣言」に出会い、1986年、京都で開かれた第1回世界大会に参加し、世界大会の翌年から大阪吃音教室が今のスタイルである、金曜日開催になったときに、会長になって、以後35年、ほぼ皆勤で参加しています。会長としての責任感からだけでは、なかなかできることではありません。東野さんは、継続してきたことについて、「おもしろかった。学ぶことが本当に楽しかった。刺激的だった」と言いました。

僕も考えてみれば、57年間、ずっと継続して活動しています。やっぱり、僕も楽しいから続けているのだといえます。誰かのため、何かのためだけなら、続くものではありません。吃音という狭い入り口から入って進んでいくと、中には、広い深い世界が待っていた、そんな気がしています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/12