昨日に続き、「スタタリング・ナウ」(1998.8.15 NO.48)で掲載していることば文学賞受賞作品を紹介します。選者の高橋徹さんのコメントつきです。大阪吃音教室のミーティングは、昔は、ここで書かれているアピオ大阪で開いていました。その後、應典院に移り、そして今は、アネックスパル法円坂になっています。毎週金曜日、同じ時間に同じ場所で会い続ける、これがセルフヘルプグループのミーティングです。 

   
うまいもんはうまい
                                 曽我部政信
 私は毎週金曜日アピオ大阪に行く。大阪吃音教室に参加するためだ。昼3時すぎに明石近くのアパートを出るのだが、阪神高速はいつも渋滞していて2時間くらいかかる。着くとだいたい5時を少し回っている。例会は6時45分からだ。例会が始まるまでは、ほとんど車の中で来るときに買った缶コーヒーを飲みながら読書をして時間をつぶす。
 当然そのうち腹が減ってくる。近くに食べ物屋がたくさんあるが車椅子なので店の出入口に段差があったり、店内が狭かったりして店に迷惑がられるのが面倒くさいのでアピオ大阪内のレストランに入る。
 表の陳列ケースを覗くと、私の好きな焼肉定食があるのでこれを食おうと決めて店内に入る。
 ウエイトレスに何にしましょうか、と聞かれる。私は焼肉定食と言おうとするのだが、(ヤ)の音が苦手だ。独り言ではすらすらヤキニク、ヤキニクと出るが相手がいるとやはり100%(ヤ)の音がでてこない。
 あわててメニューを探すがメニューも置いていない。いつも言いにくい言葉の物を注文するときはメニューを指で示しこれと注文する。メニューも置いていないとはサービスの悪い店だ。
大阪吃音教室が例会で利用している会館なのだから、メニューぐらい置いておけ、とウエイトレスを心の中で叱る。考えるふりをしながらエート、エートと何度も言ってみるがやはり(ヤ)が出てきそうにない。
 しかたなくあまり食べたくないが、自分にとって言いやすい言葉で海老フライ定食と言ってしまう。待っている間となりの人が焼肉定食を食べているのを見ると本当にうまそうに見えてくる。海老フライ定食を食べるときも、食べた後も本当は焼肉定食が食べたかったのに(ヤ)の音が出てこなかった自分が情けなくなり自己嫌悪に陥ってしまう。ということを何週も繰り返した。
 しかし今日は違う。無性に焼肉定食が食いたい。それもメニューがあるいつも自分が利用している店ではなく、夢に出てきた憎らしいアピオ大阪の焼肉定食が。
 前に東京のテレビ局のバラエティ番組の中で、食べ物をどれだけ言葉を崩して注文し相手に通じるかということをやっていた。たしかアイスコーヒーを関西ではレーコと言うがレーコ、アーコ、ウーコ、ウンコとか注文していき、結構言葉をあやふやにしても相手に通じていた。
 その時はただおもしろくてへらへら笑っただけだった。今回は自分が同じことをすることになった。ただレーコとウンコは似ているけど、焼肉とウンコでは言葉が似てない。ヤキニクに似た発音で言いやすい言葉を探すが出てこない。そこで最初(ヤ)が出ないのだから(ヤあキいニいクう)の(ヤ)をとばして(あきにく)で注文してみよう。そう思いレストランに入りウエイトレスに少し早口で(あきにく定食)と注文する。何のことはない簡単に通じてしまった。
 こんなことならもっと前から実践してみればよかった。そして夢にまでみたアピオ大阪の焼肉定食を食べることができた。隣の人が食べているのを見ているときはすごくボリュームがあっていい肉を使っているように見えたが、自分のテーブルにくると何のことはないただの安いバラ肉だった。
 しかし、焼肉は大好きだし、これは焼肉定食ではなく私だけのスペシャルメニュー(あきにく定食)なのである。大変満足している。これで毎週アピオ大阪の焼肉定食が食えるようになったので、吃音教室に参加する楽しみがまた増えた。

【高橋徹さんのコメント】
 「うまいもんはうまい」は、実になんでもない小品です。自分の問題だけにしぼって格闘する姿、知恵を働かせる姿が書かれています。ことばの最初の音だけを省略しても通じるということは、他の作品にも書かれているように、珍しいことではありませんが、この文章全体が易しいことばで詳細に書かれていました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/25