「どもりは治る、治せる」、「どもりを治さないと大変なことになる」
1965年の21歳まで、僕にはこの情報しかありませんでした。吃音を治すことが、唯一の道のように思わされていたのです。しかし、大勢のどもる人が集まり、自分の人生を語り、対話する中で、「どもっているまま、豊かに生きる」という道があることに気づきました。まさに、「こっちの道もあったんだ」です。僕は、僕の意見を押しつけようとは思いません。ただ、こっちの道もあるんだよということは伝えたいと思っています。
吃音親子サマーキャンプが1週間後に近づいています。新型コロナウイルスの感染拡大がかつてないほどに拡大している中でも、初参加の人のキャンプへの申し込みがあります。コロナウイルスの感染には最大限注意しながら、今年は開催しますが、今回紹介するのは、吃音親子サマーキャンプに参加した人たちの声を特集した「スタタリング・ナウ」からの紹介です。
1998年7月18日の「スタタリング・ナウ」NO.47の巻頭言を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/11
1965年の21歳まで、僕にはこの情報しかありませんでした。吃音を治すことが、唯一の道のように思わされていたのです。しかし、大勢のどもる人が集まり、自分の人生を語り、対話する中で、「どもっているまま、豊かに生きる」という道があることに気づきました。まさに、「こっちの道もあったんだ」です。僕は、僕の意見を押しつけようとは思いません。ただ、こっちの道もあるんだよということは伝えたいと思っています。
吃音親子サマーキャンプが1週間後に近づいています。新型コロナウイルスの感染拡大がかつてないほどに拡大している中でも、初参加の人のキャンプへの申し込みがあります。コロナウイルスの感染には最大限注意しながら、今年は開催しますが、今回紹介するのは、吃音親子サマーキャンプに参加した人たちの声を特集した「スタタリング・ナウ」からの紹介です。
1998年7月18日の「スタタリング・ナウ」NO.47の巻頭言を紹介します。
こっちの道もあったんだ
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
「どもりでちょっとよかった」(高校1年女子)
「僕、どもってもいいんか」(小学3年男子)
30数年前、どもる人のセルフヘルプグループを創った頃、どもりを治したいとの思いはとても強く、このようには考えられなかった。このような考え方ができるとは想像すらできなかった。
吃音親子体験文集『どもり・親子の旅』には、小学生・中学生・高校生、そして親の、従来なかった視点からの体験があふれている。それは、新しい価値観、新しい文化とも言えるものだろう。
◇私はいろんなおともだちとしゃべりたい。その時私がどもっても平気です。だって、キャンプでどもっている大人の人が平気なのを見たからです。(小学4年生・女子)
◇親の話し合いのスタッフは、出された疑問や質問に自分の経験を交えて、かなりどもりながら応えていた。その姿を素敵だと思いました。(親)
◇同室のどもる子どものお母さんが「私もどもります」と少しどもりながらいろいろと話して下さいましたが、どもっている彼女に嫌悪感など、みじんも感じませんでした。(親)
◇劇の上演の時、すごくどもっていたけれど、それはそれは一生懸命に言葉を言おうとしている青年の姿に感動しました。(親)
吃音親子サマーキャンプに取り入れている芝居。緊張する状況に身を置き、大勢の前で舞台に立つ。
《大勢の人の前で劇をすることを避けなかった》
《練習の時よりも大きな声が出た》
《みんなが真剣に聞いてくれてうれしかった》
これらの体験によって、子どものどもりに対する見方が、これまでにない広がりをみせる。私にもできるのではないかと少し自信が生まれる。
吃音親子サマーキャンプのスタッフの多くは、どもる人たちだ。どもりながら明るく笑い飛ばす大人がいる。大人がどもりどもりキャンプの説明をしている。どもりは悪いものでも劣ったものでもないと信じる大人のどもる姿は、どもってもいいとの安心感を与える。どもりが治らずに大人になっても大丈夫なのだという見本がいっぱいいるのだ。子どもたちはその全体の雰囲気、大人たちの姿に影響を受ける。
どもりながらやり遂げたという体験と、このどもる大人との出会いによって、価値観は広がりをみせる。
吃音を否定し、自己を否定することによって自分を見失ってしまった私たちが、後に続く人たちにできることは、「どもっていてもいい」「あなたはひとりではない」と言い続けることしかない。
しかし、この私たちの価値観や文化を主張することは、他の価値観や文化を抑圧することに繋がる危険性があることは意識しておきたい。
だから私たちは、私たちの価値観を子どもたちや親に押しつけ、サマーキャンプで、それを声高に叫んでいるわけではない。ことさらにどもりを受け入れようと強調しているわけでもない。ただ、どもりと真剣に向き合い、自らのどもりを、気持ちを自分のことばで表現しているだけだ。
一般的によく使われる《180度の価値観の転換》とは言わず、価値観を広げるという表現をする。それは、ひとつの道しか考えられなかったところに、「こっちの道もあるのだよ」と伝えることだ。どの道を選ぶかはその人の自由なのだ。
この子どもたちも、今後どもりに悩むことはあるだろう。どもりを治したいと願う時期もおそらく来るだろう。しかし、一度は吃音と真剣に向き合い、複数の仲間と語り、自分ひとりではなかったと実感したことは確かなのだ。そして、どもりながら、自分なりに豊かな人生を生きているどもる人に出会ったことは、「こっちの道もあったのだ」とまた思い出させ、気づかせてくれることだろう。
「どもりは治さなければならない」
ひとつの道しか考えられなかった私たちの時代とは、明らかに違うのだ。
「スタタリング・ナウ」1998.7.18 NO.47
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/11