自己紹介の後、鴻上さんのコーディネーターで、話がすすんでいきます。からだと言葉の結びつき、からだをほぐすことと気持ちをほぐすこと、ちょうどいい力の入れ方と抜き方など、興味ある話題が続いていきます。
 最後の方で、鴻上さんが僕に「伊藤さんは明後日、舞台に立つんですね」と声をかけて下さっています。秋浜悟史作の「ほらんばか」という竹内敏晴さん演出の舞台の主役をすることになっていたのでした。話は身体について進んでいますが、僕は、身体としての言葉が壊れるという経験をしています。人前で講義や講演などでの「説明、説得的な言葉」では僕は、その頃、ほとんどどもらなくなっていました。しかし、竹内さんは、それでは演劇、人間の情念を演じる言葉としてはダメだと、厳しく稽古を付けてくれました。この稽古の中で、それまで、人前ではほとんどどもらなくなっていたのが、人前でもどもるようになった、おもしろい経験をしています。その芝居が、このシンポジウムのすぐ後のことだったんですね。とても、懐かしい思い出のひとつです。

表現とからだと癒し (2)
     コーディネイター 鴻上尚史
     第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)

自分が言いたいことを一所懸命に言う

鴻上 伊藤さんは、なおす努力の否定ということをおっしゃっていたことがありますね。その根底には、的確に話せて、早いテンポでこの現代社会の流れにのることが、どもる人の最終目的だと言われてきたということがあるわけですね。

伊藤 世間で言われている"普通"とか"効率"ばかりを追いかけていくと、身体も壊れていくし、気持ちも沈んでいくんです。どもりは簡単になおると言われることもありますが、小学校1年頃まで持ち越した人のどもりが完全に消えるということは、おそらくないんです。なおらないものをなおそうとしてあがくことは、その人の生き方を非常に苦しいものにしていきます。それで、効率のいい話し言葉を目指すことは捨てて、自分の気持ちを、どもりながらでも言うという方向へ視点を変えていくことのほうが、生き方として楽だと。そのへんから、なおす努力の否定ということを言い始めたわけです。

鴻上 伊藤さんに持ってきていただいた日本吃音臨床研究会の機関誌の中に、『情けない』と言いたかったんだけど、その言葉がすごく言いにくいので、『悲しい』と言葉を変えて言ったと。でも本当は、自分は『情けない』と言いたかったんだという文章があったんですが、僕はそれを読みながら、自分は本当はこう言いたかったんだけど、それを言わなかったとか、言えなかったということってあるなと思ったんです。もっと言えば、本当にこれは自分が言いたかった言葉だろうかというのは、常に思っていることだと思うんです。これは、どもる、どもらないに関係なく、非常に普遍的な問題なんじゃないかという気がします。

身体をほぐすことで気持ちもほぐす

鴻上 羽鳥さんに野口体操のビデオをもってきていただいたので、それを拝見しましょう。
《野口体操 ビデオ上映》

羽鳥 これは野口三千三先生が82歳の時の映像で、亡くなる半年前に撮ったものです。先生の言葉の一つひとつは、本当に82年間、身体の中でずっと育まれてきたものなんです。妥協のない先生で、動きの説明にしても、ズバッとすごいことをおっしゃるんですよ。こんなことを言って、傷つけちゃうんじゃないかと思うようなことを言われます。でも、相手を肯定して、その中から言葉が出てくるわけで、身体の底から出てきた言葉というものは本物ですからね。言葉というのは頭で考えて話してるのかもしれませんが、もしかするとおなかの底から、あるいは指先や足の先から、考えてることが言葉になって出たのかもしれない。鴻上さんは戯曲を書かれる時に、身体の中に言葉を探しませんか?

鴻上 やっぱり躰から出る言葉を探しますね。羽鳥さんは野口体操を始められて、どういうところで身体と言葉の結びつきを感じられたんでしょうか。

羽鳥 身体の動きが言葉であるし、言葉は身体の動きだということなんですけど、今は心という言葉も身体という言葉も使わなくなってしまいましたね。心でも身体でも、どっちでもいいというようなことになってきたんです。ビデオの最後に『自然直伝』と出ましたが、それは、自分の嫌なところも汚いところも、情けないところも悲しいところも、それでいいんだよって、先生が言ってくださってるのかなと思います。だから、野口体操に来て、形の上では全然柔らかく見えなくてもいいんですよ。自分がその時に、どれだけほぐれてるかということのほうが大事。形じゃないんですね。

伊藤 これでいいんだという気持ちになると、確かに身体は楽になるんでしょうけど、でも結局は、ほぐれてるようで、ほぐれてないんですね。身体がほぐれると気持ちも楽になる、つまり、気持ちよりも身体が先というほうが本物のような気がします。確かに吃音を受け入れることで楽になる部分はいっぱいあります。でも、それだけでちょっと足りない。その時に身体を楽にすると、もう少し前に進めるんですね。

鴻上 意識の持ちようでリラックスしようということだけだと、やっぱり限界があるということですね。上野さんは10年ダンスをやって、今はだいぶリラックスしてるんですか。

上野 すごく緊張している時に、緊張を解こう解こうと思うと、絶対解けないんですよ。例えば、台詞のことを集中して考えて、緊張を忘れることが大事で、緊張を解こうとかリラックスしようと思うことのほうが邪魔なような気がします。野口体操を始めて、大事なのは力を抜くことかなと思いました。

ちょうどいい力の入れ方、抜き方

羽鳥 ちょっと鴻上さんと一緒に、野口体操のぶら下がりをやってみますね。私がぶら下がりますので、鴻上さんは私の腰を持って、左右に優しく揺すってください。どうして優しくやるかと言うと、力を入れてしまうと、感覚が鈍くなるんです。鴻上さんの手で、私の中身を感じとってほしい。ぐっと押されると、身体が抵抗して、緊張してしまいます。それではほぐれるわけがない。日常生活の中でも、余分に力を入れすぎて暮らしてると、感覚が鈍くなるんです。余分な力を抜いて、感覚で動きをとらえるようにしてほしいですね。《ぶら下がり実演》

鴻上 僕がイギリスに留学していた時、今のぶら下がりによく似たレッスンをイギリス人の先生がやっていたんです。そのビデオがありますので見てください。《ビデオ上映》

鴻上 ムーブメント・ティーチャーといつて、身体の動きの先生が三人、ギルドホール演劇学校にいたんです。このレッスンでは、胸を開いてあくびをして、膝の力を抜いて、肩の力を抜いて、頭を落として、お尻の穴が天井に向くようにしています。

羽鳥 ぶら下げていく方向が野口体操と違っていて、末端、つまり頭から動いていますね。野口体操の場合は土台から崩すんです。下から順々に崩していったほうが楽に崩すことができるんですよ。身体のいろいろなところをたるませて、たるみ曲線をつくるんですね。くるぶしから膝の関節、膝、骨盤、それから胴体、首という具合に、自分の体の関節が持っている方向にまかせながらたるませていく。そうすると自然にたるんで、頭は最後になるんです。そして、お尻の穴が真上を向く。たるむというのは、力を抜いて、動きが自由になることなんです。

鴻上 そういえば伊藤さんは、明後日、お芝居の舞台に立たれるんですよね。本番近いんですから、ちょっとこわばってる体を楽にしていってください。

羽鳥 でも、ほぐしすぎちゃってもだめなんですよ。ちょうどいいたるみ方、ちょうどいい緊張というのが大切なんです。ちょうどよく力が抜けた時に、ちょうどいい力の入れ方がわかるんです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/21