野口三千三さんのことを紹介してきました。
出会いから随分後になって、僕は再び野口三千三さんに出会うことになります。
野口三千三さんに師事し、「野口三千三授業記録の会」代表で、野口体操の講師としてその普及に力を尽くしてこられた羽鳥操さんとの出会いです。1999年でした。
演出家の鴻上尚史さんがコーディネイトされた、第21回日本文化デザイン会議 '98青森に、シンポジストとして参加しましたが、そのときのシンポジストのお一人が、羽鳥操さんでした。このデザイン会議、本当は竹内敏晴さんが出席されるはずだったのですが、どうしても行けなくなり、竹内さんから「伊藤さん、代わりに参加して下さい」と依頼されて、参加したものでした。テーマは「表現とからだと癒やし」、メインタイトルは「異話感の…」でした。
「スタタリング・ナウ」を順に紹介してきて、本当は、今日は、NO.47を紹介する予定でしたが、野口三千三さんと関係の深い羽鳥さんとの出会いを紹介します。
まず、「スタタリング・ナウ」1999.4.17 NO.56の巻頭言からです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/19
出会いから随分後になって、僕は再び野口三千三さんに出会うことになります。
野口三千三さんに師事し、「野口三千三授業記録の会」代表で、野口体操の講師としてその普及に力を尽くしてこられた羽鳥操さんとの出会いです。1999年でした。
演出家の鴻上尚史さんがコーディネイトされた、第21回日本文化デザイン会議 '98青森に、シンポジストとして参加しましたが、そのときのシンポジストのお一人が、羽鳥操さんでした。このデザイン会議、本当は竹内敏晴さんが出席されるはずだったのですが、どうしても行けなくなり、竹内さんから「伊藤さん、代わりに参加して下さい」と依頼されて、参加したものでした。テーマは「表現とからだと癒やし」、メインタイトルは「異話感の…」でした。
「スタタリング・ナウ」を順に紹介してきて、本当は、今日は、NO.47を紹介する予定でしたが、野口三千三さんと関係の深い羽鳥さんとの出会いを紹介します。
まず、「スタタリング・ナウ」1999.4.17 NO.56の巻頭言からです。
異話感の…
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
昨秋、2万人近い人々が参加し、青森で開かれた日本文化デザイン会議で、劇作家・演出家の鴻上尚史さんがコーディネイトするシンポジウムに参加した。
50近く企画されたシンポジウムの中のひとつ、「表現とからだと癒し」で、何が話せるか不安はあったが、メインタイトル、「異話感の・・」に後押しされて参加した。異話感はもちろん造語で、違和感をもじったものだ。会議はこう呼びかける。
―社会の豊かさの根源である「多様性」や「複雑系」の問題に光をあててみようと思います。
単なる"違和感"を越えた創造的な、"異話感"をはらんでいることこそ「健全さ」のべースである。多様性や一人ひとりの個性が生み出す豊饒な「異話感」に眼を向けなおしたい。テーマには、このような差異や違和感をポジティブな資源としてひきうけていこうという感性と意志がこめられています― 議長提案 竹村真一
シンポジウムで、差別用語としての《どもり》という表現が話題になったが、《どもり》を死語にしたくないと話した。
どもりに悩む人がどもるのと、あわてたら誰でもつっかえますよとは本質的に違う。それを、誰でもどもりますよと表現をされることがある。
また、子どもにどもりを意識させたくないからと、「どもる」と言わずに「つっかえる」「つまる」としか言わない人もいる。
一般社会は違和感をもつものと向き合ったとき、どうするのだろうか。排除する、拒否するということもあるが、受け入れようともする。しかし、その多くは、そのままを受け入れるのではなく、自分が受け入れやすいようなものに融合させて受け止めようとするのではないか。
「つっかえる」「つまる」「あわてて言うとどもる」と表現すると、誰にでもある現象だと言うことができる。これは、多数者が少数者を引き上げようとしているとも考えられる。そこには優劣の関係が現れ、対等の関係は消えてしまう。
差別用語を使わないようにするということも、優った者の側の言うことだ。これは配慮であったり、善意から出ていたりすることだけに表立っては反論がしにくい。
多数者の側に融合させようとする動きを、私は、どもりを差別語として使わないでおこうという風潮の中に感じてしまうのだ。
どもりということばがなくなり、吃音としか使えなくなると、これまでの自分が否定されたような思いになる。単に「ことばのつまり」「つっかえ」ではないこの状態をどう表現すればいいのか。自分がこれまで悩み、もがいてきたことを簡単にことばの言い換えでは済ませたくないのだ。
現実にどもるという、話しことばの少数者であるのなら、少数者としての衿持をもちたい。
1998年の夏、国際吃音学会への参加でサンフランシスコに行った時、サンフランシスコのグライド・メモリアル・ユナイテド・メソジスト教会に行った。いわゆる社会的弱者・少数者と呼ばれる人たちが集まり、ユニークな牧師の語りや音楽で有名な教会である。静かな賛美歌ではなく、躍動感溢れる歌声がロックのライブコンサートのように響く。牧師の話は、ユーモアにあふれ、ひとりひとりの参加者に語りかけていく。
ここに集う人々の何と違うことか。肌の色、顔の輪郭、髪の色と形、そしてことば。様々な国々から来た人たちが今、アメリカの地で生活をしている。からだ全体で、人はそれぞれに違い、そして生きているのだと表現しているように見える。
アメリカでは、これだけ目を見張るばかりの違う人々が生きながら、違いを認めざるを得ない状況にありながら、どもりに対しては、なかなか受け入れられないようだ。
私たちが知る限りでは、吃音を治したいと思い、また治そうとするのは私たちよりアメリカのセルフヘルプグループに集まる人たちの方に強い。
自分を主張しなければ何も起こらない競争原理の厳しいアメリカと日本とでは比較できないことは理解できても、流暢に話す人も、どもって話す人もいてもいいという感覚が何故育たないのか。不思議でならない。
違いを違いとして認めて、その上で対決するのではなく、きっちりと互いが相手に向き合う。
私は、と敢えて限定したいが、私は違和感をもちつつ、それを大事にしながら生き続けたい。
(1999.4.17 「スタタリング・ナウ」NO.56)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/19