以前、『スタタリング・ナウ」NO.41の巻頭言《ことば供養》を紹介しましたが、それに対して寄せられた3人の感想を紹介します。まず一人目は、内観を思い起こした人です。今、大阪吃音教室では、「どもり内観」という講座が定着しつつありますが、それと通じます。ことばへの深い思いがあふれている感想です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/21
ことばに対する内観
伊藤光大郎
供養というと、死んだ人に対して弔うことを言い、自分たちの祖先を大切にする心の現れです。それを、「ことばに対する供養」という発想は、普段、どもる人たちがもっている自分のことばに対するいろいろな気持ちを考える時に、とても新鮮で、有意義な視点だと思いました。
私もどもってことばが出ないとき、そのときの出ない感じや体の緊張へのいらだち、聞き手に対する恥ずかしさなどを感じてしまいます。そうしたときに、どもってでも自分の言いたいことを言うという習慣がついていたらいいのですが、ずっと小さい頃から、ある種の自分のみえを守るために、ごまかしたり、黙ったりする習慣がついていて、そのたびに、いつも「不全感」のようなものを感じてきました。
今回の『スタタリング・ナウ』を読んで、その気持ちの中に、自分の体の中からわいてくることばをぐっと押さえつけ、闇の中に葬り去ってしまったということばへの申し訳なさという気持ちが入っていたんだということに気づかされました。
そして、自分のそういったことばを大切にしてこなかったことへの反省の気持ちが自然とわいてきました。これが「ことば供養」なんですね。
以前にも一度、この「ことば供養」のような発想の視点を感じたことがありました。それは、以前、大阪吃音教室に講師として来られた三木善彦先生のところで「内観」をしたときです。内観は、自分の身近な人に対して、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の3点から、その中で特に「迷惑をかけたこと」に重点を置いて自分自身を調べていくんです。内観にはその人の抱えている問題によっていろんなバリエーションがあります。そのひとつに、「自分の体に対する内観」というのがあります。自分の身体に対して、知らず知らずのうちに負担をかけていたことを反省し、自分のからだの一部一部に対して感謝するのです。
例えば、朝、目が覚めたときにちゃんと目が見えること、一日の疲れを癒す風呂の湯船の中で、心臓や手足の指ひとつひとつに対していろいろほめてあげる徹底的な得点主義です。
患者さんに対してこの「身体に対する内観」を試み、心身症などにとても効果があるそうです。私は自分の「ことばに対する内観」をしてみたくなりました。
今まで吃音を理由にどれだけ自分のことばを傷つけてしまったか。そして、逆にその傷つけてきた自分本来のどもっていることばによって、どれだけ今まで自分が生かされてきたかということを、ひとつひとつ調べあげていくのです。これは、『スタタリング・ナウ』に書いていた「ことば供養」そのものだと思います。私が大阪吃音教室でいろんなどもる人を見ていて、しっかりと自己主張できる人、いい人間関係を作っている人に共通することは、みな、自分のことばを大切にしている人ではないかなあと思います。
大阪吃音教室でしていること、日本吃音臨床研究会の『吃音ショートコース』で内須川洸先生、竹内敏晴先生、平木典子先生のおっしゃっていることの根底には、この「自分のことばを大切にする」という考えがあるように思えます。私も普段から「ことば供養」をしっかりして、自分のことばを大切にしていきたいと思いました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/21