『スタタリング・ナウ』のNo.41の一面「ことば供養」に3人の方からお手紙をいただきました。どもることばの言い換えや、言わないで済ませる時の気持ちが伝わってきます。
どもる人にとって、どもりたくない気持ちは根強いのですが、その思いを理解しつつも、あえて、『どもり方を磨く』という表現をしました。
『どもり方を磨く』なんて果たしてできるのか? 大阪吃音教室(1998年2月6日)で、『どもり方を磨く』をテーマに話し合いました。
3人のお手紙とともに吃音教室の様子を紹介します。
まず、「ことば供養」について感じたことから話しました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/15
どもる人にとって、どもりたくない気持ちは根強いのですが、その思いを理解しつつも、あえて、『どもり方を磨く』という表現をしました。
『どもり方を磨く』なんて果たしてできるのか? 大阪吃音教室(1998年2月6日)で、『どもり方を磨く』をテーマに話し合いました。
3人のお手紙とともに吃音教室の様子を紹介します。
まず、「ことば供養」について感じたことから話しました。
徳田(男・会社員) その人が創ることばというのは、その人の人間そのものだと思う。だから、以前、私がどもるからとことばにしてこなかったのは、自分という人間を表現できずにいたことになる。納得して生きてこなかったような気がする。
溝口(女・小学校教諭) 自分らしさということをよく言うが、その中に《自分のことば》のことはあまり入ってなかった。他の人にはどもると分からない難発の状態や、連発で「卵」というのを「タ・タ・タ・」とどもっているとき、それは、私にとっては私のことばではないと思ってきた。
しかし、それは決してそうではなく、どもっている状態を全部ひっくるめて私のことばであり、それが私らしさなんだと改めて気づかされた。
森山(男・会社員) 自分の言いたいことばを言い換えて、納得できないことがあります。こう言いたいのだけれど、どもって声が出ないと、出ることばで言うから、遠回しに言ってしまうこともある。
東(男・会社員) 私は、揺さぶりをかけられたような気持ちになりました。合理的なものとか現実的なものばかり追っかけて、役に立たないものや非効率的なものは、わりと今まで切って捨ててきたなあと思いました。
桑野(男・会社員) 感情が伴うときには、あまりどもらずに話せますが、冷静に構えたら、発言を逃すとか、タイミングを逃してしまうことがよくあります。言いたいことがあっても、最初の一声が出るかなどまず最初に意識してしまいます。間を取るというか、自分では意識してゆっくり言うようにしています。
名村(男・自営) 書いてあるように、軽く自分らしいいいどもり方ができれば素晴らしい。自分を振り返ってみて、45歳頃まではどもってても、ほとんど気にしなかったが、大勢の前で話す機会が増えると、人前でええカッコしてしゃべろうと、すごい意識過剰になった。
だからどもってもいいから自分を表現するどもり方が出来ないかなというのを読んで、その人の表情とか、体から出るものとか、どもってても個性が出ればいいなあと思う。
横田(男・会社員) 僕は、ことば供養というものの見方にびっくりした。言いたかったことば、言いたいのにあえて言い換えたことばがたくさんある。大阪吃音教室に入った時、言い換えるのが嫌やと言う人がおられたんでびっくりしました。
僕は言い換えることは、嫌でもなく苦しくも何ともなかった。あえて感じなくしていたのでしょう。そこで悩んでたら、しょっちゅう辛い思いばっかりしていなければならない。それをあえて、供養と聞いて、本当に驚きました。
山本(女・中学校教諭) 私もことば供養という感覚まではなかったが、最近になってよく感じていたことがある。素直に自分の言いたいことがストレートに言えてないなと。自分の気持ちとは裏腹なことばがパッと出るときがあると。
どもるのを避けたい感情が先に働いて、すり替える。ことばだけのすり替えならいいけれど、言いたい内容のすり替えもある。あがってしまい、言いたいのが迂回して伝わるような言い方になったり、言わなくてもいいことを言ったり。後から、何でこんなこと言ったんやろと思う。
曽根(男・元会社員) 僕は交通事故で4年間の入院生活のあと再び社会に出て就職しました。それまでは全くどもらなかったのに、会社で、これまでと違う感じで周りを意識してしまったのか、どもり始めた。30歳ごろですが、それからは、簡単なことを聞かれても、どもりそうなことだと、どもって笑われたり、恥ずかしい思いをするよりも、「分かりません」と言う方がいいと思い、ずっと「分かりません」と言ってきた。
その「分かりません」と言った後で、こんな簡単なことも分からんのかと相手に思われたような気がして、自分でじくじたる思いをしていたんだけど、大阪吃音教室に参加するようになったら、どもっても自分の言いたいことばを言う方がいいという気がしてきました。
東野(男・団体職員) 僕は以前、ことばをただ音声としてとらえ、意思の伝達ができればいいやととらえていた。だけど、ことばはその人の気持ちとか思い、その人らしさの表現だと思うんです。言い替えしたり、言いたいときに言えなかったことを振り返ると、その時は僕は自分のことばというのを、つまり自分を殺していたことになり、ずっと不全感がありました。
だから、どもるそのものよりも、言えないときのもどかしさとか、そういう面のストレスが非常に強かった。まさしく自分が自分でないという、そんな感じがありました。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/15