いつのまにか6月半ばになりました。もうすぐ今年の半分が過ぎることになります。時の経つのがあまりに早く、戸惑ってしまいます。
毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」6月号、「竹内敏晴の世界」のタイトルの年報ができあがってきました。そして、今、僕は、この夏、2年ぶりに開催する「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」と「吃音親子サマーキャンプ」の準備を本格的に始めています。吃音講習会では、これまでの学びの集大成と位置づけて、整理しています。
今日は、1998年3月の「スタタリング・ナウ」NO.43の巻頭言を紹介します。タイトルは、「どもり方を磨く」。吃音を肯定的にとらえているからこそのタイトルです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/14
毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」6月号、「竹内敏晴の世界」のタイトルの年報ができあがってきました。そして、今、僕は、この夏、2年ぶりに開催する「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」と「吃音親子サマーキャンプ」の準備を本格的に始めています。吃音講習会では、これまでの学びの集大成と位置づけて、整理しています。
今日は、1998年3月の「スタタリング・ナウ」NO.43の巻頭言を紹介します。タイトルは、「どもり方を磨く」。吃音を肯定的にとらえているからこそのタイトルです。
どもり方を磨く
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
どもる人としての表現をしたい、どもることばを話す少数者として、どもりを磨くことによって、新しい文化を作ってもいいのではないかと、「どもりの歌を歌いたい」と、No.39号に書いた。
アメリカでは、《どもらずに流暢に話す》と《流暢にどもる》の論争が長く続いていた。
流暢に話すとは、いわゆる吃音症状を治し、どもらずに話せるようになることであり、一方、流暢にどもるは、どもっても言いたいこと、言わなければならないことを言っていこうとする。前者は吃音を否定しているが、後者は吃音受容ととらえることもでき、私たちの主張に近いと思ってきた。
根本の発想が違い、本来統合などあり得ないと思われるこのふたつが、近年アメリカで、統合に向かっていると聞く。互いのいい点を取り入れようということで、なんであれ、どもる人が生きやすくなればいいということなのだろう。
根本的に違う両者が、統合に向かうというのは、結局は、両者とも吃音治療にとって何が有効かということになるのだろう。《流暢にどもる》も、そうすることによって吃音が軽くなると考えられるからではないか。そうであれば、ふたつが最近統合に向かっているのは納得がいく。吃音受容ととらえていた《流暢にどもる、楽にどもる》は、全面的な吃音の肯定ではないことであり、私たちの言う「どもってもいいんだ」とは少し違うことになる。
吃音を治すという行動の動機は、どもっていては聞いてもらえない、マイナスの評価を受けるなど、吃音への恐れや不安の場合が多い。不安から逃れよう、不安だからするというネガティブな動機による行動といえる。不安や恐怖は《からだ》に大きな影響を与える。緊張し、自由さが失われる。
そのような《からだ》と、〜しなければとの気持ちでの取り組みはうまくいかないだろう。これまでの吃音治療の多くが失敗に終わったのは、動機がネガティブだったからだと思う。
その反対は、〜したいからする、楽しいからするということだ。この違いはかなり大きい。どもりを治したいから治すという人がいるかもしれないが、治す、軽くする、普通に近づくと、ことばを変えてみても、マイナスから出発していることに違いない。
どもり方を磨くは、「どもってもいい」が大前提としてある。マイナスからの出発ではない。そのままでいいのだが、本人がしたい、楽しくするというなら、磨くことも悪くはないという発想だ。
どもりは悪いもの、劣ったものと考えていたら、磨くという発想は生まれない。治す、軽くする、流暢にどもるというところから一歩離れて、自分のどもり方を見てみたい。
このままでも悪くはないが、プロポーションを少し変えてみようか、といったような自由な気持ちで取り組むことが肝要だろう。
どもりを磨くために、まず、自分の声と向き合いたい。竹内敏晴さんのレッスンで私たちが身につけようとしている《一音一拍》《母音を押す》ことは、どもる、どもらないにかかわらず、日本語を話す人の誰にも必要な基礎的なレッスンだと言っていい。
一音一音を、前の音の息を切らずに、しかもしっかりと出していくと、あせって言おうとする人にとっては、結果として話し方をゆっくりとさせる。
「みぃ・ん・しゅぅ・しゅぅ・ぎぃ・とぉ・い・う・もぉ・のぉ・はぁ…」
東京都知事だった美濃部亮吉さんの話し方は、今から思うと《一音一拍》《母音を押す》話し方だったように思える。ゆっくりだが、民間吃音矯正所のどこか間の抜けたゆっくりさとは違って、不自然さを感じさせない、説得力のある、個性ある話し方になっていた。自分のことばで、自分の表現のスタイルをもって私たちに語りかけてきた。
基礎的なレッスンをもとに、自分なりの話し方のスタイルをみつけていきたい。楽しく、気軽に、どもり方を磨く。それが、どもる人の新しい文化につながるように思われる。
(1998.3.21 NO.43)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/14