先日、紹介した松尾さん親子のどもり旅の続編として編集した『スタタリング・ナウ』を紹介しています。松尾君が「先生は、僕のこと分かってくれてるねん」と言っていた、その先生が、卒業する松尾君へのメッセージとして、文章を書いて下さいました。
 僕は、小・中・高と、僕のことを理解してくれる教師に誰ひとり出会っていません。
 「先生は、僕のこと分かってくれてるねん」の松尾君のことばは、とてもうらやましいです。

  
卒業にあたって、松尾君へ
                     田嶋美子

 松尾さんよりいただいた日本吃音臨床研究会の「スタタリング・ナウ」2月号を読み、小学校卒業を控えた松尾君の成長を担任として振り返っておきたいと思い、ペンをとりました。
 松尾君との出会いは小学校3年生のときでした。その頃は、小さい肩に精一杯力を入れて、ひとりで心ない周りの友達と戦っていたのを思い出します。遊びに外に出ると、休み時間の終わりには握りこぶしを振るわせて怒ることがたびたびありました。話し方の真似をされたり、嘲笑されたり、子どもはストレート過ぎて残酷です。松尾君にとって心が休まる日が少なかったようです。とにかく、この肩の力を抜かせてやりたいという思いから、ひとつひとつ、起こったできごとをていねいに解決していくことから始めました。同時に、松尾君の心をみんなに伝え、松尾君側に立った気持ちも考えようという語りかけもたくさんしました。
 松尾君のクラスは、一年入学後まもなく不登校になってしまった女の子や、友達への接し方、甘え方が分からず、つい手が出てしまう暴力的な男の子など個性豊かで、重い問題も背負う子が多くいました。
 「ひとりひとりにていねいに対応する」ことを心がけ、どの子の方にもきちんと向き合えるだけ向き合いました。特別なことはしていませんが、お母さんの文にあったように、そんな私に心を開き、松尾君は肩の力を少しずつ抜いていきました。
 笑顔で遊ぶ姿が見られ、親友のような友達もでき、クラスは戦う場所ではなくなりました。
 4年生になると、給食委員会に入って、給食のメニューやそれにまつわる話を全校児童に放送する仕事を引き受けました。松尾君が放送するという日は、いつもはおしゃべりでにぎやかな食事時なのに、しいんと静まり返り、耳を傾け、放送が終わるとスピーカーに向かって拍手が起こります。松尾君を応援し、励ましていけるクラスとして育ったことを確かに感じ取れるひとときです。授業の朗読でも同じような姿が見られました。
 しかし、松尾君をもっと内側から成長させたのは、日本吃音臨床研究会との出会いだと思います。サマーキャンプのことを目を輝かせて、繰り返し語ってくれました。会で出会った人達に支えられて、自分のことをきちんと見つめ直そうとしているのがよく分かりました。ちょうど、深く物事を考え始めようとする4年生という時期の出会いもよかったのでしょう。自分から友達を誘い、我が家へ遊びに来たりして、行動的になってきたのもサマーキャンプ以後のことでした。
 5年生では担任をはずれましたが、運よく、6年生でまた担任になることができました。クラスの中でも、松尾君と話すのは特に楽しみです。
 手応えがすごいのです。映画『もののけ姫』を見に行った後で(彼は2回も見たそうです)クラスのみんなも「よかったなあ」とか「分からんわ、あの映画は」と喋っています。松尾君は「先生、あの映画は悲しいなあ」と語りかけてきます。「なんで?」「だって、あの中に出て来る人はみんないい人ばっかりや。いい人ばっかりやのに、戦ったり、憎しみ合ったりしやなあかんところが悲しいやん。つまり、分かり合えないんや」松尾君と話していると、ついこちらも考え込まねばならず、力が入ります。深く考えることが苦手な子が多くなっている中で、松尾君は特に頼もしい12歳です。作文でも、自分の考えを整理して、問題を投げかけるという力がついていることを感じます。人の痛みを自分のこととして感じられるやさしさを持っているので、友達からの悩み相談も多いようです。日本吃音臨床研究会で、大人に混じってディスカッションできる体験も、深く考える力をつけるのでしょうね。そして、何よりも苦しみから自分で抜け出してきた力が、他の12歳とは違う魅力を松尾君に与えてくれたのだと思います。
 クラスの友達と別れて、私立の中学校に進む松尾君ですが、人間的な魅力の前には、ことばの問題はかき消されていくことと信じています。夢を語り、自分を語ることを楽しんで下さい。応援しています。(1998年2月21日)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/06/11