何を大切に生きるか?

 昨日の大阪吃音教室の講座は、新潟県から櫛谷宗則さんをお迎えしました。
 演題は、「何を大切に生きるか?」です。これは、2年前、お話いただく予定だったものと同じです。
 会場のアネックスパル法円坂へは、櫛谷さんはホテルから歩いて来られました。櫛谷さんにとって、アネックスパル法円坂は初めての会場です。前、来ていただいたのは、應典院でした。ここにも、コロナの影響を感じます。「方向音痴で…」とおっしゃっていましたが、ちょっと遅れそうになったと思われたようで、アネックスパル法円坂の前の歩道橋を軽やかに駆けて来られました。作務衣姿の櫛谷さん、いつものように静かで穏やかな表情でした。
 初めてお会いしたのは、2015年。櫛谷さんの坐禅会で、僕をみつけ、「伊藤さんですね」と言われたときの、鋭いけれど、全てを包み込むような温かさを、僕は覚えています。それ以後、折に触れいただくお手紙のことばに励まされ続けています。

櫛谷宗則2 お話は、合掌することから始まりました。
 「皆さん、今日のお話の演題は、何を大切に生きるか?ですが、さて、皆さんは、何を大切にして生きておられますか」
 櫛谷さんは、こんな問いかけをされました。参加者が、そうだなあ、何だろうと考えていると、櫛谷さんは、こう続けられました。

 「健康が一番大事だという人、お金が一番大事だという人、家族が一番大事だという人もいる。仕事が一番大事だという人もいる。あるいは、皆さんの中だったら、吃音でもそれを受け容れて、元気にやれるのが一番大事だと思っている人もおられると思います。

 ところで、私のような高齢者になると、周りを見ると、みんな寂しいと言う。自分がそれまで培ってきた友達がだんだんどっちも病気持ちになるものだから、会う機会が減って、やがて亡くなってしまう。親族にしてもそう。自分と昔の話ができる人がいなくなっちゃう。やっぱり寂しい。それが進めば、連れ合いも亡くなってしまう。そんなふうに、高齢者になると、寂しいという人が結構います。でも、今、言ったような、お金、健康、彼女や彼氏がいる人だったら、彼女や彼氏が一番大事という幸せな人もいると思う。そういうのはみんな、自分の思い込みで生きているんじゃないのかなと思う。きちんと考えて生きていない。なんでそんなことをいうかというと、だって、我々、日々、こうやって生きていますよね。毎日毎日、生きているけれども、じゃ、あなた、その生きる意味って知ってますか? 知らないですよね。いや、その日、やることは知ってますよ。仕事はこうすればいい、ああすればいいというのはよく知っている。そういうのは知っているけれども、そういうふうにして生きる自分の人生全体の意味というのは、知らない。ただ、毎日毎日目の前のことに追われている。とにかく食べないといけない、家族を養わなわないといけないと思うわけです。とにかく食べるためには仕事をしなきゃだめ。お金をもらないとだめ。そうして、一生懸命、みんな生きている。そうやってお金をもらうために、どれだけ苦労するか、です。さんざん嫌な思いをして、下げたくない頭を下げて、からだを壊してまで生きるために働いて、そんなにさんざん苦労してあげく、なんでそうやって苦労するのか知らないですよ。なんでそこまで苦労して生きて、それが一体どういうことなのか、みんな知らない。健康が大事とよく言うけれど、私に言わせれば、あなたは健康を得て、それでどう生きようというのと聞きたいところです。健康が大事といっても、みんな、どうせいずれ年をとって、病気になって死ぬのは、決まり切っている。結局老いて死んでいくだけです。人生全体、私の生きる人生そのもの、なぜ私は生きるのか、生きるってどういうことなのか、どう生きるのが真実の生き方なのか、それをちゃんと見通して生きないとだめだと思うんです」

櫛谷宗則4 伸二と2人で こんな導入でした。詳しいお話の内容は、もう少し時間をかけて紹介したいと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/28