30年続いた、吃音親子サマーキャンプという場は、大きな家族の集まりのようです。
 吃音親子サマーキャンプの2日目の夕食は、野外のクラフト棟でカツカレーと決まっているのですが、その光景を、僕はいつも、いいなあ、大きな家族みたいだなあと幸せな気持ちで眺めています。
 「吃音ファミリー」というタイトルの巻頭言が掲載されている「スタタリング・ナウ」(NO.40 1997.12)では、松尾さんが自分の体験をまとめて下さいました。僕たちも一緒に歩んだ、「どもり・親子の旅」です。

  
どもり・親子の旅
                   松尾ひろ子(小学6年生・松尾政毅君の母)

はじめに
 「治らないということを受け入れること」
 「早い時期に、吃音を自覚させること」
 このふたつのことばが呪文のように私の頭の中を巡っていました。
 1995年6月、初めてどもる子どもの両親教室に参加した時に聞いたことばです。
 やはり治してやれないのかという絶望感と、今まで私がしてきたこと(吃音を意識させないようにしてきたこと)と全く反対の考えに大変ショックを受けました。4年生まで吃音を持ち越してきているのだから、治らないかもしれないという思いはうすうす持っていたのですが、「治らない」ということを真正面から受け入れていくには、まだまだ未熟な母親でありました。
 それから2年半、吃音親子サマーキャンプや大阪吃音教室の活動、竹内敏晴レッスンと、親子で参加させていただく中で、子どもの方は自然体で吃音を受け入れていくことができたのではないかと思います。一方、母親は、そんな子どもの姿に励まされ、そして育てられ、ようやく吃音を取り巻く現実や事実と向き合えるようになってきたのです。
 発吃から7年余り、振り返って思うことはやはり、「吃音の早期自覚と受容」は必要なことだったということです。子どもがすでに吃音について意識していたのだから、ごまかさず、小学校入学までには吃音について話し、親子で向き合っておくべきだったと思っています。
 しかし、現実にまだ「吃音を意識させない」という指導が定着しており、多くのどもる子どものお母さんたちは、私のような経過をたどっておられるのではないかと思います。
 今、ようやく長かった原因探しや治療探しの旅から解放された気がします。
 これからは子どもの生きる力を信じて、見守りながら明るくさわやかな「どもり・親子の旅」を続けていきたいものだと思っています。

『お・お・おーが言えないよ!』
 私の家族は、夫と長男(高校2年生)次男(小学校6年生)の4人家族です。近くに夫の実家があり、夫は実家で鉄工所を営んでいます。
 私は小学校の養護教諭をしているため、二人の子どもたちは昼間、夫の実家で預かってもらっていました。
 長男にも吃音があったのですが、5歳下の弟の吃音が始まった頃から目立たなくなり、今はあまり感じなくなりました。でも、現在も本人は「俺もことばがダブるよ」と言っていますので多分、吃音を持ち越しているのだろうと思います。
 次男の方が長男に比べると、吃音の程度はひどいように思え、次男に気を取られてしまい、長男の吃音がどのように目立たなくなっていったのかよく覚えていないのです。ただ、長男は次男のような過敏さはなく、何事もマイペースです。
 次男政毅(まさき)の吃音が始まったのは、4歳半、幼稚園の年中組でした。突然のはじまりで「おおが言えない」「おおおー」と連発していました。それまでは普通に話しておりましたので、とてもびっくりしました。
 最初は幼稚園に慣れないのかもしれないと思い、様子を見ていましたが、それ以後、吃音が消えるということはありませんでした。波はあるもののだんだんひどくなっていくように思えました。
 幼稚園ではどもりながらも登園を嫌がることもなく元気に過ごしていました。お友達からは、よく「マーくんはなんでこんなしゃべり方をするの?」と聞かれました。そんな時私は、「これはね、マーくんのくせみたいなの」と答えていました。
 その頃、かかりつけの小児科の先生に相談をしてみました。大きくなったら自分で工夫するから、今、あちこちの訓練所や病院へ連れ回さないで、温かく見守る方がよいと言われました。
 祖父母もそのうちに治るだろうと思っていたようでした。私や夫も、少しの不自由さはあるけれどもこのままの状態であれば、そのうちに治るかもしれないという、かすかな期待と、反面、治らないかもしれないという不安も持ちながら小学校の入学を迎えました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/17