日本吃音臨床研究会は、「スタタリング・ナウ」という月刊のニュースレターを発行しています。今月号で、333号。よく続いてきたと自分ながら感心します。特にこのコロナ禍では、イベントがほぼ中止になり、その報告を兼ねていた「スタタリング・ナウ」は、記事の材料がなくなったのです。それでも、なんとかやりくりして、続けてきました。
先月号は、竹内敏晴さんの特集をしました。また、2020年度の日本吃音臨床研究会の年報も、「竹内敏晴の世界」と題するもので、大阪で日本吃音臨床研究会が主催して開催していた、毎月一度の二日続きの定例レッスンをしているとき発行していた「たけうち通信」に掲載された文を紹介しました。ほぼ編集を終え、入稿直前です。ここ2、3ヶ月は、竹内さんの生き方、考え方に改めて触れてきました。
そして、ブログの続きも竹内さんです。ろう文化宣言につながる確かな歩みを、これからも続けていきたいと思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/14
先月号は、竹内敏晴さんの特集をしました。また、2020年度の日本吃音臨床研究会の年報も、「竹内敏晴の世界」と題するもので、大阪で日本吃音臨床研究会が主催して開催していた、毎月一度の二日続きの定例レッスンをしているとき発行していた「たけうち通信」に掲載された文を紹介しました。ほぼ編集を終え、入稿直前です。ここ2、3ヶ月は、竹内さんの生き方、考え方に改めて触れてきました。
そして、ブログの続きも竹内さんです。ろう文化宣言につながる確かな歩みを、これからも続けていきたいと思います。
「スタタリング・ナウ」NO.39 1997年11月
どもりの歌を歌いたい
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
―シバイと違って ひとりひとりが
みんな主役だ 公開レッスンは
舞台という魔法の力で 新しい自己が目覚めて
輝き出しますように 竹内敏晴―
9月の合宿から始まり、10月に数回、上演前の2日間は、朝の10時から夜の10時までという集中レッスンで、11月3日の上演当日を迎えた。
私がどもりに強い劣等感をもち、深く悩み始めたのは小学校2年生の秋の学芸会だ。どもるからと、台詞のある役を外されてからだから、舞台に立つなど、全く無縁のものと思っていた。
今、大勢の観客の前で、主役のひとりとして、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』の鹿を演じている。喋り、歌い、踊る舞台の上で、私も新しい自己が目覚めて輝き出していた。
30数名の出演者の中で、どもるのは私ひとり。どもらない人たちとの今回の集中レッスンで、大勢の人のことばのレッスンと出会えた。どもらないが、息が浅く、声が出ず、相手に声が届かない人。からだがこわばり表現できずに立ち往生する人。一方で、丁々発止の軽妙なやりとりをする人や、長台詞を朗々と言う人。これらの人々のレッスンに立ち会い、どもるどもらないにかかわらず、様々な表現があることが実感できた。
声がうまく出ないのは、どもる人に限ったことではないことが分かると同時に、どもる人間とどもらない人間の違いも鮮明に自覚した。
私は、どもりの悩みをもつ人とグループを作ってからは、どもりを隠さず、話す場面から逃げず、どもってもどんどん話した。結果として、ある程度どもりをコントロールできるようになった。日常での会話や、講演などで大勢の前で話す時も、今はほとんど困ることはない。しかし、目の前の30数名の人たちと同じように台詞が言えるかとなると、それは言えない。軽妙なやりとりや、テンポの早い台詞は到底私にできることではない。
声に力がある、届くかは別にして、私以外の全ての人は、《音》そのものは間違いなく滑らかに出る。私は特定の《音》が出ないことがある。出ないと一瞬思うと、しばらくは全く出なくなる。吃音のコントロールがきかない時もあるのだ。今回のように台詞が確定していると、《音》の言い換えができないからなおさらのことだ。
このように、ことばにする前に《音》そのものが出ないどもる人間と、《音》の出る人が声をことばにしていくのとは決定的に違うのではないか。
疎外感や、孤独感を感じたのではない。卑下をしたり、悔しい思いをしたのではない。
「本当に違うんだ!」とからだが感じ取ったのだった。むしろさわやかだった。
どもる私たちが、どもらない人をうらやましがり、それを追いかけても、できることではなく、またその必要もない。私たちなりの表現をつけていけばいい。この思いが沸き上がってきた時、私は「ろう文化宣言」に思いを寄せていた。ろうと吃音と同一には語れないが、示唆するところは多い。
治らないから受け入れるという消極的なものでなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものではない。
どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちは、どもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚をもち、自らの文化をもてたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか。
楽しく喋り、歌い、踊り弾んでいた舞台の鹿は、「私は、どもりの歌を歌いたい」と、歓喜の歌を歌い、踊っていたような気がする。
「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」
『現代思想』1995年3月号 青土社 1997年11月
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/14