番外編ですが、このときの吃音ショートコースに参加した、あることばの教室担当者の感想を紹介します。当事者と専門家が同じ立場に立ち、ひとつのことを考えるとき、生まれてくる心地よい空間を感じさせてくれる感想です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/12
《吃音ショートコースに参加して》
どもってもいいんだ〜実感できた揺るがない気持ち〜
幼稚園のことばの教室担当者
多くの、吃音を持たれた方や吃音に関わる方にお会いできたこと、お話できたことが何よりの勉強でした。振り返って思い浮かぶのは、一緒にお話できた方の笑顔、真剣な眼差しばかりです。
自分が吃症状そのものに目を奪われ、“自分のかかわりで症状を重くしてはいけない、軽くしなければ…”ということにプレッシャーを感じ、一喜一憂していたことに気づくことができました。
どもる子どもと楽しい時間を過ごしたいと思うのも、よい聞き手になろうと努めるのも、心の根底に“症状を軽くするために”という思いがあったからだと思います。もっと、かかわりそのものを楽しみたいのに、どうしてもすっきりしない自分でした。「どもってもいい」というメッセージはとても中途半端に子どもに届いていたと思います。もしかしたら伝わっていなかったかもしれません。
堂々と、さわやかに、また必死の思いで表現される方とお話を重ねるうちに、「ああ、どもってもいいんだ」という、揺るがない気持ちをやっと実感できました。何だかとても安心しました。素晴らしい方ばかりに会えました、というか、皆さん一人一人が素晴らしい人でした。
次の休みにすぐに会いたいという気持ちです。吃音親子サマーキャンプに参加した方々が、一年後が待ち遠しく思われるのは当然だと思います。帰りのタクシーに乗ってすぐ、一緒に参加した仲間と、「来年も来たい、来ようね」と話しました。今度は子どもを誘って来たいです。
2日目の夜のことばの教室関係者等のコミュニティアワーはあっという間に時間が過ぎたように感じました。(他のプログラムもほとんどそう感じたのですが…)
偶然、話題となった「どもる幼児にどうかかわっていくか」は、いつも直面している悩みでもありました。このテーマはとてもラッキーでした。“その子の興味のある遊びに加わって、話したり聞いたりすることを楽しめる子どもに”という気持ちでかかわっていましたが、なんとなくぼんやりした願いのような気もしていました。表現力(話す、描く、奏でるなど何でも)を伸ばす援助が大切ではないかとうかがい、そのとおりだなと思いました。
また、母親と話す時間を大切にしたいと思いながら、時間も十分とれず、あわただしい時間をプレゼントしていた自分を改めて反省しました。あるどもる子どもの母親の体験をうかがい、親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちを、またひとつ知りました。お母さんの話をじっくり聞こうと思いました。
カール・デルさんの『学齢期の吃音指導』(大揚社)についての話は、私自身あまり慎重とはいえない使い方をしてしまった経験(あの席でお話しました)があったので、緊張してうかがっていました。
どもることに対する恐れを軽減させ、自分でもコントロールできるものなんだという感じをもってほしくて取り組んでみたのですが、あの本をマニュアルとして使ったということは否定できず、苦い経験として残っています。現在は“何のため?”を考えているところです。「本当の直面ではない」というあの本についての思いを聞き、真に吃音と直面されている方々のことばだけに重く、落ち込みました。
ただ、伊藤伸二さんは、カール・デルさんの本の内容全てを否定したわけではないと言われました。
今夏、大分で開催された全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会の吃音分科会で、伊藤さんからお聞きしましたが、「ことばへの直接的なアプローチをしてもいい先生の条件」を満たす人が、どもるという状態を分かりやすく、客観的に感じさせるために、よい形で示されれば、意味のある出会い方のひとつのように思います。
特に、まだ“吃音を悪いもの”ととらえていない子どもにとっては、先生がどもってみせることにも意味がある場合があるのでは…と思います。この宿題についてはもうしばらく悩んでみようと思います。
とにかく今は参加された皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/12