吃音ショートコース最後のプログラムは、「みんなで語ろう、ティーチイン」です。
 2泊3日、共に過ごした参加者が、ひとりひとり、経験したこと、感じたこと、思ったことなどを語ります。びっくりするような自己開示をする人も中にはいます。それだけの「場」の力があるということなのだろうと思います。
 このときの吃音ショートコースに限らず、僕たちは、集まりの最後には、このプログラムを設けます。自分の思いを自分のことばにすることで、経験したことを自分のものにすることができるからです。周りがちゃんと聞いてくれるので、この時間は温かく、居心地のいいものになっています。

みんなで語ろう、ティーチイン
 午後からは、いよいよフィナーレ。台風の接近のため新幹線などがまだ動いている間に帰ろうと早目に出られる遠方の方もいて、80名近かった参加者も少し減ってしまったけれど、その分一人一人がたっぷり時間をかけて、3日間の感想を語ることができた。
(参加者の感想)
○アサーショントレーニングを受けてみて、世界が広がった。
○先日、大阪吃音教室で「吃音は治療か受容か」ということを討論した。私は治療の立場であったが、今はどっちでもいいと思えるようになった。
○自分や誰かを操作するのでなく、ありのままの自分でいい。
○不安のまま参加したが、楽しかった。
○去年はこの吃音ショートコースで何度か泣いた。あまりにも暖かい場なのでまた来年も参加したいが、遠方からの参加なので費用をどうしようかと思っている。
○勉強にきたつもりが、自分のことに向き合ってしまった。
○発表をするので、緊張しながら参加したが、皆さんが真剣に聞いてくれて感激した。「どもる子どものお母さんってすてきな方が多いですね」と言われて嬉しかった。
○どもり浸けの3日間だった。究極のどもりを目指します。
○こんなに真面目な研究会はない。ほとんど眠くならずに一生懸命聞かせていただいた。アサーションは分かりやすくて日常の中で実践していけそう
○自己表現ができないと初めの自己紹介で言って、皆さんの失笑をかったが、私は攻撃的表現が得意だったと認識できた。
○昨年の吃音ショートコースは、私自身の心の瘍を癒すことを目標に参加した。今年は自分をみっめる場がこれまでいかに少なかったが分かった。
○吃音ショートコースという名前の合宿には、その昔大阪教育大学の学生の時の集中講義の時に行っていた時から参加していた。私自身はどもる人が好きだから参加したいのだろうと思っていたが、そうではなく、私は吃音ではないけれど、同じ根っこの問題を持っていたから、参加したかったと分かった。
○特別に暖かい空間で、自分を考える事ができた。
○感謝の気持ちで一杯です。共感することが一杯ありました。
○みなさんが爽やかだった。
○ことばの教室の先生やスピーチセラピストの方がたくさん参加されていた。私の幼いときにこのような先生方に会えていたらと思う。
○帰ってからアサーションの勉強を妻と一緒にして行こうと思いました。
○10年ぶりの吃音ショートコース参加で感激をしている。
○アサーションはこれまで分かっていたつもりだったが、アイメッセージができていない事が分かった。
○吃音ではないが、ピアノでつっかえたことがあった。参加してみて、今はピアノでもつっかえてもいいと思えるようになった。暖かく見守って下さった雰囲気に浸れ、自分をさらけだせたことが嬉しかった。
○一人一人がユニークで、これが人間なんですね。人間っていいもんですね。
○どもってもいいんだよと、強く感じられた。
○来て良かった。人と会うのがこんなに楽しいことかと感じた。KJ法がとても良かった。
○アサーションはスラスラ自己表現すると思っていたが、そうでないことが分かった。
○何事も時間がかかるもので、長い目で見て行けばいいと思えるようになった。

 車椅子で初参加ながら熱心に交流されたLさん。千葉から参加のM先生やN先生。一生懸命話されるO君。少し疲れた表情のPさん。すっかり明るくなったQ君。皆さん個性に溢れた振り返りのスピーチの2時間が、あっという間に過ぎた。

おわりに
 ことばの教室の先生方は、みな若くてとても熱心。遠方の方も北は北海道から南は九州まで、全くの手弁当で来られ、頭の下がる思いがしました。
 教え子たちは、とても幸福でしょうね。羨ましい!
 そしてどもる人たちの何と魅力的なこと。一方的に与えるのではなく、語ったことが心に染み入り、温かいことばとなって返ってくる喜び。生き生きとした表情、明るく前向きな姿勢。吃音って本当に素晴らしい!こんなにも魅力的な人たちと交流できた3日間が夢のようでした。
 幸いにも台風はまだやって来ず、天気が悪くならないうちに帰途につくことができました。が、眠い。振り返れば殆ど寝ていない。休んでいない。そして飛鳥散策もまた…。
 超ハードなスケジュールに、私の描いた目算は脆くも消え去ってしまったのでした。ああ、来年こそは、きっと!
 家に帰って綿のように眠りこけたことは、言うまでもありません。
                        ((1997年10月 報告 了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/05/11