外郎(ういろう)売りの外郎

 拙者親方と申すは、お立ち会いの中にご存じのお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一しき町を御過ぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、圓齋と名乗りまする。…

 二代目市川團十郎が自作自演し、市川家の十八番になった「外郎売り」。
 大阪教育大学の特殊教育特別専攻科の学生なら、誰もが暗誦しているはずです。日本語・音声学の永保澄雄教授が学生に暗誦させ、完全に覚えているかどうか、テストをしていました。そのときは、歌舞伎役者の基礎的な発音・発声練習に使われているとだけ知らされて、その口調がおもしろく、僕も完全に覚えました。どもる僕たちにも、発音・発声練習にとてもいいのです。大阪吃音教室でもとりあげたことがあります。一音一音、母音を意識して発音する。最初はゆっくり丁寧に発音する。そして今度は早口に言ってもしっかりと聞き取れる。リズムがあるので、どもる僕たちも言いやすいのです。今でも、口をついて、せりふが出てきます。さすがに全ては言えませんが、少し練習すればすぐに台本を見ないですべて言えると思います。それだけ、僕のからだに染みついています。

 この外郎売りが、突然、思いもよらぬ形で、またまた身近なものになりました。せんだって、久しぶりに大分県・湯布院に行きました。そのとき、年末年始、毎年湯布院に行っていた頃とてもお世話になった友人と久しぶりに会い、昼食をごちそうになったのですが、そこはすてきなペンションで、そのペンションの主人と、この年になるとよく話題になる「病気・持病」の話になりました。そのとき、友人が「私は、いい薬を昔から使っていて、親しくなった人には教えてあげるのよ」と、その薬の名前を挙げました。それが「外郎(ういろう)」です。ペンションの主人も、そんな名前の薬は全く知らないらしく、「それ、名古屋の名物のお菓子でしょう」と言い、僕は僕で、まさかそんな薬が現在も売られているとは全く知らず、歌舞伎の市川家十八番の「作り話」だと思い込んでいました。歌舞伎は比較的観るほうで好きなのに、知識として知らなかったのです。
 そこで、
 「拙者親方と申すは、お立ち会いの中にご存じのお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一しき町を御過ぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、圓齋と名乗りまする…」
 と、この程度は完全に覚えているので諳んじてみると、びっくりされました。この薬が実在しているとは思いもよりませんでした。とても不思議な気持ちになりました。そしてさらに、その薬の効能を聞くと、現在、体調維持のために漢方薬を飲んでいる僕が体調を崩したとき、僕にぴった合いそうな薬だと確信しました。小田原にあるという「外郎家」、行ってみたい、というよりこれは、行くしかないでしょう、と思いました。

 その日は、意外に早く訪れました。
全景 ななめ 縮小店 看板大きく 縮小 今、伊豆の伊東に来ています。伊豆と小田原は、そんなに離れていません。どこよりもまず、小田原に行きました。小田原にある「外郎家(ういろうけ)」、ナビに入れると、ちゃんと出てきます。ナビを頼りに着くと、そこは、まるでお城です。店に一歩入ると、お菓子のういろうが並べられていました。間違ったかと思いましたが、奥のほうに、白衣の人がいて、その前には、確かに、「透頂香(とうちんこう)」という薬が並べられています。腹痛、風邪、咳などによいようです。喉が弱い僕にはぴったりの薬でした。今も、小田原の外郎家で対面でのみ、販売されているそうです。昔ながらの製法のため、大量に作ることはできず、店に来た人にだけ販売しているとのことでした。早速2箱、手に入れました。途切れることなく、お客はあり、みんな、2箱ずつ購入していきます。

 お菓子のういろうは、外国使節の接待に供するために作られたもので、どちらも外郎家のものなので、「ういろう」と呼ばれたそうです。薬のういろうは、後に天皇から「透頂香(とうちんこう)」という名前をいただいたそうです。
 
パンフレット 縮小 「小田原家と外郎家」のしおりにはこう書かれています。
 享保3年(1718年)、歌舞伎役者・二代目市川団十郎は持病の咳と痰のため台詞が言えず、舞台に立てずに困っていました。そのとき、薬のういろうのことを知り、この薬によって全快したので、お礼の気持ちで、こういう薬もあることを知らせたいからと、舞台で上演することを申し出ました。外郎家は宣伝になることを恐れて固持しましたが、再三の申し出に上演を承知し、こうして市川団十郎の創作による歌舞伎十八番「外郎売り」の台詞が誕生しました。

らんかんばし ひらがな 縮小らんかんばし 説明  縮小 台本を見ないで言えるほど知っていた外郎売りの台詞、まさかこの話が本当で、現在も作られ、販売されているとは。生きていると、こんなにも面白い、不思議な出会いもあるものなんだなあと、うれしくなりました。
 今まで以上に、この外郎売りの台詞が、身近になりました。今後、僕の体調が不良の時は、このセリフを言って飲むのだと思うと、愉快な気持ちになります。それだけで、体調不良が解消されそうです。
 僕は大学4年生の時の3か月の無銭旅行に近い一人旅から、ずっと旅が好きで、よく旅をします。僕はもうすぐ78歳になりますので、これまで行っていないところ、また行きたいと思っていたところに、パソコンをもって、ワーケーションとしての、新しい旅を続けています。学生時代のただ遊ぶだけの旅と違って、毎月発行の月刊紙「スタタリング・ナウ」や年報の作成、吃音講習会の準備、新しい本の執筆と、仕事をしながらの旅は、またいいものです。
全景 正面 縮小
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/15