藤沢周平さんが亡くなられたときに特集した「スタタリング・ナウ」を紹介してきました。周平さんからいただいたお返事、著書にみる〈藤沢周平さんと吃音〉、新聞記事など、そのどれもに、周平さんの親しみやすい温かい人柄が感じられます。
 今日は、特集の翌月、「スタタリング・ナウ」を読んで下さった、読売新聞の三木健二さんの「今日のノート」を紹介します。
 三木さんは、それまでにもお付き合いのあった方です。吃音のことをよく理解して下さっていた記者のひとりでした。
 藤沢周平さんと吃音については、今日が最後です。

今日のノート 三木健二 読売新聞 1997.2.23》
      周平さんの答辞
藤沢周平 読売新聞 三木健二 小学校の卒業式で答辞を読む総代の声が出ず、級友が代読する事態になったのは前代未聞のことだろう。吃音のため声が出なかった総代が若き日の藤沢周平さんだ。
 五年生の時、学校で一番こわがられていた、スポーツマンの宮崎先生が担任になったとたん、どもりだしたから感受性のとても鋭い少年だったに違いない。どもりも「ががが…」などと音が重なる連発タイプではなく、しゃべろうとしても声が出ない難発の吃音だった。先生に指名されて立ち、教科書を読もうにも舌は石のように動かないひどい状態だった。
 この屈辱感から、手当たりしだい本を読みあさった。やがて作文の時間が大好きになる。声を出さなくていいし、先生が朱筆で書いてくれる講評でほめられるのがうれしかったから。中学生のころ、吃音は自然に治ったという。
 「宮崎先生とどもりに出会わなかったら、こういう人生がなかった」と藤沢さんが小説家になったきっかけを記しているのを、日本吃音臨床研究会の会報今月号の藤沢さん追悼特集で知った。
 〈治そうとする努力そのものよりも人間として生きる努力を。どもったまま生きよう〉という研究会の「吃音者宣言」に、藤沢さんは自分の体験を重ね、全面的に賛成する手紙を寄せ、吃音者にもあたたかいまなざしを向けた。
 どもりの人には優しくて敏感でまじめな人が多い。だが、吃音から解放されると、反動のようにしゃべりまくるか、尊大な態度に転じる人が中にはいる。「藤沢さんはその正反対。どもっていた時の感性をそのまま持ち続けた人でした」と研究会代表の伊藤伸二さん。人情味あふれる時代小説は悩み続けたころの『感性』とは無縁ではない。吃音から作家のあたたかさとひたむきさがみえてきた。(「スタタリング・ナウ」 1997年3月 NO.31)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/03/19